津軽領の僧侶・神官に対する刑罰は①喧嘩・博奕・窃盗などの犯罪を犯した場合、俗界法(ぞくかいほう)すなわち「寛政律」・「文化律」の適用およびこれらを参照しての申し渡しと、藩内での先例・慣習による申し渡しの二本立であった。
一方②僧侶・神官としてふさわしくない行為をした場合、教団法(きょうだんほう)(藩の「条々」一三ヵ条―延宝九年正月二十一日付など。幕府の「寺社方御仕置例書(じしゃかたおしおきれいしょ)」―明和七年閏六月など)を適用あるいは参考とされた申し渡しと、藩独自の先例・慣習による申し渡しの二本立であった。
○取り調べ――①の場合は牢屋で行われていた。文化二年(一八〇五)十月に揚屋(あがりや)が牢屋敷の一郭に設置されてからは、原則としてここで行われるようになった。②の場合は、入牢・揚屋入りではなく、寺社奉行の管轄下で行われ、末寺の起した事件は僧録所(そうろくじょ)(例―浄土真宗では弘前城下の真教寺(しんきょうじ))・修験司頭(しゅげんしとう)(例―弘前城下の大行院(だいぎょういん))が直接に取り調べた。
○申し渡し人と申し渡し場所――①の場合では申し渡しは徒目付が担当したことが多く、申し渡し場所については原則があったかどうかは不明。②の場合、寺社奉行が寺社奉行宅で申し渡しているのが一般的傾向であった。
僧侶・神官が俗人と組んで犯罪を犯した場合、僧侶・神官は正犯・従犯ともに寺社奉行の管轄で、②と同様に寺社奉行が寺社奉行宅で申し渡すのが一般的傾向であったといえよう。これに対し俗人は、正犯・従犯にかかわらず徒目付が取上の御仕置場や町端・村端で、あるいは評定所で申し渡すなどであった。したがって僧侶・神官と俗人とは異なる機関で処理された。