大小区画割制から郡区町村制

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 明治四年四月に戸籍法が制定されると、全国的に「戸籍区」を基本とした区画割制が施行されることとなり、函館は翌五年二月に三区に区画され、箱館奉行から引き継いだ村は、翌六年五月に第四区として実施された(表1・1・5)。この時、函館支庁は従前の名主を廃止して「副戸長」とし、その他の村役人を「村用掛」と改称、各村に一人ないしは、二人を置くことを布達した。しかし、銭亀沢の村で、副戸長、村用掛に誰が任命されたのかは確認できていない。
 その後、明治九年に全道を統一的に大小区画で整理することになり、全道は三〇大区に区画された。亀田郡は一四大区から一七大区に区画され、銭亀沢の諸村は一七大区に属することとなった(表1・1・6)。この時、一七大区の副戸長には、越田竹蔵と黒島久右衛門が任命され、村ごとに詳細な戸口調査がおこなわれ、その戸口は表1・1・7のとおりである。
 ついで、明治十一年六月に「総代人撰挙法」と「総代人心得」が開拓使から布達され、「総代人制」という「村会」以前の形態ができて、明治三十年代に北海道一、二級町村制が導入されるまで、村の共有物取扱、土木工事などにかかわることになった。
 その後、郡区町村編制法に基づいて明治十二年七月に「大小区を廃し」て郡区町村を編制することが布達された。函館支庁管下では、函館区、亀田上磯郡、茅部山越郡に郡区長を配して所属の町村を所管することとなり、亀田上磯郡役所(開庁は明治十三年一月)が亀田村に置かれ、開拓使二等属の広田千秋が郡長(月俸五〇円)となった。郡役所の下に戸長役場が設置され、銭亀沢村には銭亀沢村、志苔村、亀尾村の三村を所管する戸長役場が置かれ、蛯子太郎左衛門(月俸八円)が戸長となり、石崎村は一村だけを管轄する戸長役場が置かれ、松代孫兵衛が戸長(月俸八円)となっている。
 戸長の職務はあらかじめ「戸長職務概目」として示され、主な職務は、布告、布達を示し、地租などを収税上納すること、戸籍、地券台帳を管理し、地所建物船舶質入並に売買に奥印すること、児童の就学を勧誘し、河港、道路、堤防、橋梁その他保存すべき物につき具状することなどであった。
 その後、開拓使が廃止され、函館県の設置(明治十五年二月)、北海道庁の設置(明治十九年一月)と北海道の行政の主体は変遷するが、戸長役場はそのまま存続した。ただし、銭亀沢村の戸長役場が所管する村については若干の変動があった。『開拓使事業報告』によると明治十二年四月、上湯川村に鷲巣村が合併し、下湯川村に深堀村が合併した。「湯川沿革史」(『函館市史資料集』第四集)によると、同十五年十一月に根崎村が下湯川村から分村し、ついで翌十六年四月、銭亀沢村戸長役場と下湯川村戸長役場の間で所管村の調整が行われ、下湯川村戸長役場からは、上湯川村内の元鷲巣村部分を根崎村と合わせて、銭亀沢村戸長役場所管とし、銭亀沢村戸長役場からは、亀尾村を下湯川村戸長役場所管へ移した。また、明治二十年には石崎村の戸長役場は廃止され、銭亀沢村の戸長役場に統合されている。石崎村戸長の松代孫兵衛は、戸長役場が廃止されるまで戸長の職にあり、銭亀沢村戸長の蛯子太郎左衛門は、合併後も戸長職を継続した。
 なお、近世期以来漁業を主産業としてきた銭亀沢地区は、明治二十四年の漁業戸数が四二九戸(人口二七七九人)を数え、各集落別にみると石崎が一三七戸、銭亀沢一五〇戸、志苔八〇戸、根崎六二戸で、そのすべてが採藻に従事してかつその大部分が昆布などの製品製造に関係している。この戸数が銭亀沢地区のほぼ全戸数であった(農商務省『水産事項特別調査』明治二十七年)。このような状況はこれ以後も大きな変化はなく、昆布採取と鰮漁、イカ釣漁などがある時以外は出稼ぎに出るという生活が続いていくのである。
表1・1・5 明治6年大小区画
大区小区村名
4亀田1亀田村、赤川村、神山村、鍛冶村(以上現函館市)
2下湯川村、上湯川村、鷲巣、深堀(以上現函館市)
3亀尾村、志苔村、銭亀沢村、石崎村(以上現函館市)
4石川郷、桔梗村(以上現函館市)、大川村、中島村(以上現七飯町)
5七重村、飯田村、城山郷、藤山村、軍川村(以上現七飯町)
6一本木村、千代田村、大野村、文月村(以上現大野町)、鶴野村(現七飯町)
7本郷、市ノ渡村(以上現大野町)、峠下村(現七飯町)、宿野辺村(現森町)
5上磯1有川村戸切地村、中ノ郷、濁川村、清水村(以上現上磯町)
2吉田村、三谷村、三好郷、富川村、茂辺地村、当別村(以上現上磯町)
3三石村(現上磯町)、釜谷村、泉沢村、札刈村、木古内村、瓜谷村(以上現木古内町)
6茅部1小安村、戸井村(以上現戸井町)、尻岸内村(現恵山町)、椴法華(現椴法華村)
2村、尾札部村、臼尻村(以上南茅部町)、鹿部村(現鹿部町)、砂原村、掛澗村(以上現砂原町)
3尾白内村、森村、鷲木村(以上現森町)、落部村(現八雲町)
7山越1山越内村(現八雲町)
2長万部村(現長万部町)

『開拓使事業報告』により作成
注)函館はすでに明治5年2月に1~3大区に区画されている
  亀田、上磯、茅部の3郡は渡島国所属、山越郡は胆振国所属である
 
表1・1・6 明治9年第17大区区画
亀田郡小区村名
1亀田村、深堀村、下湯川村、上湯川村、鷲巣村、志苔村、銭亀沢村、石崎村、亀尾村(以上現函館市)
2赤川村、神山村、鍛冶村、石川村、桔梗村(以上現函館市)、大川村、中島村(以上現七飯町)
3一本木村、千代田村、大野村、文月村、本郷村(以上現大野町)、鶴野村(現七飯町)
4七重村、飯田村、城山村、藤山村、峠下村、軍川村(以上現七飯町)、市ノ渡村(現大野町)

『北海道志』上により作成
注)函館は14~16大区に区画
  上磯郡は13大区となり1、2小区に区画割が変更される
  茅部郡は18大区となり1~3小区のままであるが、若干村数が増加
  胆振国の山越郡は19大区で1、2小区はそのまま
 

表1・1・7 明治9年銭亀沢周辺戸口

               明治9年「管内村町別戸口表」により作成
        参考 石崎村、銭亀沢村、志苔村、鷲巣村の戸口合計は 戸数336 人口1895
 

松代孫兵衛(右)と蛯子太郎左衛門(左)(斉藤 久提供)