江戸藤岡屋板
養蚕往来 」
養蚕往来
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開威畏くハこゝに図しまつれるハ桑蚕の祖神にして常州日向川村
蚕霊山千手院星福寺に立せ給ふ衣襲明神即是也、されバこの
御神を祭れるもの蚕養を業とする家にハ桑よく栄てその 若葉の
春の寒さに傷ことなく蚕屋の中に鼠
つかす蚕卵ハ
遺なく化育して
如意万倍の
利徳あり、又蚕
養せぬ良賎男女も常に神施
を信心していのるべし、
又給事の婦人懐中に収て 祈れハ常に望の 衣裳いで
来て縫針の隙なかるべし、蓋衣合住の三禄ハ人間の至宝たり、信じて疑ふ
ことなき人には霊応紡□の如くなるへしと云々
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(上段) | (下段) |
蚕籠作様秘伝 蚕養ニハ先第一に 棚竹むしろ籠すべ て入物道具るい沢 山にとゝのへ置ふそ くなきやうにすべ し、尤大籠の始 末あしきものゆへ大 方よこ三尺長サ四 尺くらゐにて一間 のあいだニ□いざし のつもりにこしらへ 置時ハ家内すゞしく 蚕に暑をうけず 人手間に益あり | 養蚕往来 夫養蚕の始ハ唐土の黄帝 有熊氏、我朝ニ而ハ神代保食より 始、人皇ニ至迄天子の御翫なる 由、然を末世下万民救ゑ |
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□□□種□□ □□□八十□□ □にとゝのへ薄置 一也、奥州ハ寒こく なれバ□着なれ とも余国ハ大かた 竹かごなり、右のごとく 道具多く入ること なれバ人□□すく なき家なとふ 身上不相応に欲 をはり、蚕たね多 く仕入る事大損のもと いと心得しるべき也、 桑□りやうの事 | 猶又農家の経営となる農業 の間を以養蚕し糸機織物 衣裳絹布ニ用而我国の通宝と なる事難有次第也、凡蚕ハ天 下の名虫ニ而男女辛労の手ニ馴 |
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蚕種の紙に産つけたる をうつす図 こたねの かミにう ミつけたる かはる 三月の中□□□ ぜん ごに生 れ出る□ かへると いふ也すでに かへりいでて一ばん 二ばんなどとわかちおしきへ いれくハのはをこまかにきさ あたふる也これをくろくとも 壱ツすべときいふなり | 故金銀不足なき人々茂其土地ニ 備バ養蚕ニ心を寄神虫の出時 を伺其用意たるべき事也、先掃 立の日より獅子の桑付迄ハ 其場を去らず養育陽気 |
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桑ハ寒中下糞 その外酒粕馬踏 □のるい沢山畑合 ニ桑の根にほり入れ べし、かく□□ふし おけハ春若葉や ハらかに芳はやく ひろくなるものなり、 しかし春夏ハかな らずこやしいたす べからず、もし又おそ 霜下りたる節ハ 桑葉を水にて よくあらひかハかし て蚕へかけべし、花ハ | の変化ニ心を付、凌しき日家を 離ずして桑を能程ニ与へ暑の 強日ハ沢山与べし、蚕ハ正しく神の 虫なれバ清浄第一ニして夫婦 或ハ召使ニ至迄詞を乱ず家内 |
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蚕飼のために 桑の葉をと る図 かひこすでに大ねむりおき してのちハくわのはを あたふる事まへくよりハ おほきゆへくわのはをとる にも□なくいそがしき 事なり | 睦く活たる神の其家へ至給と心 得悪欲悪言無之様慎肝要也、 然バ文字ニも天の虫共又神の虫 とも書伝る也、爾共諸人多ハ大 切の種元を撰ず、蚕ハ其その年の |
