図200をみると、山伏は領内各地の加持・祈祷を行うことで、領民の生活と密接なつながりをもっていたことがわかる。領内の神職は、宗教活動の範囲を示す「霞(かすみ)」を所有したが、修験はこれを持っていなかった。霞は神職のテリトリーであり、修験がこの中で宗教活動をすると摩擦を生じることになる。宝暦六年(一七五六)に大行院から寺社奉行に対し、神職が霞内で修験の祈祷を排除する動きに抗議が出された。このことは最勝院を通して社家頭に伝えられたが、社家頭は祈祷は依頼する施主である檀那の信仰によるという立場を主張し、問題の解決には至らなかった。
修験の中でも大円寺は真言宗高野山別行派に連なった。
図200.修験本末関係図(1)
図201.修験本末関係図(2)