中津軽郡 定員三人
当選 一五票 寺井純司(弘前・改進)
一五票 高杉金作(高杉・改進)
一三票 村谷有秀(富田・中立)
弘前市 定員二人
当選 二三票 芹川得一(弘前・自由)
一九票 佐田正之丞(弘前・自由)
次点 一二票 藤岡知言(弘前・自由)
当選 一五票 寺井純司(弘前・改進)
一五票 高杉金作(高杉・改進)
一三票 村谷有秀(富田・中立)
弘前市 定員二人
当選 二三票 芹川得一(弘前・自由)
一九票 佐田正之丞(弘前・自由)
次点 一二票 藤岡知言(弘前・自由)
この時の県会で最大の議案は、県の年間予算に匹敵する三〇万円の土木事業費だった。すでに明治十八年十一月、福島九成知事によって県内道路改修のため三〇万円の特別起債工事が企てられ、十一月三日の天長節を期して青森古川で起工式が行われたのだが、翌十九年七月福島知事が非職となって、次の鍋島知事によって中止させられていた。
多くの問題を残して、明治二十二年暮れ、鍋島知事は広島県知事に転出し、後任に宮内省大書記官から佐和正が本県知事に任命された。佐和知事は同じ東北の仙台藩士、維新政府のもと司法、警察、内務の諸官に就き、欧州に派遣されて警察制度を調査、伊藤博文の清国交渉にも随行した国際派だった。その人物は本県人に尊敬され、異例の七ヵ年在任となり、異動の際は留任運動が起きた。明治二十四年の第一回臨時県会は、三〇議席のうち三分の二が自由党系で、積極的な佐和知事の県政に協力した。
表20 弘前市関係各道路線表 |
名称 | 起線 | 経過市町村 | 終尾 | |
第41号国道 | 青森市長島 | 滝内村、新城村、大杉村、浪岡村、藤崎村、和徳村、弘前市元寺町、同親方町、同松森町、堀越村、石川村、大鰐村、蔵館村、碇ケ関村 | 秋田県界 | |
兵営道 | 第八師団司令部 | 弘前市土手町 | 山道町、住吉町、清水村富田 | 第八師団司令部 |
歩兵第三十一聯隊兵営 | 弘前市親方町 | 本町、新寺町 | 歩兵営 | |
輜重兵第八大隊兵営 | 弘前市新寺町 | 清水村富田樹木派立 | 輜重営 | |
騎兵第八聯隊兵営 | 第八師団司令部 | 弘前市富田町、堀越村取上 | 騎兵営 | |
郡道 | 中津軽郡役所 | 弘前市土手町 | 弘前市山道町、清水村富田 | 中津軽郡役所 |
停車場道 | 弘前停車場 | 弘前市元寺町 | 山下町、坂本町、代官町、和徳村 | 弘前停車場 |
黒石道 | 弘前市土手町 | 代官町、和徳村、豊田村、猿賀村 | 尾上村尾上 | |
国幣社道 | 弘前市元寺町 | 馬屋町、駒越村、大浦村、岩木村五代 | 岩木村五代 |
当時、工事費は、兵営道や郡役所道は全額県費、停車場道、国幣車道、黒石道は郡費市費の半額補助だった。河川工事では岩木川、平川、浅瀬石川は全額県費、大和沢川、大峰川、栩内川、相馬川が半額補助だった。
なお、弘前停車場道は明治三十二年に県費によって新開道が完成した。兵営道も土地は県費で購入、造成は軍で行うという形で、三十二年にすべてが完成した。