管内の町村の起源(資料)

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 渡島管内一市一五町一村の和人来住の始めの記録を、市町村史、町村要覧、行政区画便覧などを参考にみると次のような概況となる。
 戸井と知内が一二世紀、鎌倉初期説である。次に上磯から上ノ国、そして銭亀沢(志海苔)に至る海岸諸地域へ渡海した下国安東盛季主従らの一五世紀の館を築いた歴史がある。恵山町から郷土南茅部、そして長万部までの海岸への和人の来住は一七世紀前後という大きな流れにくくられている。
  松前町   永正一一年(一五一四) 武田二世光広、上の国より福山に築城。
  福島町   文安 四年(一四四七) 馬之助なるもの白符に来たりて鰊漁営む。
        享徳 三年(一四五四) 安東政季に従い穏内館主蒋土甲斐守季直渡海す。
  知内町   元久二年(一二〇五)  筑前の船が漂着し金塊を発見、将軍頼家に献じた。将軍の命により甲斐国伊原の郡主荒木大学が渡海。
  木古内町  嘉吉 三年(一四四三) 和人来住。
        宝徳 二年(一四五〇) 中野館主佐三郎左衛門尉藤季則。
  旧茂辺地村 嘉吉 三年(一四四三) 下国安東盛季矢不来に渡海上陸。
  上磯町   一六世紀、一五〇〇年代には和人の来住があったものと思われる。
  大野町   享保一〇年(一七二五) 意富比(おふひ)神社社殿再建とあり、凡そ元禄年間には和人の来住ありと。
  七飯町   元和 元年(一六一五) 桜木の麓に地蔵菩薩のお堂ありという。
  函館市   享徳 三年(一四五四) 河野政通が渡海、ウスケシに箱館を築いた。
  戸井町   文治 五年(一一八九) 陸奥藤原泰衡の一族が逃れて来住せりという。
  恵山町(尻岸内) 享保五年(一七二〇) 南部の人西村善次郎が来住。
  椴法華村  明暦 元年(一六五五) 能登の与五左衛門が尾札部より元村に移住。
  南茅部
  旧尾札部村 延宝 五年(一六七七) 能登の飯田屋与五左衛門が砂原より八木浜に来住。
  旧臼尻村  享保 三年(一七一八) 南部佐井村の東出屋多五右衛門が横澗に来住。
  鹿部町   元和 元年(一六一五) 南部大間地方の人四司馬宇兵衛が本別に来住。
  砂原町   天文 元年(一五三二) 津軽の蟹田村の権四郎らが来住して鰊漁を始める。
  森 町   慶長 六年(一六〇一) 鷲ノ木に和人来住。
  落部村
  八雲町   慶長年間(一五九六)  遊楽部と野田追場所の名あらわれる。
        寛永年間(一六二四~四四)  山越内に松前藩の検察所(関所)を設けた。
  長万部町  安永一二年(一七七三) 松前家始めてこの地に番屋を建て華夷の界とした。