問屋口銭をめぐる対立

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 ところが、こうした市中商人の成長は、特権商人である問屋商人との間の矛盾となって、両者の対立関係を生じさせた。すなわち、
 
          乍恐以書付願上
一 拾ヵ年以前子年(文化元年)問屋共より、市中商人の登せ下しの荷物代金より口銭弐分通受用仕り度き段、書付を以て願上げ奉り候に付、熱談仕るべき哉の趣相談候得共、御私領より仕来りと申し市中小前迄も相凌ぎ候事故、出来難き趣申上げ奉り候処、其節当所御奉行所に於て御評議の上、御沙汰に及ばれ難く御利解仰せ聞かされ、問屋共より書上げ奉り候願書御下げに相成り、市中一同有難き仕合せに存じ奉り候と安心仕り候。
一 三ヵ年以前未年(文化八年)二月亦々問屋共より、上下の荷物より口銭受用仕り度き段御願書申上げ奉り候に付、其節も市中商人共打寄り相談仕り候得共、迚も熟談出来兼ね候に付、御答書を以て申上げ奉り候処、御憐愍を以て仕来りに成し下し置かれ候段重々有難く存じ奉り候。尚亦荷物積入買方等は去る未の年答書に申上げ奉り候通り、問屋には船手より運賃銀高に応じ片金と唱え受用もこれ有り候。然る処今度又々願書を以て願奉り候趣粗承仕り候間、町会所へ相伺候得ば、右願書は取次申さざる趣には候得共、問屋共より願書差上候趣に承知仕り候。これに依り重々恐れ多く存じ奉り候得共、何卒御憐愍を以て御私領仕来りに仰付成し下し置かれ候様、市中一同御慈悲の程、恐れながら書付を以て願上げ奉り候。以上
     酉二月
                             箱館地蔵町商人惣代 惣十郎
                                           甚右衛門
                             同  内澗町同      与三郎
                                           伊兵衛
                                           藤七
                             同  大町同       久太郎
                                           七郎兵衛
                                           喜兵衛
                                           次兵衛
                             同  弁天町同      伝之助
                                           清六
                                           与兵衛
                                           忠右衛
                             同  仲町同       喜惣治
                             同  神明町
                             同 鰪澗町       万六
                             同  山上町同      八郎右衛門
                                           善吉
                             同 大黒町同      三吉郎
                                           清左衛門
     箱館 御役所                           (『文化御用留』)

 
 この文書に見られるように、松前藩政時代には、市中小商人の注文品については、問屋口銭(沖ノ口口銭でない)が免除されていたが、文化元年に至って問屋側から口銭2分を徴収したい旨の願書が出された。箱館奉行所はこの要望をしりぞけ、従来通り問屋口銭を免除したが、文化8年2月に至って再び問屋側は口銭徴収の願書を出した。しかしこの際も市中商人側は、受けがたい旨答え、幸いに再度従来通りということになった。本来市中商人の注文荷物については、すでに船手から運賃に応じて、片金と称する問屋口銭に相当するものを支払っている。今回又々問屋側から口銭徴収の願書が出ているように聞いたが、従来の通り口銭は免除してもらいたいというものである。
 この問題はそもそも何を意味するものであろうか、問屋側の口銭徴収要求の具体的な理由はわからないが、問屋側がこうした要求を再三出してくる裏面には、市中商人の取扱荷物が次第に増加してきたという事実があったものと考えられ、そうした新しい形の商品流通に対する問屋商人の食込み策がこのような問題を醸し出したものとみられる。すなわち前記願書は、特権商人である問屋商人以外の市中商人が、次第に成長しつつあり、そのため小商人を主体にした新たな商品流通が形成されていたことを物語っている。問屋商人はこれに対し積極的な統制策を採りはじめ、新たな問屋口銭を徴収することによって、そこから大きな利益を得ようとした画策ではないかとみられる。
 しかし問屋側は、市中商人の注文品からは、すでに片金という名目で、運賃からそれ相当の中間的マージンを徴収しており、片金の外に更に2分口銭をとることになれば、二重の口銭をとることになり、市中商人側が強い反対行動に出たのも当然であった。この市中商人側の強い反対運動の結果、願書がいまだ名主の手元にあるうちに問屋側はその要求を取下げ、結局従来通り問屋口銭は免除という形で落付いたのである。