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行幸

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 軍隊を統帥する昭和天皇は多数の皇族を伴って札幌入りしたが、その前後にわたって道内各地を行幸し、演習と表裏のかかわりで大きな影響を道民に及ぼした。
 このため天皇は昭和十一年九月二十四日東京を発ち、横須賀から室蘭に船で二十六日到着、道内行幸が始まった。旭川、釧路、根室まで足をのばし、そこから引き返して帯広、大樹をまわって十月一日午後四時十三分札幌駅に到着、行在所と大本営になったのが北海道帝国大学農学部である。演習にはここから通ったが、暴風雨のため外出できない日もあった。札幌駅を出発したのは十月九日午前九時三十七分で、汽車で小樽へ行き、そこから船で函館に向かい、十日函館を出発し、十二日横須賀着、同日東京に帰着した。船路には軍艦比叡が使われ、往復一九日にわたる行幸であった。
 札幌市にあって天皇は、橋本市長から市勢上表を受け、拝謁陪食業務奏上等で市民に接する機会があったとはいえ、それは一部の人に限られており、多くは沿道奉迎と親閲場においてであった。親閲は観兵式と同じ札幌飛行場で十月八日に行われ、在郷軍人、大学中学青年学校の学生生徒、青年団員、消防組員等三万五五一三人が参加した。市内の行幸個所は宮内省が定め、十月六日種畜場、七日札幌神社札幌控訴院、道庁、林業試験場(江別市)、八日工業試験場、農事試験場、親閲場(札幌飛行場)、北大でなされたが、いずれも国や道庁の施設で、札幌市が設置しているものは対象にならなかった。なお市内で天皇からの使者差遣になったのは次の個所で、市民が直接かかわる施設のほか会社団体等についてなされた。

写真-18 札幌控訴院へ行幸(昭11.10.7)

甘露寺侍従(十月二日)第一高等小学校北海道授産場三吉神社、豊平館、愛国婦人会北海道支部隣保館、大日本麦酒札幌支店
入江侍従(十月二日)札幌師範学校、札幌第一中学校、札幌高等女学校、札幌育児園札幌聾話学校
岡部侍従(十月二日)札幌商業学校、帝国製麻札幌支店、北海道社会事業協会附属札幌病院札幌大化院札幌養老院(藻岩村)
小倉侍従(十月三日)北海道拓殖銀行、明治製菓札幌工場、北海道製酪販売組合聯合会、北海道除虫菊製品工業組合(琴似村)
後藤侍従武官(十月七日)札幌陸軍墓地(豊平町)
(陸軍特別大演習並地方行幸札幌市記録)

 昭和天皇は大正十一年七月皇太子として札幌を訪れたことがあるから(市史 第三巻九頁)、一四年ぶりの来札であったが、天皇行幸としては明治十四年以来五五年目のことだった。市制施行後大正十二年久邇宮、十五年高松宮伏見宮閑院宮、昭和三年秩父宮伏見宮、四年高松宮、六年閑院宮、七年澄宮、八年閑院宮東伏見宮伏見宮、九年北白川宮梨本宮、十年竹田宮朝香宮伏見宮と、年々札幌を訪れる皇族が増えていた。こうした皇室と札幌北海道の結び付きをいっそう深めようとする動きが行幸へとつながったものと思われる。その行幸が陸軍特別大演習という国家的行事の中で実現したのは、時代の動きをよく反映したものといえよう。