改革にともなう種々の変化が端的にみられる資料は、阿部屋伝二(治・次)郎から出された以下の諸種の伺である(村山家資料 新札幌市史 第六巻)。まず自分網持アイヌに関して、次のように記している。
ここでは自分網持のアイヌが漁獲した鮭は、阿部屋が収納を担当するのか、役所にておこなうのか問い質したものである。これに対して役所がおこなう「直納」が指示され、アイヌの自分網による鮭は、今後すべてが役所―特に改役所―が扱うようになる。石狩川流域には、トクヒタ・シビシビウシ・トウヤウシ・サッポロブトなど七カ所に、鮭のアイヌ漁場があった。
アイヌ漁場は、元来、アイヌの冬季の食料源・交易物としてアイヌの漁場権を認めて成立し、和人の進出から保護する性格をもっていた。しかし、アイヌの漁獲した鮭は、干鮭にして和人と交易されていたものが、生鮭のまま本州に輸送されるようになり、アイヌ漁場はやがて場所請負の漁場に組み入れられ、漁場経営も請負人のもとに掌握され、アイヌは他の漁場同様に労働者にすぎなくなり、アイヌ漁場も名目だけのものとなる。改革によりアイヌ漁場が改役所のもとに移ることは、労働の手当・介抱料(かいほうりょう)が適正に給与され、これまでのような不正な搾取状態の是正が意図されていた。
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写真-2 明治初年のアイヌ漁場の風景(北海道大学附属図書館蔵) |
次に、アイヌの労働雇用の問題では、運上屋(元小屋)の雇、茅刈・菅刈、材木の伐り出し、人馬継立の人足などの使用に関し、すべて役所へ「拝借」の許可が必要とされた。これにより従来、請負人などによりなされてきた恣意的な労働収奪が制限され、アイヌの保護がみられるようになった。また労働に対する給料は、すべて役所を通じて支給されるようになり、給料をめぐる不正も解消されることになった。
また毛皮類の軽物(かるもの)交易に関しても、「公儀ニテ御取扱相成候事」とされ、これも改役所により直接買い上げがなされ、榀皮(しなかわ)・焚椛(樺)などの買い入れも、「直買之儀不相成」と禁止され、改役所があたることになった。
以上のアイヌ漁場、労働雇用、軽物交易などにみられるように、イシカリ改革によりアイヌはこれまでの場所請負人の収奪・搾取からまぬがれ、幕府及びイシカリ役所の保護下にはいることになる。しかしこのことは、種々の経済的条件が改善されない限り、幕府などによる新たな収奪というみかたもでき、また幕府のもとにアイヌが人別編成にくみ入れられ、「内国民」化への道をたどることになったとも解釈されてきている。