3.木曽と産業

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木曽谷は面積114方里(注3-1)、人口47,211。即ち一方里僅かに71人8分(注3-2)に過ぎず、総戸は8,177戸にして職業別に表示すれば左の如し。
 職業名   農業   商業   工業   兼業其他
 戸 数   2,895   168   153    3,507
 歩 合    35%   2%   1.9%    47%
以上の如く木曽谷は農林業に従事するもの最も多く、諸工業又盛にして古来より産物として名を得しもの尠(すくな)からず。今順を追うて木曽産業の一般を略述せん。
木曽の林業  木曽谷の大半は林地を以て蔽(おお)はれ、即ち全地積153,278町歩の中、
 御料林    105,471町  68.8%
 民有山林    14,289町   9.3%
 民有原野    28,536町  18.6%
 農地      4,732町   3.1%
 
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 郡村宅地其他   250町   0.2%
以上の如く7割8分は林地にして、然も其立地たる地質土壤亦尤(もっと)も林樹に適応し、人口に膾炙(かいしゃ:多くの人びとに言いはやされて、広く知れわたること)せらるゝ木曽御料林は、実に此裡(しり:このうち)に包蔵せられ無尽蔵なる財源は蓊鬱(おううつ)として裕(ゆた)かに御料の宝庫をなす。
産する所の樹種は是世界随一の良材たる扁柏(へんぱく:ヒノキ)を主とし、椹(サワラ)、羅漢柏(らかんはく:アスナロ)、〓《ネズコ》(注2-11参照)、金(きんしょう:コウヤマキ)等を始めとし、樅(モミ)、栂(ツガ)、白檜(シラビソ)、唐檜(トウヒ)、其他楢(ナラ)、椈(ブナ)、(クリ)等の重要樹種矗立(ちくりつ:まっすぐなさま)美観なる林相を形成し、一瞥(いちべつ)此地勢に垂涎(すいぜん:よだれをたらすこと)し木曽の名と実と相戻らざるを察知せしむ。帝室林野管理局は年々之を伐採して運材に便なる木曽川の流れを利用して狩り出し、或は近年開通せる中央線の便により最寄停車場より鉄路により市場に出すあり。遂に熱田白鳥貯蔵木場(注3-3)に送致し益々市価を増大せしむるなり。其伐採並に造材高は年々40万尺締(しゃくじめ)(注3-4)以上に達すと云ふ。
民有山林は14,289町、全地積の9分の3を占め、産する所の木材年額140,500円に達し、良材の名全国に高く、木炭又38,560円に達す。木地類の産出多く其価格8,600円を算す。其他蕨粉(わらびこ)・菌類・木実・下草・下駄材・苗木・材・経木等合計228,372円余に及ぶと云ふ。木曽は古来林業に従事するもの多く、伐木運材事業並に労働者の組識は古き歴史を有し其作業方法は実に壮観且巧妙を極む。
 
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木曽の農業  翻(ひるがえっ)て農耕地の内、田は2千町歩、畑地2千700町歩にして殆んど伯仲の間にあり、而して全地積の3%に過ぎず。従ひて穀作農業として見るべきもの少(すくな)し。其重要物産を挙ぐれば、
 米     26,775石    455,175円
      5,477石    43,800円
 大豆    2,740石    27,400円
 粟     1,643石    16,430円
を始め稗(ひえ)、蕎(そば)、大麻(たいま:あさ)等の産額累計58万円余に達するに過ぎず。然れども風土(ふうど:土地の状態)、業に適応せるため養業盛に行はれ、園見積反別を合せ810町歩、即ち畑地の3割余は園を以て占めらる。尚歳々(さいさい:毎年)其反別増加し、山林原野を開墾してを植栽し、或は圃等を変じて園となすに至れり。
今最近の夏秋一年間の掃立(はきたて)粒数並に収繭額を挙れば、
  掃立枚数        14,341枚
  収 繭 額       12,639石
にして又種(さんしゅ:注3-5)は風土最も適応せるが為め、近来木曽産の名漸(ようや)く其声価を博するに至れり。其貯蔵風穴25ヶ所に達し、其貯蔵枚数実に51万枚余の多きに達し、繭・種・生皮苧(きびそ:注3-6)・真綿の総金額は
 
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50万余円を算すと云ふ。
産業  古来木曽駒の名高く、其体格比較的矮小にして一見無能の如く見ゆるも、其性最も温順にして婦女子と雖も能く飼養管理に適し、重荷を負ふて山坂を駆くるに堪へ、加ふるに寒暑の候に抵抗強き一種の特長あり。故に需要甚(はなはだ)盛にして年々7月及9月の両度に福島市場に来り買ふ者夥(おびただ)し。俗に御毛付(おけつけ:注3-7)と称し、近村より市場に集るもの優に5千頭に達す。就中(なかんずく)御嶽山麓のもの最も良く年々其生産馬数1千500頭に登り其価格5万5千円に達すと云ふ。明治19年産馬組合の設けありし以来、全郡産馬の改良発展に努し隆盛の機運に向へり。
諸工業  工業に従事するものは全戸数の1割8分余を占む。之蓋(けだ)し厚生利用の本源たる木材の生産物供給の尤も豊富なると、之に加ふるに養業の隆盛によるものにして、工産物として名を得るもの少なからず。即ち其2、3を挙ぐれば、木曽の漆器は古(いにしえ)より木地堅牢・実用的なるを以て知らる。其産額年々約10万円にして、近時技術の進歩見るべきもの少なからず。櫛(くし)及塗櫛は年額9万円の産出ありて販路頗(すこぶ)る広く、木曽特有の紙盆類(注3-8)の輸出又少なからず。次に製糸工場数18個所、其産額実に44万円にして其他絹織物、麻織物、絹綿交織等工芸製品合計74万円に達す。
恩賜紀念事業  明治38年7月25日聖上(せいじょう:天子の尊称)陛下、西筑摩郡民に対し特別の御思召(おぼしめし)を以て、内
 
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帑金(うちどきん:注3-9)24万円を、毎年1万円宛24ヶ年に渉り御下賜あらせらる。郡民は聖恩の厚きに感激恐懼(きょうく:おそれかしこまること)措く能はず。茲(ここ)に官民相計りて従来の御料林を愛護することに努め、恩賜金の一部は各町村、恩賜基本財産として積立てゝ基礎を強固にし、而して町村の産業奨励資金として、及び産業組合に限り貸付の恩典を付し、其結果郡の産業組合勃然(ぼつぜん:急に起るさま)として興り、現今其数25を算す。他の一部は各町村に恩賜紀念林を設置し毎年植栽手入をなす。已(すで)に39年以降着々実効実蹟を挙げつゝあれば、恩賜紀念林の将来に於ける収利、蓋し驚くベき者あらん。現今各町村、恩賜紀念林植栽面積378町7反8畝歩にして其本数は檜、杉、、落葉、赤、櫟(クヌギ)等、合計実に54万6千本の多きに達せり。