一、魚類・タコ・イカの類

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タコ
 種類はマダコ、ミズダコ、コダコなどがあり、マダコのオスを方言でショウダコという。
 漁期は十月中旬から十一月上旬にかけて、イソガニなどを食うために海岸近くに寄って来る。磯辺の浅いところにまで来る。十二月上旬から二月にかけては、水深一八〇米位の沖でとる。
 海岸近くへ寄ってくるタコは、磯舟に乗ったり、磯辺を探し歩いてタコカギでとる。沖でとる方法は二種ある。一つはタコ繩と称し、延(のべ)繩の鈎(はり)にサメなどを餌にしたものでとり、もう一つの方法はイサリと称し、丸く扁平な石にかぎ針を何本か結(ゆ)いつけ、それにサメ、ゴッコ(ホテイウオ)人蔘、赤い布切(ぬのきれ)などをつけ、それを舟で曳きながら流れる。イサリの一種にダマ流しという方法もある。最近では内浦湾でやっているタコ箱による方法も用いられるようになった。
 戸井のタコの産額は統計上では砂原、鹿部を抜いて渡島管内第一位である。
 
イカ
 種類は殆んどスルメイカである。昔はすべて磯舟に二人乃至三人乗りこみ、車ガイをこいで自村沖で釣った。
 明治二十九年頃から川崎船時代になり、越後川崎、越前川崎、加賀川崎などの種類があり、それぞれ型が異っていたが、大体五間船で、順風の時は帆走し、風のない時は七丁ろ(○○○)でこいだ。七丁ろ(○○○)というのは、左右両舷に各三丁、ともろ(○○○)一丁である。昭和にはいってから発動機船時代にはいり、漁況を聞いて恵山沖、函館沖、大畑沖などに出漁するようになり、その行動範囲が拡大した。
 磯舟時代や川崎時代は、何日も何日も大漁が続き、その処理に手の廻らないことがあったが、大漁が続くとスルメの価格が暴落し、漁民は大漁貧乏を嘆いたものである。
 漁具は磯舟時代、川崎時代、発動機船時代にかけての長い間トンボ、ハネゴと称する二種であったが、近年巻取式のイカ釣り漁具が開発されて、現在はすべてこれに変り、トンボやハネゴは姿を消してしまった。
 漁期は夏イカ、秋イカ、後(ご)どりイカに分けられ、夏イカは七月中旬頃から八月下旬頃まで、秋イカは九月上旬頃から十一月中旬頃まで、後どりイカは十一月下旬以降のものを称している。夏イカは魚体が小さく、肉が薄く、秋イカは魚体が大きく、肉が厚い。スルメの相場は昔程ではないが変動が大きい。
 イカは戸井では、昆布に次ぐ漁獲高の水産物である。
 
マグロ
 昔は戸井のマグロは有名で、マグロ大漁で村が湧(わ)きたち、マグロ成金が出来たものだが、昔日の面影はない。
 漁期は七月下旬から九月までで、昆布の最盛期である。価格がいいので、年によっては昆布漁をすててマグロ漁にかかる漁民もいるが、不安定な漁業である。
 漁区は汐首沖から尻岸内沖までで、漁民の俗称江差山を出した沖である。漁法はマグロ繩と称する延繩に生きたイカやサバを餌にしたもので釣る方法と、引き繩と称して一本の繩にトビウオ、イカ、サンマを餌にして船で曳いて釣る方法及び一本釣と称して、生きたイカやサバを針につけて釣る方法とがある。長年魚釣りをしている漁民でもマグロ釣のスリルと醍醐味は忘れられないといっている。
 マグロ成金のできた時代のマグロ漁は網でとったのである。
 
