県下銀行の発展と金融都市弘前

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日清戦争(明治二十七~二十八年)後の好景気は青森県にも波及し、明治二十七年(一八九四)末に二四社あった県内の会社数は、四十三年末には一三八社へと約六倍に増加し、会社企業が勃興するが、その中心は銀行業であった。明治三十五年末の県内会社九一社のうち銀行は三〇行で、全体の三三%を占めていた(前掲『青森銀行史』)。明治三十五年末までに創立された銀行は表48のとおりであり、明治二十二~四十五年までの県内本店銀行の推移は、表49のとおりである。明治二十五年には第五十九国立銀行(明治三十年、株式会社第五十九銀行に改称)、第百五十国立銀行、階上銀行、弘前銀行、高谷銀行の五行にすぎなかった銀行数は、前述の私立銀行に関わる二つの条例が施行された明治二十六年以降三十四年までに二十九行へとわずか九年の間に全体の約八三%が設立され、銀行数が飛躍的に増加した。
表48 県内諸会社(銀行)
(明治35年現在)
銀行創立年月所在地公称資本金払込資本金株主人員
明治 年 月
合名会社 金兵衛銀行33. 7西郡車力村25,00025,0009
同    泉山銀行30.11三戸郡八戸町50,00050,0007
同    関銀行31. 2弘前市親方町35,00035,0006
合資会社 高谷銀行25. 7西郡木造町50,00050,0005
同    金木銀行30. 7北郡金木村20,00020,00011
同    野村銀行32.10上北郡野辺地町100,000100,0004
同    弘前両益銀行27. 2弘前市親方町30,00030,0009
同    立誠銀行28. 2同  土手町20,00020,0003
株式会社 木造両盛銀行26.12西郡木造町105,00094,00066
同    集盛貯蓄銀行32. 950,00025,000106
同    黒石銀行30.10南郡黒石町200,000190,00045
同    藤崎銀行30. 1同 藤崎村50,00043,75064
同    尾上銀行33. 5同 尾上村100,00085,00037
同    南陽銀行34. 4同 黒石町70,00045,50018
同    板柳銀行33. 5北郡板柳村50,00037,50021
同    五所川原銀行30. 6同 五所川原町125,000125,00069
同    上北銀行29. 7上北郡野辺地町150,000112,50037
同    階上銀行15. 9三戸郡八戸町120,00099,00075
同    八戸商業銀行30. 9100,000100,00063
同    八戸貯蓄銀行30. 930,00012,00061
同    三戸銀行31.11同  三戸町50,00050,000106
同    第五十九銀行30. 9弘前市本町1,000,000790,000680
同    弘前銀行24. 5500,000340,000336
同    弘前商業銀行29. 4同  百石町200,000110,000109
同    津軽銀行31. 7同  元寺町100,00070,00057
同    弘前貯蓄銀行29.10同  本町30,00030,00054
同    青森商業銀行27. 9青森市浜町400,000280,000117
同    青森貯蓄銀行29. 7同  大町30,00015,00015
同    青森県農工銀行31. 6同  米町600,000600,0001,845
同    青湾貯蓄銀行32.12同  浜町50,00012,50018
前掲『青森銀行史』
注 弘前銀行は明治24年創立当時、弘前進新銀行であったが、同27年に改称された。

表49 県内本店銀行の推移
年末本店数支店・
出張所数
払込資本金
明治
22年43362,000
24年43404,367
25年52370,000
26年74416,000
27年94508,000
28年105560,000
29年136867,650
30年2071,764,000
31年2362,057,200
32年2492,173,688
33年2792,572,250
34年29102,823,000
35年29102,997,250
36年2983,087,250
37年2973,122,750
38年29113,311,750
39年29123,466,250
40年29144,114,500
41年29164,472,500
42年29154,465,800
43年29184,524,300
44年29194,535,550
45年28204,944,050
前掲『青森銀行史』
普通銀行貯蓄銀行の合計で農工銀行は含まず。
明治23年は欠年となっている。

 なお、表48で明治十二年五月に創立された第百五十国立銀行が掲載されていないのは、明治二十九年五月に能登国(現石川県)に移転したためである。
 弘前市には、明治十二年に開業した第五十九国立銀行ののち、明治二十四年に弘前進新銀行(明治二十七年弘前銀行に改称)が開業すると、明治二十七年弘前両益銀行、二十八年立誠銀行、二十九年弘前商業・弘前貯金銀行、三十一年関・津軽銀行と相次いで開業し、明治三十五年時点で県下三〇行のうち、八行の本店銀行を有する金融の中心都市となった(青森・八戸の本店銀行はそれぞれ四行にすぎない)。明治二十年代以降に開業したこれらの銀行の設立状況は次のとおりである。
 弘前銀行   明治十五年、弘前市大字本町一〇〇に設立された弘前進新社が、二十四年に改組発展して弘前進新銀行となり、二十七年に弘前銀行へと改称された。弘前進新銀行に改組した当時の頭取は武田甚左衛門、取締役は村林嘉左衛門・宮本甚兵衛、同兼支配人には武田荘七が就任した。

 弘前両益銀行 明治二十七年、弘前市大字本町六五に設立。初代頭取は中津軽郡千年村の地主で、酒造業も営む松木彦右衛門、取締役は西津軽郡木造村の地主である市田利平、支配人には竹林孫右衛門が就任した。

 立誠銀行   明治二十八年、弘前市大字土手町三四に設立。初代頭取は南津軽郡蔵館村の地主である水木惣左衛門、取締役は弘前市大字土手町で洋品店を営む野崎惣助、支配人には平川善治が就任した。

 弘前商業銀行 明治二十九年、弘前市大字百石町二四に設立。設立に関する目論見書は近・現代1No.四〇八を参照。初代専務取締役(頭取と同じ)は弘前市大字東長町で酒造業を営む菊池定次郎、取締役は弘前市大字松森町で呉服商を営む宮川久一郎、弘前市大字土手町で茶商を営む佐藤誠四郎が就任した。

 弘前貯金銀行 明治二十九年、弘前市大字本町一〇〇に設立。初代頭取は今泉文蔵、取締役は武田荘七武田彦七が就任した。三十三年に改称し、弘前貯蓄銀行となり、さらに大正十年に弘前銀行(第二次)となった。

 関銀行    明治三十年、弘前市大字親方町三三に設立。弘前市で屋号を「カネ五」と称する小間物商を営む関清六とその一族によって作られた同族銀行で、前身は金廻舎という貸金業であった。社長は関清六、業務担当社員には関藤吉・関平八が就任した。

 津軽銀行   明治三十一年、弘前市大字元寺町四六に設立。初代頭取は南津軽郡田舎館村の地主である田沢粕三郎、取締役は長谷川誠三山内勘三郎加藤宇兵衛、同兼支配人は高谷貞次郎が就任した。

(前掲『青森銀行史』)

 士族銀行と称せられた第五十九国立銀行に対して、これらの私立銀行は当時台頭してきた商人や地主らが中心となって設立したものであった。

写真92 弘前商業銀行


写真93 津軽銀行