領内曹洞宗の僧録所であったが、その存在は寛文五年(一六六五)曹洞宗関東触頭によって認められた(同前No.三八四)。通幻派に属し、その本拠である丹波の永沢寺の住番には、二世秋澗・八世格翁・一三世在州が就いている。また、総持寺へは七世直翁・八世格翁が勅住として入り、勅特賜(ちょくとくし)の禅師号を授けられた。
藩主家は曹洞宗を信仰してきたが、信枚が天台宗に改宗し、後に建立される報恩寺を菩提寺に改めた。しかし、長勝寺はこれまで菩提寺として重きをなしていたため、信著は遺言で長勝寺へ埋葬させたことから、報恩寺と墓所をめぐる争いに発展した。為信の正室・信枚・信枚の正室・信義・信著・信興の廟所が築かれたが、現在信興の廟はない。昭和二十九年(一九五四)には報恩寺から藩主家の五輪塔が移された。
図214.長勝寺