ブリ

ブリ

 ブリは大きさ(魚令)により、小さい方からフクラゲ、アオ、ブリと区別してよんでいる。漁期もそれぞれ異なる。フクラゲは七、八月、アオは七月から九月まで、ブリは九、十月が漁期である。ブリの最も美味な時期は、二百十日以降である。この時期のブリの味はマグロ以上に美味である。
 漁法は一本釣り或は引きぱりと称し、生きたイカを餌にして船で曳いて釣る。もう一つの方法は、延繩に生きたイカを餌にして釣る。蝦夷時代から明治時代まで、桧(ひのき)などでつくった長い竿(シャグデと称した)に鹿や牛の角でつくったものに針をつけ、それにフグの皮や、鶏の羽毛をつけた擬似針をもって磯辺に立ってブリを釣った。蝦夷はブリをオソボロスケと称した。
 漁区は汐首沖から日浦沖まで、俗称ダラダラ山を出した海域で釣れる。
 
ババガレイ
 方言でバッコと称し、寒(かん)バッコと夏バッコとに分けている。寒バッコは一月から三月中旬頃までが漁期で、夏バッコは五月から六月下旬までが漁期である。ババガレイの最も美味な時期は、卵の熟した頃の寒バッコである。四月に産卵する。
 漁法は延繩であり、餌はアサリ、アオヤギ、アカザラ、カラスガイなどの貝類の肉を使う。漁区は汐首沖から武井の島沖あたりまでで、俗称笠山出(だ)しの海域で釣れる。
 
カスペ(和名アカエイ)
 漁期は十一月から一月にかけて釣れる。漁法はイカの餌をつけた延繩である。漁区は日浦沖の水深五、六十米のところで釣れる。和名アカエイ(一本尾)ガンギエイ(二本尾)が多く釣れるが、漁民はこの仲間のものをすべてカスペと称している。
 
サメ
 戸井近海で多く取れ、商品価値のあるサメの種類は、カトウザメ(方言カドザメ或はモウカザメ)ホシザメ、アブラザメなどである。種類によって漁期が異なる。
 カトウザメの漁期は七、八月であるが、一月にもとれる。延繩でとる。魚体も大きく価格もよい。海域は汐首沖から恵山沖までである。特に原木根(はらきね)あたりで多くとれる。
 ホシザメは六月から七月にかけて、戸井沿岸一帯でとれ、他の魚の延繩にかかってくる。このサメのサシミは特美味だと戸井の漁民がいっている。
 アブラザメは鰮大漁時代に多くとれたサメであるが、現今でも漁獲量の多いサメである。漁期は十一月から翌年の六、七月頃まで釣れる。漁区は汐首沖から日浦沖までである。
 
コウナゴ(コナゴ)
 漁期は五、六月の夜間で、漁法は強力な電磴の光で海面を照らし、コウナゴが光のところに集まるのをとる。それを棒受け網と称するスクイ網でとる。チリメンコナゴと称しているのは特に小さいものをいい、モグリと称しているものはコウナゴの成長したもので、海底の砂にモグッテいるので漁民はモグリとよんでいる。
 
エゾイソアイナメ(ドンコ)
 方言でドンコと称しタラ科に属する魚である。最盛漁期は三月の雪どけ時期である。方言でユキシロ水といって、雪どけ水で海水の濁(にご)る時期に多くとれる。深海魚の一種で漁民がフケと称する下北近くの海溝附近の水深一八〇米くらいのところで釣れる。然し夜は沿岸に寄って来ることがあり、戸井漁港の岸壁の夜釣でつれることがある。この魚は函館市の魚屋などでも売られていないので都会の人々は下等な魚として、食うことを知らない魚であるが、戸井では味が淡白で美味な魚とされている。
 戸井ではカマボコやサシミにして食べているが、「ドンコの上(のぼ)り焼き」は天下の珍味とされ、戸井の名物の一つに数えられている。ドンコの上り焼きというのは、この魚のはらわたを取り去り、この魚のアブラ(肝臓)を腹の中に入れ、頭を上にして剌(くし)にさし、炭火(すみび)で焼き、焼きたての熱(あつ)いうちに醤油をつけて食うのである。

ドンコ(エゾイソアイナメ)