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数を損する大毒と しるべし、扨又桑畑 別に仕立る場所ハ勿 論耕作畑のカタハら に植つけおく土地に てハ桑つむころ耕 作仕付のじせつなれバ 菌□畑に入り桑 にもかゝるものなれバ 蒔入したる畑の麦 大雨ふる後までハ とらざるやうに心得 べし、糞かけてほど なき桑あたふる時ハ 蚕ミな口より青水 | 運ニ寄と心得、我誤を知ず惣而 蚕を外にし、不作の後色々の愚痴 を発し、他の繁昌なるを憎嫉、或 ハ種元を恨、家内の不機嫌皆 主人の愚なる故也、兎角我分 |
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桑の葉をさきミ 製する図 かひこ 三ど や すミ の の ちく わを あた ふるに したがひしたひに大き 口なりますます おほくなるゆへに 外の竹すだれやう のものにうつし、 くわのはをこま かにきさミせい するにいとま なし | 限より余慶不可掃、多ハ種欲を 加気蚕盛の時ニ至、諸道具人 手間不足ニ而自然と麁抹ニなり、 或ハ農業ニ障又ハ桑不足成 年ハ養詰而無是非若蚕を |
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れバ口るべきの第一也、 桑つくりやうハ枝さき なる若葉手にて つミ、そのまゝ毛蚕 掃立に口掛べし、すべ て諸虫木の口若 葉より喰初、盛 長にしたかひ強葉 をくふものなれバ、蚕も 是に習ふて桑葉 を与ふるときハよく 養ひの理にかなひ 猶桑葉にも徳有、 又枝さきをはやく 留れバ穂の起方 実入等よろしきもの也、 | 揚、繭散々ニ致損失こと有、是皆 欲より発也、都而神虫の失ハ由断 より成ものなれバ、掃初而より後ハ 人の所へ行長咄不致、又手前へ 人来パ無礼を断仔細を告、猶 |
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口口口口口時きさミ たるくハ をあた ふる図 かひこ口口口どと ありてくわをしけどくハぬ 事四どあり、これをねむる ともよどむともやすむと も二口口とも口けのやすミ ともいひ口口三どめのやすミ をふるのやすミ共いふすべて やすミのときハくわをあたふる 事そのかげんむつかしきもの なり | 手入を懈るべからず、唯養蚕ハ片 時の由断より失を生じ、不慮の難 にて病出ること多し、然バ四季共に 農業少の隙有時ハ棚竹莚 籠等沢山調置、入物道具不足 |
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よくよく心を用ひて なすべし、 種寒水の仕様 夫種を取扱ふことハ 尤大切の事也、まづ 寒水の仕やうハ目 かたをよくよくあらため 朝水に三日つけ引 あげ、尤もとの目方 まで懸おくべし、先 はきたてにハ茶の 間などひろき場所 に棚を畳より二尺 ほど高くつり、それへ 差上げおくべし、 | 無之様常ニ心懸べき也、扨又蚕種 遠路を取遣ニハ、懐へ不入風呂敷ニ 不包、唯桐箱骨柳ニ入、其上を 渋紙ニ包、取扱ニも天日を除、火の 側を堅く忌、手抔洗、随分大切ニ |
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蚕口口口ちて丸葉の 桑をあたふる図 かひこまゆを 口口口とき 口口 □と いふ ひろき ふたの□ いに □□□ばな どのものを しき入れて しきり、かひこ をおきてわくをおほひに してまゆをはらする也、四 五日もしてのちまゆを一ツ づゝもぎはなしてとるなり、 まゆはるものを簇と いふなり、 | すべし、抑種の上中下ハ地〆冴 能、色黒白粉を吹、大粒ニ実入能、 譬重たり共蛭働無村手障強、 少も不落品本場の桑ニ而、念者の 養製したる上種と可知、或ハ種 |
