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石油危機から昭和六十年代まで

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 札幌市の昭和四十七~五十年度予算は、四十八年(一九七三)秋に石油危機が到来し、翌四十九年度の国の予算が総需要抑制政策を基調に編成されたにもかかわらずその規模を大きく膨張させた。すなわち、一般会計ベースで見て、四十八年度は対前年度三四パーセント、四十九年度は二六パーセント、五十年度は二八パーセントもの伸びを記録している(表1・表5)。
 まず、四十七年度の予算編成方針について、板垣市長は、長期計画に基く事業の推進、地域環境格差の是正を基本とし、当面の重点課題として地下鉄東西線の建設、国鉄の高架化、道路認定の促進、清掃手数料の無料化の促進を図るとともに、社会福祉と教育事業を最重点として編成したと説明した。また、冬季オリンピック後の土木建設事業の激減を回避するために、景気対策も射程に入れ、運用金の活用による土木事業の遂行にも配慮したとも述べている。
 翌四十八年度予算における重点施策としては、①道路、上下水道、公園等日常生活に密着する生活環境整備、②学校等文教施設、青少年対策、③老人、子供、身障者に対する福祉事業を挙げた。また四十九年度予算における国の総需要抑制政策と市予算との関連について、市長は、「住民に直接関連の深い環境整備の事業は抑制さるべきではなく、日常生活に深い関連のある事情をでき得る充実をするために意を用いた」と述べ、教育や福祉関連予算など生活関連社会資本の充実は総需要抑制の範囲外という判断を示した(以上、47・48年度の予算編成に関しては、十三期札幌市議会小史)。
 当該期の市財政の拡大を具体的に見よう。まず歳入面では(表1)、市税の金額的な増加と相対的な役割の増大、他方での国庫支出金地方交付税の地位低下、そして市債比率の大幅な落ち込みが見られる。市税では(表2)、個人市民税や固定資産税市税における比重を低下させているのに対して、企業の好調ぶりを反映して法人市民税の増収が顕著である(表2)。また四十九年度には特別土地保有税が創設され、五十二年度までは平均すると市税総額の四パーセントを占め、歳入上ある程度の役割を果たした。
 市債発行額は、四十七年度から翌四十八年度には大きく伸びたが、四十九・五十年度は、国の総需要抑制策によって地方債の増加が抑制されたため(地方財政白書)、特に五十年度は市長選挙も重なって、その金額と歳入比率は極端に落ち込んだ(表1)。
 支出面では、教育費民生費が画期的に増大した。四十八年度の教育費は、小学校新築六校、増築二四校、改築一〇校、中学校新築一校、増築一一校、改築三校、高等学校新設一校など校舎の新築、増改築費を中心に、対前年度比で七八パーセント、金額では四八億円も増加した。翌四十九年度においても小中学校の新増設は続き、小学校の新設八校、増改築二六校、中学校は新設一校、増改築一七校という大規模なものとなった。
 民生費では、児童福祉政策として、四十八年度は公立保育所新設一カ所、増改築二カ所、市立保育所建築補助が、四十九年度は災害遺児手当拡充と保育所建設が手当された。老人福祉対策としては、四十八年度では老人休養ホーム新設、給食センター、電話相談センター開設などが新規事業として盛り込まれたほか、同年一月に発足した七〇歳以上の老人医療費無料化のための助成費(負担区分は市1/3・国2/3・道1/3)が倍増した。
 さらに四十九年度は、老人医療費助成の対象を一歳繰り下げて六九歳以上とした(表8でも四十七~四十九年度の老人福祉費は急伸)。障害者福祉関係では、四十九年度に精薄児(者)職能機能訓練助成、身障者就職相談員の配置、在宅肢体不自由児機能回復訓練機器貸与、身障者自立促進資金貸与が新規に予算化された。さらに三歳未満の乳幼児医療費助成も両年度とも二億円を見込んだ(道新 昭48・1・31、49・1・26)。