 
ヒラメ
 方言でテックイと称している。サシミが最も美味である。漁期は七月から十一月頃までであるが、釜谷沖では三月頃までも釣れる。昔はカレイ類を釣る方法で釣っていたが、最近ではヘラ釣りと称し、ごはんを盛るシャモジのようなヘラに針をつけ、生きたドジョウを餌にして釣る。
 
オヘヨウ
 カレイ類の最大なもので、漁期は二月三月である。漁法は方言でテンテンという擬似針の一本釣りである。
 
アイナメ(アブラコ)
 方言でアブラコと称している。関西方面ではアブラメといっている魚である。サシミとして賞味される。延繩で釣るが、沿岸の竿釣りでも多く釣れる。
 
ウミタナゴ(タナゴ)
 漁民は単にタナゴとよんでいるが、淡水に棲むタナゴと区別するためにウミタナゴの和名が与えられている。
 漁期は七、八月である。この時期には沿岸近くに寄って来る。それを波打際近くでサシ網でとる。夏なので海中にもぐってヤスでとったりする。盛漁期のウミタナゴには、胎生児がはいっている。卵胎生の魚の一種である。
 口のとがったウミタナゴを戸井の漁民はトトグチと称している。
 
スズキ
 漁獲は少ないが、六月下旬から十月下旬までとれる。沿岸の岩礁地帯の、波頭が岩にくだけて白く泡立つところで、擬似針で磯釣りする。船で釣にはヘラ釣りをする。サシ網にかかることもある。スズキは中国では昔から珍味な魚とされている。
 
マアナゴ(ハモ)
 方言でハモとよばれているが、道南で漁獲されるものはハモではなくて和名マアナゴである。漁期は八月九月頃で、磯釣り(砂浜)したり、船では沿岸に寄ってきたものを延繩で釣る。
 
マス
 種類はいくつかあるが、戸井の沿岸や近海でとれるものはサクラマス及び方言でアオマス(イタマス)とよんでいる種類である。
 サクラマスは一、二月、アオマス(イタマス)は三、四月にとれる。漁法はサシ網とヘラ釣りである。
 
イワシ
 昔の大漁時代にとれたイワシは方言で、ヒラゴとかナナツボシといわれたイワシが多かったが、現今では殆んど回 しなくなった。十月下旬から十一月中旬頃にかけてウルメイワシ(方言マルイワシ)やカタクチイワシ(魚体の小さいものを方言でジャミイワシとよんでいる)が回遊する。昼間潮流に巻かれて、海面に浮かび上ったものを大きなタモ網ですくいとったり、夜間強力な集魚燈でイワシを海面に浮上させ大きなタモ網ですくいとったりする。イワシの回遊が少なくなってから約三十年もたっていてイワシ漁の船や網や漁具がなくなったので、イワシ網で大々的に漁獲する光景は見られなくなった。晩秋から初冬にかけて、潮流や波の関係でジャミイワシやマルイワシが海岸に打ち上げられることがある。
 イワシは戸井の黄金時代を築いた夢の魚であり、幻の魚である。「夢よもう一度」と考えている古老はまだいるようだ。
 
サバ
 イワシの回遊する十一月頃にとれる。イワシ大漁時にはイワシ網にたくさんかかり、人々はイワシの中からサバを選び出して食べたものである。戸井の沿岸や近海でとれるサバはマサバ(方言ヒラサバ)ゴマサバ(方言マルサバ)などで、ゴマサバは稀に漁獲されるだけで、マサバが多い。七月頃にとれることもある。
 