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あるひハ籠をかさね 又ハたゝミの上へ置 事はなハだあしく 心をつけべし、又掃 立日に蚕の上へ 何にてもかけべからず、 いかほど寒くとも くるしからず、とかく 温なるをきらふ、只 寒き時ハ日数□る ばかりなり、もし又 桑くひかねる事 ありとも、舟より してハ桑すくとよく 揚に少しもうれ ひなし、獅子□□ | 不冴、村ニ重小粒ニ而赤色ニ見へ、又ハ地 不〆、粒抜たる所有、或ハ一所ニ重曇 油気なく少障而も破羅々々と□ 種大下品と心得、又大粒ニて色 青ハ夏蚕種と可知、春蚕ハ譬 |
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起出へき時をうかゝひ そのか□ひを なす 図 かひこ第四どめの やすミを大ねむり ともにハのやすミとも いふ也、おつつけおき いづべきときを □□□よういに ふだんすべからす | 青色也共白粉を吹て小粒也、其外 再出多、又□実沢山なるハ暖なる 家ニ而蚕尻高歟、或ハ上棚ニ揚、暑ニ 中たる蚕ニ而取し種也、惣而村産 重多冴悪ハ、蚕多分養散一向の |
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夜着ふとんなどかけ 又ハ火のそバあるひハ 紙張の中へ火ばち を入れ、つよくあたゝめ たるかひこハ、獅子 だけまてハ見事 なれども、舟より して桑くひかね ふそろひになり、ゆく ゆく不作いたすも のなり、あつく心得 べし、惣じて養蚕 の道ハゆだんより仕 そんずる事はなハだ 多し、されバ□□ □□□なれ共 | 不育種也、又水色ニ余見事過たるハ 遅取也、必下品与可心得、右様の品 違作不致様可見習者也、近年商 売人多、其種元を知ず、悪種を 上品と心得致渡世、万人歎を懸 |
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簇たるを もてはなす図 なままゆを しほにひたすトあり、 大きなる一本のうち そと□□の上 □うれその うへに きり のは をしき てしほをふりか けと、上をどろにてぬり ふさぎて其日立て、とり いだしかまに入れ、わくにか けてくりとる也、 | 是天命を恐ざる仕方也、其罪幾 許の事哉、養人ハ陽気不順を 知ず、又ハ我手違悪種等の差別を 不弁人多し、能々正直真実心を以 売買致候ハヽ、養蚕繁昌永久 |
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やゝもすれバゆだんこそ あるものなれバ、其家々 の女房等にのミ打 まかせおく事かたく 無用たるべきものか、 とにかく亭主たる べきものよくよく常に 心を用ひ朝夕気を つけべき事肝要也、 扨又既に本文にも あるごとく、すこし若 あげ蚕ハ吟もはかり、 よく見ゆるとも貫 目これなく、糸目不 足なるものなり、たびたび | たるべき也、尚又蚕ニ大毒ハ〓<ウナギ>を焼、 杉の青葉を焚、麝香乳香薫 □煙草塩煤酒魚油蝋燭の消 跡禁物と心得慎、惣而臭物遠 慮可致、又鼠多猫も不及時ハ鼠通行 |
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わくにかけて糸をくりとる図 | の道へ蒟蒻玉を摺付、或ハ山樒の 枝を指可防、羽虫ハ川魚を串に 差下置時ハ自然と魚ニ取集物也、 蟻桑より入時ハ蚕の中を団扇ニ而 強可吹仰、退散もの也、陽気の |
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たゝずといふことなし、 すべて夜中ハ曳ず、 朝五ツ時より日くれ 方まで曳るもの也、 兎かくひ気(き)はじ めに一ト通りひろひ そのあと蚕尻抜繭 ハあつくかけべきなり、 又永雨の時節蝶 出ることあらバ、炉 に炭火沢山入れ 四方に戸をよこに おき、その上障子へ □のまゝ紙の方へ うつむけにのせ | 事ハ人真似不可致、年々の寒暑 我家々ニ習可覚事也、掃初より 吾身常ニ袷ニ而寒心持ニ而陽気 を取、若掃時節暖なれバ、高窓 或ハ仕切等戸を明開涼敷而掃 |
