北海道庁時代の交通路の整備は、内陸部の植民地選定にともない、札幌から内陸部へも道路網が整備されていった。道庁はいろいろな推移はあるものの、ほぼ一貫して
北海道開拓の基本として幹線道路・植民地連絡道路・植民地内道路網などの整備を基本方針としていた。道庁が出した年度別の『事業功程報告』(明治十九~二十三年度分)、『勧業年報』(十九~二十八年度分)、『拓殖年報』(二十九~三十二年度分)では、札幌に関する道路開削や改修している道路は表4のようになっている。
19年度 | 琴似新道(道道琴似停車場新琴似線)及び新屯田道路(俗称新琴似4番通,正式名称は西部から道道樽川篠路線,市道手稲新琴似線,市道新琴似4番線の三つに分かれる).定山渓新道(国道230号).江別新道(国道12号).雁来新道(県時代の継続事業).札幌原野の道路. |
20年度 | 江別新道開削.札幌区内道路開削.札幌近傍原野道路開削.平岸村真駒内間道路(道道真駒内支笏湖線?)丸石敷き詰め改築.幌内道路(札幌市街幌向間対雁経由)砂利敷修繕.茨戸新道砂利敷重修.鴨々里道(南7西1と中島公園南端の間,市道公園車線?)開削.豊平橋架換え(準備). |
21年度 | 平岸村真駒内間道路改築.豊平橋改造.江別月寒間(道道江別恵庭線)道路開削.札幌区内道路開削.札幌近傍原野道路開削. |
22年度 | 発寒川架橋.札幌江別間道路開削.月寒江別間道路開削.札幌区内道路砂利敷等改修.札幌近傍原野道路開削. |
23年度 | 札幌江別間道路開削.札幌市街道路砂利敷等改修.札幌近傍道路開削.定山渓虻田間道路開削. |
24年度 | 白石輪厚間道路開削.定山渓虻田間道路開削. |
25年度 | 定山渓虻田間里道開削. |
26年度 | 定山渓虻田間の内定山渓喜紋別間道路. |
27年度 | 定山渓虻田間里道開削. |
29年度 | 茨戸銭函間及び札幌茨戸間運河.琴似橋小樽郡界間道路(国道5号)修繕. |
30年度 | 札幌郡平岸村仮定県道修繕道路.札幌千歳間道路(国道36号)橋梁修繕工事.札幌星置間道路(国道5号)橋梁修繕工事.平岸村穴の沢定山渓間道路橋梁修繕工事.定山渓中山間道路橋梁修繕工事.札幌茨戸間道路修繕工事.対雁橋架換え工事.札幌郡下白石広島村間及び江別村厚別村間道路橋梁修繕工事.札幌郡雁来対雁間道路橋梁修繕工事. |
北海道庁刊行『事業功程報告』(明治19~23年度),『勧業年報』(19~28年度),『拓殖年報』(29~32年度)より作成。 |
このうち、特筆すべきは国道一二号の原形が開削されたことである。当時まで
札幌市街から
白石村・
上白石村への道路は
豊平橋をまわっていくものであった。しかしこの時代に北一条通を東へ延長し、現在の東橋の前身となる橋を架設し(二十二年)、
白石村を横断して江別に至る
江別新道として開削した(事業功程報告 十九~二十年度)。この道路はそれまで札幌への直通道路がなく、不便であった
白石村民に大きく寄与した。
また
開拓使時代の初期に東本願寺が開削し、後すぐに廃道化していた国道二三〇号の原形となる札幌と虻田の間の道路が、この時期に新たに開削し直された(事業功程報告 十九~二十三年度、勧業年報 二十四~二十七年度)。さらに江別・月寒間道路は現在の江別と恵庭を結ぶものである(事業功程報告 二十一~二十二年度)。