 土木費は、歳出総額に対する比率を五十年度まで急激に落としているという点では、教育費民生費と違った傾向を見せているが、同費の中で最大のウェイトを占める道路橋梁費は一貫して三〇パーセントを超える水準を確保している(表6)。
 市は、四十八年度から「裏通り作戦」と称して生活関連道路の舗装を重視し、三年間で道路整備費三〇億円上積みの予定を一年前倒しして四十八年度は九億円、四十九年度は二四億円と三億円超過して上積みした(道新 昭49・1・26、2・14)。このため四十九年度の舗装道路整備費は対前年度の六〇パーセント増となった。
 五十一・五十二年度予算は、歳入面では、地方交付税国庫支出金公債費の比率がそれまでの低落傾向から回復した反面で、事業所税の創設と法人市民税の超過課税(五十二年から五年間限定)にもかかわらず、市税の伸びが頭打ちになる画期となる年度である。このうち事業所税は、事業所の床面積と支払う給与をそれぞれ課税標準とする資産割と従業員割によって構成され、超過課税は、法人市民税のうち法人税割税率を現行一二・一パーセントから制限税率である一四・五パーセントに引上げるというものであり、増収分一二八億円(表2でも法人市民税は五十二年度から五十六年度にかけて毎年二〇億円程度増加)を地下鉄延長事業補助と下水道建設費に充当することになった(十四期小史)。
 歳出では、民生労働費教育費を中心に順調な伸びを記録し、さらに土木費も昭和五十二年度から急速に膨張して同年度には一挙に三〇〇億円を突破する。
 五十三年度予算は、政府が円高不況を打開すべく、五十年度予算から継続して内需拡大政策に重点をおいたのに対応して、市税の頭打ちを補うべく市債の発行を大幅に増加させて(表1)、公共事業の拡充を図る景気刺激型予算となった。
 市長の予算編成方針説明でも、経常費は生活保護費と医療助成費以外は極力抑制して、対前年度比で二〇パーセントの伸びに抑える一方で、生活環境基盤整備のための公共事業は三八パーセント増とするなど臨時費は二八パーセントの増、さらに財政調整基金三五億円を繰入れて市負担の公共事業費に充当するとした。あわせて老人・身障者への福祉対策の重視も盛り込まれた(道新 昭53・1・26)。さらに表5を見ると衛生費の比率が大きく伸びているが、これは保健所の移転新築、モエレ沼周辺ゴミ埋立て用地の取得、第三清掃工場建設などが集中したためである(十四期小史)。
 昭和五十四~五十六年度予算は、一般会計の歳入出構造に一つの転機をもたらした。すなわち、歳入では(表1)、五十二年度から落ち込んでいた市税比率が、五十四年度を転機に平成五年度まで約一四年間上昇を続け、反対に国庫支出金地方交付税、とりわけ前者が、平成三年度まで下降する。つまり、市税比率が上昇した分、国庫補助金の相対的な地位が低下する画期となった。
 さらに歳出面では(表5)、昭和四十七年度から歳出に占める割合を一貫して増加させてきた民生労働費教育費、とりわけ前者が、この年度を境に平成三年度まで約一〇年間に渡ってその相対的地位を下げ続けること、土木費比率の急上昇が一段落して平成二年度まで高原水準を形作ること、そして公債費が次第に上昇すること、などの現象がこの年度を境に現れるのである。
 昭和五十四年度予算は、市長選挙を控えたために骨格予算として編成されたが、一般会計は経常費が一三パーセント増加したのに対して、臨時費は、南区民センター、肢体不自由児母子訓練センター、第三清掃工場、教育文化会館などの建設費が計上されたが、全体では一七パーセントの減少となった(道新 昭54・1・19)。
 五十五・五十六年度予算は、五十四年一月の「第二次石油危機」の影響を最小限に食い止めるべく、国の経済政策が「景気と物価の両にらみ」を志向したことに対応して、一般会計の経常費を抑制しつつ、臨時費を土木費教育費に重点を置いて上積みするという方針で編成された。具体的には、五十五年度では小中学校の新設六校、五十六年度は同八校によって教育費中の学校整備費が増加し、福祉関係で五十五年度に婦人文化センターが着工、五十六年度には老人福祉センター、自閉症児施設などが建設された。また土木費では、五十五年度には市街化区域内の道路舗装一〇〇パーセント達成へむけて道路橋梁費が大幅に増額された(表6)ほか、五十六年度には国鉄高架(函館本線・札沼線)、手稲プールが着工した(道新 昭55・1・25、56・1・24)。