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糸を取り上げ機に なして織立る図 | べし、家の西ニハ木を植並、夕日を 除、又雨降寒強綿入重着致共 凌兼時ハ、蚕の側少離屏風を立、 内の仕切を明掃、二間程隔火を可 焚、但天井下悪而陽炎包時ハ即 |
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天日どうぜん也、これ らもよくよくたんれん すべし、抑絹布の 織ものハ、蜀江あや おり、蝦夷にしき金 らん緞子繻子び らふとらしや厚板 りんすしやうじやう緋ハ いふにおよハす、国々の 名産西陣桐生 のおりもの其外 京はぶたへ丹後 ちりめん筑前 はかた信州上田 甲州ぐん内相州 □□武州ちちぶ | 時に滅もの也、惣而夜八時桑一度 宵四時一度可懸、毛蚕ニハ昼数度 可懸也、其砌竹箸ニ而手広可致、 獅子鷹暑の節ハ、南窓有之家ハ 惣不残明広可休、南風ハ暑中たり共 |
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加賀きぬ奥しう ふくしまのかるぎぬ 結城つむぎあをめ じま伊豆八丈縞、 そのしなじなハかわ れども、みなかひこ にて織ものなり、 されバ此道をわざ とするものいよいよ 大切にこゝろへ、常に しんじんおこたりな く慎んて養蚕 いたすべきもの也、 歌に 天降り給ふ | 悪と心得、譬四度の休ニ起不揃共 桑不離様肝要也、唐土の書ニも悋 一蚕害九蚕と書たり、一同蚕揃 度長休為致時ハ害成理也、休居時 手入不苦、起初ハ必不可手附、三四度 |
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神こそ養蚕なれ あらゆるひとのたすけなりせば 眼のまへの罰と利生ハ蚕飼なり あたりちがひは我にこそあれ | 桑附る後迄嫌初度の休ハ七八日 極最上也、余早ハ不宜、蚕生出ハ黒 延たるハ吉、黒共太短ハ悪し、神虫 赤色又ハ頭計大毛蚕這出る時ハ、 舟より皆死る者也、猶又神虫揚節ハ |
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糸機のをしへやまさに神ならん 直ならざれバ織られざりけり 千金の黄金虫とハ養蚕なり こゝろに着せよ錦あやおり | 随分曳理を拾、其跡へ桑を懸、 二日程拾、其後打桑不残懸可 揚、第一繭大振ニ而〆り能、練張有而 一枚種ニ干、繭五貫目より十貫目位 慥成物也、又少若揚蚕ハ吟計能見へ、 |
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一説に曰、蚕の神を 祭ること日本の古 をかんがふる軻過 突智埴山姫に あひてわかむす びを産、此神の はしらに蚕と桑 と生れりと神 代のまきに見へ たれバ、ほんてう にてハわかむすび を祭るべきもの 歟、又人皇第 二十代雄略天 皇の御后、みづ | 候共柔ニ而、貫目無之糸目不足也、度々 蚕尻を取候而糸ニ不足と云事なく 都而夜中ハ不曳、朝五ツ時より暮方迄、 曳るもの也、尚委ハ養蚕章ニ詳也、 都而絹布の類ハ皆蚕より成物ニ而、是 |
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から蚕飼し給ふ こと日本記に見へたり、 唐土にてハ黄帝 の后せいりうしを はじめとすること つらんといふ書物に 出たり、返すがえすも 是を麁抹になす ことあるべからざる ものなり、 | 全天よりして世を助の品なれバ、疎ニすべき 無道理、只養蚕の中違ハ其身の愚 故と心得、偏ニ致大切時ハ自然と天理ニ 叶、其家富貴繁昌可為永久者歟、 (蔵書印「佐藤園右衛門」あり) |
嘉永三庚戌歳八月改正 東都通油町 藤岡屋慶次郎板