ホテイウオ(方言ゴッコ)
 漁期は真冬で、一、二月頃にとれる魚である。オタマジャクシの化け物のようなグロテスクな形態の魚なので、都会人は食うことを知らない。戸井の人たちは昔からこの魚をゴッコとよぴ、和名ホテイウオということを知ったのは最近のようである。今でもたくさんとれるが昔ほどではない。昔はものすごくとれてもて余し、イワシのようにナツボに入れ、イワシ粕ならぬゴッコ粕にして肥料にしたものである。脂肪の多い魚なので干して風呂をわかす燃料にした時代もある。役場の前の崎をゴッコ澗の崎といっているが、ゴッコの大漁の続いた時代につけられた名であろう。ゴッコのとれる一、二月はこの魚の産卵時期である。戸井の人々はゴッコ汁と称して、生のゴッコに豆腐、ジャガイモ、ネギなどを入れて味噌汁にして賞味する。又生干(なまぼ)しにしたものを焼いたり、煮つけたりして食べている。近世になってから函館あたりの魚屋の店頭に姿をあらわし、相当いい値段で売られている。
 この魚はアリューシャン列島、千島樺太、北海道に分布する北海の魚である。一、二月に産卵のさめ沿岸に群遊し、産卵期が終ると全く姿を消してしまう忍者(にんじゃ)のような魚である。メスはホテイのようにふくれた腹に、驚く程大量の卵を入れている。沿岸で孵化した稚魚は、生れてすぐ深海に去るものか、長年漁師をしている人でも、ゴッコの稚魚を見たという人はいない。ゴッコの生態は謎である。北大水産学部で戸井の海に産卵されたゴッコの卵を、人工孵化して稚魚を確認したが、自然の状態でいつ孵化し、稚魚は何日位して沿岸から去るかはまだ解明されていない。
 ゴッコは鈍感で泳ぐのも遅く、カギで簡単にとれる。干潮時に逃げ遅れて、磯に取り残されカラスに食われているのをよく見かけることがある。大量にとるには網でとる。鈍感な魚なので、文字通り一網打尽(いちもうだじん)である。

ゴッコ(ホテイウオ)

 
カジカ
 カジカは種類が多く、和名でよんでいるものも若干あるが、方言でよんでいるものが多く、専門家でなければ和名と実物、方言名と実物とは一致しない。漁民がとって食べているカジカだけは、漁民自身実物と方言名と一致しているが、さて漁民のよんでいるカジカの和名を調べることは容易でない。
 漁民のいうカジカの名を並べて見るとギスカジカ、ゴモカジカ、ベロカジカ、ナベコワシ、トウベツカジカ、カワムキカジカ、オイランカジカなどである。
 図鑑や参考書で調べて見た結果、ギスカジカ、ベロ、ナベコワシ、トウベツカジカは和名のようである。ギスカジカは別名チチビツカジカで方言でゴモカジカとよんでいるものらしい。ベロカジカの学名はベロである。トウベツカジカが和名で方言名がカワムキカジカ、オイランカジカというものらしい。ナベコワシというカジカは「漁師の飯場で大きな鍋にこのカジカの味噌汁をつくって、大ぜいの人があまりおいしいので『まだないか、まだないか』といってシャモジで鍋の底をつっついて鍋をこわしたというくらい美味なカジカだから『鍋こわし』という名前をつけた」という話を聞いたことがあるので、方言だと思って図鑑で調べてみたら立派な和名であることがわかった。ベロカジカもベロベロしているのでつけられた方言だと思っていたら、学名をそのままとった和名であった。学名は「ベロ・エレガンス」である。ベロは模様が非常に美しいカジカである。学名はエレガンスなベロ、上品なベロという意味であろう。ベロカジカの味噌汁の味も天下一品である。
 トウベツカジカ、方言名カワムキカジカは鹿部の海で大量にとれる。時期は十一月中旬から十二月上旬である。鹿部地域では、このカジカとその卵をまぜて「いずし」をつくる習慣が昔からある。どこの家でもカジカのいずしをつくり正月にフタアケをし、方々へ廻して味自慢(じまん)をしている。
 
マンボウ(方言キナンボウ)
 方言でキナンボウとよぶグロテスクな形態の魚である。戸井近海で魚釣りの船が稀に捕獲する。魚体が大きく、七、八月から十一月頃までの期間に、海面に体を横にして浮いている。建網などにはいることもある。浮いているキナンボウは、逃げもかくれもしないので、カギなどで引っかけて簡単に捕獲することができる。鹿部のあたりでは好んでこの魚を食うが、戸井ではあまり食べない。ボヤボヤしている人を「このキナンボウ野郎」などという。
 
