設置当初開拓使庁は、東京における民部省あるいは太政官に置かれていたことは先に触れた。二年九月二十五日函館に到着した東久世長官らによって、同月三十日五稜郭の旧箱館府庁に開拓使出張所が開庁された。引き続き十月にそれぞれ赴任した松本判官により根室開拓使出張所が、竹田判官により宗谷開拓使出張所が、そして島判官によって札幌建府を主体とした開拓使銭函仮役所が開設され、また樺太には箱館裁判所の時期以来赴任していた岡本判官が担当官として駐在していた。以上が最初の開拓使機構といえる。
その後、三年一月に至り宗谷開拓使出張所は廃され、また銭函の仮役所も同年四月小樽に移されて開拓使小樽仮役所と改称した。さらに同年閏十月、上述したように太政官内にあった開拓使庁は、北海道産物会所内に移転して開拓使東京出張所と改称されたが、これによって開拓使の本庁は、形式上長官の居所である函館の開拓使出張所に変わったと見るべきであろう。なお三年二月十三日に樺太開拓使が設けられたことも先に触れた。
札幌本府の建設工事も進捗して、四年四月に仮庁舎が竣工するや、同月二十四日東久世長官は函館より札幌に移転し、翌五月新たに札幌開拓使庁を開庁して、名実共に懸案の開拓使本府が札幌に誕生したのである。これにともない同月、函館・根室の開拓使出張所は、それぞれ函館出張開拓使庁、根室出張開拓使庁と改称され、また本府建設のために置かれていた開拓使小樽仮役所は廃されたのである。