問屋の機能

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 現存する沖ノ口関係法令や問屋議定書などによって、松前三港問屋の機能を分類すると、(1)船宿的機能(沖ノ口御番所改・沖ノ口口銭の徴収を含む)、(2)純商業的機能(物品の委託販売・倉庫業)、(3)場所の断宿(ことわりやど)(但し松前・箱館だけ)、(4)不正品取締・難破船の救助、等になるが、これを見てもわかるように、三港の問屋は、本来分化すべき諸機能を未分化のまま、1間屋の機能として具備していた。従って一般的な発展形態としての詰物品問屋・専業問屋の発展段階からみて、いわゆる諸国の詰物品問屋の類型に属することになるが、同じ詰物品問屋という性格を持ちつつも、敦賀の売問屋新潟の大問屋大坂の荷受問屋などと同一形態ではなく、松前三港において問屋機能を持つものは、この株仲間の問屋小宿のみで、仲買問屋のようなものが存在しなかったこと、更に沖ノ口口銭の徴収権を所有していること、場所断宿という特殊な機能を有していたこと、などにおいて著しく異なるものであった。
 すなわち、第1の船宿的機能とは、決して船頭の宿所というような単純な機能だけを指しているのではなく、沖ノ口番所改と沖ノ口口銭の徴収および船の売買・譲渡・海難事故・訴訟に際し、代理人・保証人となるというような機能も含まれていた。つまり一般的な船宿としての機能とともに、本来藩の行政機関の一部で沖ノ口番所の機能である、沖ノ口番所改を中心とする船舶に関する公的業務面の一切の機能をも含まれているのである。こうした機能は問屋の独占的な機能であって、小宿には全くなかった。
 このような問屋船宿的機能の独占的な性格は、即取扱商品の独占的支配を意味し、問屋にとっては、諸廻船の船宿たる権利の多少が、問屋利潤に直接反映してくる重大な問題となった。そのことから、元来船手にとって、船宿とする問屋をどこに決めるかは自由であったにもかかわらず、商品流通の発展に伴い出入船舶数が増加するにつれ、船手側の宿替え現象が顕著になってくると、問屋側は宿替えを制限する動きを示した。こうした動きがでてくるのも、廻船の船宿になることが単に船頭の宿所となるという意味以外に、廻船の荷物そのものを統制し取扱えるということを意味していたからに外ならない。
 更に問屋として本来の純商業的機能も、右のような機能と密着することによって、はじめて実現され、かつ保証されたため、問屋側にとっては、船手の荷物に対する支配関係をどこまで強化するかが、即独占利潤を実現し得るか否かという重大な問題になった。
 また、問屋機能の重要なものとして、断宿としての機能がある。断宿という言葉は、主に文化期以降に使われるようになったが、それ以前には、御断表・場所請負宿・場所問屋・断り問屋などと呼ばれており、その機能は同じである。箱館問屋大津屋の『田中家記録』は、この断宿について次のように述べている。
 
 断宿ナル者ハ、漁場二於テ獲ル所ノ物産ハ勿論、漁場へ逓送スル所ノモノヲ始メ、彼場ニ生スル事故共ニ都(すべ)テ断リ宿ノ手ヲ経由シ、其売買逓送、進達ノ義遍ク負担スルニ依リ、売買高ニ応ジ、口銭ヲ受クルヲ法トス。百事皆断宿ニ係ルヲ以テ此名儀ヲ来タセリ。

 
 また『函館商業の慣例』には、
 
 請負人が望む所の問屋を保証人に立て、松前藩に出願するを例とす。此問屋が保証人となるは、各漁場の豊凶に拘はらず、課定されたる運上金を若し請負人に於て怠る時は、代って納むるの義務を負うものなり。此義務を尽すが為めに、請負人の保証に立ちたる場所は、大概生産物の積荷を指揮するなり。

 
と、記している。
 この両史料からすれば、断宿の基本的性格は、場所請負人の保証人となるかわりに、その反対給付として場所産物に対する指揮権、すなわち、場所産物の売買に当っては必ず断宿の指揮を仰ぎ、かつ売買高に応じて一定の口銭を収得するという、独占的な権利を有しているところにあった。もっともこうした性格は、場所請負制が完全に定着した以降のことで、箱館場所請負人の発達過程で、いつころからこのような慣例が出来てきたかわからないが、松前の問屋では、すでに延享4(1747)年に問屋の場所産物に対する指揮権が一応確立していたことを示す史料が見られるから、箱館問屋株仲間の成立時期には、問屋機能の重要な部分として見込まれていたとみることができる。