ホッケ
 六月頃とれる大衆的な魚である。漁法はテンテンの一本釣、延繩、網等でとる。盛漁期には大量に漁獲される。
 日持上人の渡唐の伝説から推量すると、昔はこの近海でとれなかったものであろう。日持上人にまつわるホッケの伝説は次のようなものである。
 「蝦夷地へ渡って石崎に四年間滞在した日持上人が、渡唐を決意して椴法華に至り、ここから唐に渡った。日持上人が椴法華を去る時に『私がこの地を去った後、この近海で見なれない魚がとれるようになるだろう』といった。日持上人が去ってから予言の通り見なれない魚がとれるようになったので、村人はこの魚にホツケという名をつけた。又村の名を渡唐法華と名づけた」と。
 この伝説は牽強付会(けんきょうふかい)のつくり話で、椴法華という地名は蝦夷語トーボケの転訛したもので、岬の蔭の意味である。ホツケはアイナメ科である。
 
スケトウダラ(方言スケソ)
 十一月頃から二月頃までの冬期に大量にとれる魚である。内浦湾沿革の漁村では莫大な漁獲量があるが、戸井沿岸では産額が少ない。刺網でとる。スケソは棒ダラ、スキミ、珍味加工などになり、卵はタラコに製造されて本州方面に移出される。戸井では鹿部あたりからスケソを買ってきて加工している。
 
マダラ(タラ)
 高田屋全盛の頃、本州方面の需要に着目し、恵山、椴法華沖にタラ漁場を発見して、大量に漁獲したが、高田屋が没落してからは、一挙にタラ漁業が衰退した。
 戸井では単にタラと称している。漁期は五、六月から一月頃までであるが漁獲量は少ない。タラは寒流に乗って南下してくる深海魚である。水深一五〇米ぐらいの所に多い。
 箱館戦争後、榎本武場がその罪を許され、開拓使の役人になり、明治七年(一八七四)に尻岸内村に約一ヶ月滞在して、タラの肝油の試験製造を行った。開拓使が肝油の製造を試みたくらいだから、この頃も恵山、椴法華近海大量のタラがとれたことがわかる。
 
カレイ類
 ババガレイ、ヒラメ、オヘヨウなどの外にマガレイ、イシガレイ、スナガレイ、ミツクサガレイ、サメガレイ、マツカワ、アブラガレイ、ソウハチガレイなどがとれる。
 マガレイ、イシがレイ、スナガレイは五、六月、マツカワは別名をタカノハと称し七、八月にとれる。サメガレイは二、三月にとれるが、漁獲量は少ない。ミツクサガレイは年中とれる。アブラガレイは二、三月頃とれるが、殆んど食べない。津軽海峡はカレイ類の種類も多く、漁獲量も多い。カレイ類は殆んど延繩でとる。
 魚類図鑑を見るとカレイ類(カレイ科・ヒラメ科)の殆んどは「北日本に分布す」と書かれている。これによってカレイ類は北国に多い魚であることがわかる。
 
カサゴ科の魚 ヤ、ソイ、メヌケの仲間
 戸井ではカサゴ科の魚がたくさんとれるが、カジカと同じように殆んど方言でよんでいるので、実物によって和名を調べることの困難な種類である。
 方言でよんでいるものを挙げてみると、ガヤ、メヌキ、ビッキゾイ、モンキゾイ、ソイなどである。魚類図鑑で「北日本に分布する」と書かれているカサゴ科の魚を挙げてみると、サンゴメヌケ、バラメヌケ、コウジンメヌケ、ヤナギノマイ、クロゾイ、セイカイ、シマゾイ、キチジなどがあるが、このうちヤナギノマイ、クロゾイなどは、和名でよんでいるようだ。
 サンゴメヌケは方言でヒカリサガ、ムロランサガ、バラメヌケをバラサガ、ガメサガといい、ソイ類のクロゾイは和名通りによぶ外に、方言でナガラともいい、シマゾイをビッキゾイ・ムラゾイをモンキゾイなどとよんでいる。
 戸井でとれるカサゴ科の種類についても、戸井の漁民に聞きながら、いろいろな魚類図鑑や参考書で調べて見たが、いろいろな方言があり、方言名と和名を一致させるのに苦労した。
 ウミタナゴは卵胎生で、親魚の胎内で受精し、稚魚になって生れてくるが、カサゴ科の種類も殆んど卵胎生である。カサゴ、ガヤ、サンゴメヌケ、オオサガ、バラメヌケなどの、繁殖時期にとれたものの胎内に稚魚をはらんでいるのをよく見かける。
 ガヤ、ソイの仲間は年中とれるが、メヌケの仲間は三月にとれる。カサゴ科の漁法は殆んど延繩か一本釣である。
 