 第二次石油危機を契機に五十五年三月から始まった不況は五十八年二月で一応の終止符をうち、同年七月に経企庁は約三年にわたる「戦後最長不況」の終了宣言を出したが、急激に進む円高不況の対策としては、政府は相変わらず公共事業に依存していた。これに対応して当該期の市財政も、市税の伸びを当て込みつつ市債を増発し、それでも不足する場合は各種基金を取り崩しながら土木事業を実施するという景気浮揚型予算を志向した。
 まず市長選挙を控えて骨格予算となった五十八年度予算の後をうけて編成された五十九年度予算は、国の歳出削減で下水道事業を除く国庫補助事業が対前年度〇・五パーセント増にとどまったのに対して、市の単独事業は同二・八パーセント増となった。これらの単独事業には、西・白石区の分区関係施設整備(コミュニティセンター・体育館建設)、厚別公園造成、サケ科学館新築、芸術村着工(五十九年度)、エレクトロニクスセンター建設、第二白石区民センター(六十年度)などがあり、市はこれら事業に対する財源不足の穴埋めとして、財政調整基金、文教施設整備基金、公園整備基金などの各種基金を充当したほか、昭和五十三年度から積み立てていた減債基金を六十年度に初めて取り崩した(道新 昭59・2・8、60・1・25)。また市債依存度も次第に上昇し、六十三年度には五十八年以来五年ぶりに一〇パーセントを超えた(表1)。
 六十一~六十三年度の市予算も、基本的な編成方針は景気対策にあり、各種施設を建設することに重点が置かれた。すなわち、福祉分野では、身障者福祉センターの建設、夜間保育所の設置(六十一年度)、教育では、小中学校の新設七校及び増改築二三校、国体施設整備(六十一年度)、小中学校新築七校、子供劇場と北方自然教育園(六十二年度)、産業分野では、エレクトロニクスセンター完成(六十一年度)、土木関係では、公営住宅新築建替え一一〇〇~一二〇〇戸(六十一・六十二年度)、舗装道路整備一一〇キロ(六十二年度)、衛生関係では、衛生研究所の新築移転(六十二年度)などが予算化された。また、地下鉄東豊線の建設も六十一年度から始まった(道新 昭61・1・25、62・1・23、63・1・27)。
 平成元・二年度の予算編成は、バブル経済下の好景気の影響を受けて税収が好調なこともあり、福祉と教育関係を中心に手厚い配分を行った。まず市税収入は、昭和六十三年度から平成二年度まで高い伸び率を示すとともに、平成二年度には二五〇〇億円を確保して歳入総額に占める比率が四〇パーセントを超えたが(表1)、これは高度成長末期の昭和四十四年度以来二一年ぶりのことであった。このような市税の増収により地方交付税は六年ぶりに前年度を下回ったが(表1)、代替財源として地方贈与税が同額交付されて予算編成は円滑に実施された(道新 平2・1・25)。
 歳出における主要事業としては、元年度に、社会福祉総合センターの完成、芸術の森市民美術館、滝野青少年山の家、天神山国際ハウス、新中央図書館などの着工と学校プールの整備が、二年度には、ハイテクヒル真栄とアート団地の造成、老人福祉センターの建設(手稲区)、ゴミ資源化工場創業(北区)などが盛り込まれた(道新 平1・2・11、2・1・25)。また二年度に発足した「地域づくり推進事業」による「ふるさと創生一億円事業」の一環として、市は「札幌国際デザイン賞」を創設した(十七期小史)。
 翌三年度予算は、板垣市政五期二〇年の総仕上げといわれ、これまでと同様福祉と教育を重点にした編成がなされた。主要事業としては、福祉分野では「まごころ電話訪問事業」と福祉工場の建設、教育では小中学校四校の新設、登校拒否児への指導事業、中央健康づくりセンターの建設等が、また情報産業への補助事業として、テクノパーク進出企業への補助と融資、行政情報システムに整備費などが予算化された。その他には、路盤材再生処理施設の建設、札幌国際プラザの設立などがある(道新 平3・1・22、十七期小史)。