問屋株仲間

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 また、この税制改革と密接不可分のものとしてとられたのが、三港における問屋株仲間の新設である。箱館には、いつころからどのような問屋が発生したものか、正確にはわからないが、『新羅之記録』に見られた中世期の問屋が、一時不振に陥ったあと、近世に入って何らかの問屋の機能を果たす商人があったと思われるが、遺憾ながらそれを証明するものがない。しかし、松前・江差の2港では、すでに元禄期に船役金を徴収する問屋があり、松前では享保7年問屋仲間15軒を認め、元文4(1739)年小宿15軒を新設している。
 この問屋株仲間箱館に出来たのは、延享5年である。すなわち、
 
      乍恐以書付願上
一 先年より唯今迄私共船宿相勤め来り候所、此度増御口銭御取立の儀、御定目を以て仰付けられ畏み奉り候。然る所当所問屋株式相定め申さず候故、諸事船手直売仕り、猥りに罷成り吟味成り兼ね申し候。これに依って問屋株式私共に仰付けられ下し置かれ度く願上げ奉り候事。
一 当所年中入船八、九十艘ならで御座なく候に付、小宿の義余計御座候ては家業に相成り申さず候間、御了簡の上何軒と仰付けられ下し置かれ度く願上げ奉り候事。
一 今度仰付けられ候御定目の表増御口銭の儀、私共に御任せ遊ばされ麁末これ無き様仰付けられ候。これに依って問屋株式小宿共に相定りこれ無く候ては吟味仕り候儀成り兼ね申し候。万一不埒の義御座候ては、船・船宿共に難儀に及び申し候間、何卒御慈悲を以て問屋儀定仰付けられ下し置かれ度く願上げ奉り候。
一 四月上旬頃より大坂廻船等罷下り申すべきに付、諸品売買増口銭取立の儀、唯今の通りにて猥りに相成り申す間敷様に存じ奉り候。右願の通り仰付けられ下し置かれ度く願上げ奉り候事。
一 毎々より諸廻船難船の節、私共罷出相勤め申し候。此末共に難船の砌(みぎり)随分相勤め御公儀様御苦労に相成り申さざる様に仕るべく候。若し手勢にて及び兼ね候はば御人足御願い申し上げ度く存じ奉り候事。
右之趣御叶え下し置かれ候様に仰せ上げられ下し置かれ度く願上げ奉り候。以上
     延享五辰年三月十六日

同       兵右衛門
同       半兵衛
同       喜左衛門
同       武兵衛
同       太郎右衛門
箱館問屋頭 宗太郎
亀田御名主 七郎右衛門殿(『箱館問屋儀定帳』)

 
 この願書は名主から亀田奉行酒井伊左衛門に提出し、伊左衛門から藩主に伺いの上5月22日付をもって、浜田屋(井口兵右衛門)長崎屋(佐藤忠兵衛)秋田屋(芦野喜左衛門)亀屋(蛯子武兵衛)角屋(榊太郎右衛門)若狭屋(荒木宗太郎)の6名へ株式の許可があった。その後、天明元年に和賀屋(白鳥宇右衛門)、文政6(1823)年中村屋(中村孝兵衛)、嘉永3年大津屋(田中茂吉)、加賀屋(藤田長右衛門)が追認されて幕末には10軒になっている。