サンマ
 七、八月頃、戸井沿岸にサンマが回游する。夜間集魚灯で海面に浮上させ、棒受網でとる。
 
アンコウ、トビウオ サヨリ、カナガシラ
 稀に漁獲される程度で、漁獲量は少ない。
 
食べない魚 ハゴドコ ガンズ、フグ
 磯釣りや沿岸の延繩でたくさん釣れるハゴドコはアイナメ科に属し、和名をクジメと称する魚で、沿岸の岩礁地帯に棲息している。戸井の人々は磯くさいといってこの魚を食べない。又磯では方言でガンズとよんでいる魚が釣れる。ガンズにも種類が多い。ガンズはギンボ科に属し、戸井の沿岸で釣れるものは、和名ムスジガジ、エゾガジ、ウナギガジ、ナガガジ、ナガヅカなどである。
 ガンズの仲間も戸井の人々は食べない。戸井では方言でナメラフグ、マメフグとよんでいるフグがとれるが、殆んどの人々は食べない。毒の部分を除いて料理すればおいしいことはわかっていても、美味な魚が何でもとれるので、命を落す危険をおかしてまでも食うという気にならないのだろう。休日には戸井漁港の岸壁に、函館あたりからたくさん釣り人が来る。フグやドンコの小さいのが釣れると岸壁のあたりに捨てて行く。鳥(からす)が集まってきてドンコは食うが、フグは絶対食わない。鳥の霊感は人間よりもすぐれているようだ。
 
珍稀な魚 ミズウオ、ハリセンボン、シギウナギ
 ミズウオは熱帯地方の深海魚でグロテスクな魚であるが、黒潮に乗って下海岸や蔭海岸にまで北上し、海岸に打上げられているのを稀に見ることがある。漁民はこれをタチウオとよんでいる。海岸に打上げられても、食用にならないので誰も手をつけない。この魚は日光に当っただけで肉がとけ、煮ると肉がとけて水になってしまう。このことからミズウオの和名が与えられたのである。
 昭和四十三年一月十六日、磯でとったといって小学生が変った形態の魚を持って来た。調べてみるとシギウナギという珍魚で、北海道では「厚岸湾で採集されたという報告がある」と図鑑に書かれている珍稀な魚であった。
 フグに似た形態で体にハリネズミのように剌(とげ)を持った魚が稀にとれることがある。これはマフグ科ではなくて、ハリセンボン科に分類されているハリセンボンという珍魚である。漁民はこの魚をクマサカなどとよんでいる。
 
戸井ではとれないが、戸井の人々が食べている魚 ハタハタ コマイ
 ハタハタは秋田の名物の一つにされているくらい、たくさんとれる魚であるが、北海道でも鹿部や釧路などでとれる。
 冬至の頃、産卵のために沿岸に寄ってくるのを網でとる。したがって漁期は一週間くらいである。
 コマイは氷魚、氷下魚などという漢字を当てられている魚で、厳寒期にとれる。昔の秋田八郎潟の氷下魚漁は有名であった。結氷期の樺太で、海上の氷に穴をあけて釣ったというカンカイという魚はコマイのことである。カンカイは樺太アイヌのつけた名であろう。最近酒のつまみとしてコマイの乾物が店で売られている。