郡区町村編制法への移行

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新政府の打ち出した旧習打破、文明開化の諸政策は、単に旧来の厳しい身分的規制や拘束からの解放という枠内だけにとどまらず、さらに村々の伝統ある習俗慣習に対しても矛先を向けることになった。地域の社会的統合の象徴である社寺や、人々の生活や生産と結びついた土着の伝統文化も弾圧された。
 しかし、明治十一年(一八七八)七月二十二日に郡町村編制法が公布された際に、政府は次のように拙速な開化政策を反省した。「抑(そもそも)地方ノ画ノ如キハ如何ナル美法良制モ固有ノ習慣ニ依ラズシテ新規ノ事ヲ起ストキハ其形美ナルモ其実益ナシ、寧ロ多少完全ナラザルモ固有ノ慣習ニ依ルニ若(し)カズ」として、地方の実情を踏まえた組織化へと方向転換を図った。そして、大区小区制を廃して、郡、町村が行政単位として復活し、府県、町村に対しそれぞれ住民の参加する議会が認められ、町村の長は公選とされた。

写真6 中津軽郡初代郡長
笹森儀助

 この郡町村編制法によって、第三大区小区から六小区中津軽郡第二大区小区から一〇小区及び五大区小区は南津軽郡となった。郡には官選の郡長郡役所が置かれた。郡からは県会議員三人が選挙された。選挙権地租五円以上を納める者で二十歳以上の男子、被選挙権地租二〇円以上納付者だった。投票の仕方は、郡長が投票用紙をあらかじめ選挙人へ三枚配付し、選挙人は郡役所作成の被選挙人名簿の中から三人を記入、糊封(のりふう)し、裏に住所、氏名を記して選挙日に会場で郡長の前の投票箱に差し入れる。会場には警官が臨席した。
 町村会は有権者、候補者ともにその町村に土地を有し、町村内に本籍・住居を持つ二十歳以上の男子の選挙によって議員が選ばれる。議員は任期四年で俸給はない。定数は五〇戸未満七人から一〇〇〇戸以上二〇人の間、戸数の多寡(たか)によった。