日露戦後の商業

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日清戦後から日露戦後期にかけて、弘前市は軍都として急速に拡大した。また、日露戦後期の商況が書き残されているので、それを見てみよう。まず、明治四十一年(一九〇八)前期については次のようである。
清酒 今期二月は恰(あたか)も旧正月の節季なるを以て年中の好時期なれは前期末に引続き益好況を呈せしか三月末頃に至り稍(やや)需用減少せるも漸次耕作の時期に入るを以て格別の不況を来さすして今期を経過せり

織物 前期末に引続き好況を呈せして五月頃に至り夏向需用の時期に近くて以て稍々不況を認めす

三味噌 前期に引続き商況良好なりしか四月頃に至り少しく不況に傾きたるも格別の不況を認めす

四醤油 前期に引続き商況良好なりしか四月頃に至り少しく不況に傾きたるも格別の不況を認めす

津軽塗 前期末と異状なかりしか五月頃より他地方人の入込みに従ひ稍々好況を呈せり

(『明治四十一年分勧業統計表』(弘前市役所所蔵)、弘前市長から青森県知事にあてた報告)

 これらの商品は弘前市で販売される重要商品であった。各商品の売れ行きには季節的な特徴があるが、同年後期の状態は次のようになっている。
清酒 本季に入り米価昂騰の為めか売渋りの状態にして前記に比すれば稍不況なり

織物 前期末に引続き不況なるは例年の如く十月の末方に至り漸次好況に向ひつゝ今期を経過せり

三味噌 前期末と均しく薄商なりしか十月初め方より弗々(ふつふつ)売行き期末に至り需用頓(とみ)に増加せり

四醤油 前期末と異状なかりしか八九月頃より漸々好況に向ひつゝ本期を経過せり

津軽塗 前期と格別異状なかりしか十月末方より稍不況に傾けり

 この年は後半に入り、売れ行きが落ちぎみであったことがわかる。ところで、明治四十年(一九〇七)前後の弘前市の商工業戸数は表39のとおりである。
表39 弘前市商工業戸数
種 目明治39年明治40年明治41年明治42年明治43年
商 業1,8821,7832,2291,8231,781
工 業769711713641965
商工兼業948713110455
合 計2,7452,5183,0732,5682,801
弘前商業会議所『弘前市商工人名録 附商工要覧』明治44年

 商工業戸数は増減を繰り返している。また、この間、明治三十一年(一八九八)から明治四十四年(一九一一)までの間に、商事会社の増加も見られた。その主なものは、株式会社弘前倉庫(倉庫業)、弘前商業株式会社(海産物仲買)、株式会社北辰社(新聞発行及印刷業)、地方物産合資会社(曲物、蔓細工、雑貨販売)、癸卯合資会社(質屋業)、中太合資会社(醤油醸造及質屋業)、松木合資会社(酒類醸造)、合資会社盛融商行(貸金業)、合名会社岩見質店(質屋)、合名会社金木織物商(織物製造及販売)、弘前煙草合資会社(煙草販売)、弘前電灯株式会社(電灯電力)、弘前挽材合資会社(挽材製作販売)がある。
 これらの新興商事会社は、以後発展する弘前市の主要産業を担う企業であり、大正期にかけて成長を遂げていく。