海辺に堆積した火砕流

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写真54は平賀町唐竹(からたけ)付近に位置する、りんご園の中にみられる露頭である。この露頭をつくっている地層の様子を柱状図として表したのが図50である。柱状図には、地層の重なり順序とともに、地層を構成する堆積物の様々な特徴が表現されている。それぞれの地層の示す特徴を下位から上位の地層に向かって順次読み解くことによって、時間の経過とともに、地層がどのような環境に、どのような配置で形成されたのかを復元できる。そのような方法を堆積相解析(たいせきそうかいせき)という。ここでは堆積相解析を用いて、唐竹付近に堆積した一五〇万年前の地層を形成した環境と、どのような堆積作用が起きていたのかを考えてみよう。

写真54 唐竹付近にみられる,約150万年前の大釈迦層火砕流堆積物に富む露頭。図50に示したような観察の結果,火砕流は陸上を流れた後に海辺に堆積したことがわかる。


図50 大釈迦層(平賀町唐竹付近)の柱状図

 この崖に出ている大釈迦層と同じ時期に堆積した地層は、一番下が岩やを含んだ砂岩からなり、や砂粒を運搬したときの水流の方向を意味するクロスラミナと呼ばれる縞模様がみられる。その上には火砕流堆積物である軽石凝灰岩や、火砕流として一度堆積した物が洪水などで流されて再び堆積してできる、火山泥流またはラハールと呼ばれる地層が積み重なっている。一番上には、大きさの異なった岩石の塊を雑多に含んだ土石流堆積物がみられる。岩や砂岩は水の流れが時に反対方向となるような所で堆積しており、その時の水底にあたる地層中にはフサゴカイの仲間の巣穴がみられることから、河口が大きく開いて海に接している、エスチュアリーと呼ばれる環境であったことがわかる。火砕流は、この河川水と海水が入り交じるような浅い水域に流れ込んできたようだ。しかも、この水域に到達したときに火碎流はまだ熱かったようである。なぜなら、火砕流中にみられる脱ガスパイプの内側には周囲を構成する凝灰岩よりも少し粗い粒子がみられ、砂やも含まれている。これは火砕流が砂などのたまっている水深の浅い水域の中に流れ込んだ時に、高温の火砕流の中でガスが上へ抜け上がり、下にたまっていた砂や水を吸い上げてできたと考えられる。
 ここでは地層の積み重なりの順序から、火砕流が流出した時の噴火を次のように復元できる。最初に火口から大規模な火砕流が発生して流れ下り、海辺に達した。その後、火口からは噴煙が上空に高く立ち上って、プリニー式と呼ばれる噴火に移り変わった、と判断できる。湖沼性の堆積物の中に、細粒の凝灰岩とともに、火山豆石(アクリーショナリーラピリ)が層をなして何枚も含まれているからである。
 膨大な量の火砕流を流出した活動の後には、安山岩のマグマが上昇して溶岩ドームとなり、碇ヶ関カルデラの周りに小さな山がいくつも新しくできた。またカルデラの中央部に上昇してきたマグマは安山岩の溶岩からなる小山をつくった。頂上が比較的平らな現在の阿闍羅(あじゃら)山がその名残である。山頂を構成する溶岩は、山麓に分布する凝灰岩に比べると風化に強いので侵食に取り残され、現在、矢捨(やすて)山、阿蘇ヶ岳三ッ森などと呼ばれるようになった。阿蘇ヶ岳の安山岩は砕石されて路床材や建築材として使用されている。