城館調査の今後

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青森県の中世考古学をリードした発掘調査は、昭和五十一年(一九七六)から始まった堀越城の調査であった。しかしながら、それは国道七号バイパス建設に伴う緊急の調査で限られた調査範囲であった。
 その後、弘前城跡などと一連の歴史遺産であるとの理解から、昭和六十年(一九八五)には「津軽氏城跡」として国の史跡指定を受け、現在は環境整備のための発掘調査が進展中である。その調査結果によると、弘前城移封までの津軽氏本拠として、数時期にわたる城郭の改修、総構(そうがまえ)的な城郭構造の想定、さらに出土遺物による居住時期の特定など、順次成果が出てきている。
 また近年、弘前市内で重要な城館調査がなされている。平成八年度(一九九六)に実施した石川城跡内館跡の調査では、広大な領域を有する石川城跡のごく一部ではあったが、大規模な堀跡の検出(写真181)と一三世紀から一六世紀に至る各種の出土遺物が発見されている。

写真181 石川城跡内館の堀跡

 とくに、堀跡から出土した下駄・箸・曲物・箆(へら)・取手などの木製品は、かつて堀越城で出土した遺物に匹敵する内容を示し、陶磁器鉄製品銭貨など中世社会を理解できる資料が増えつつある。
 さらに、平成九年度(一九九七)に調査した福村城跡では、堀跡から橋梁(きょうりょう)の跡が発見され(写真182)、中世末から近世初頭の城館構造が解明されようとしている。橋梁は、ヒバ・スギ・クリといった素材の太い木柱を規則的に配置して、城館の出入り口にあたる部分を木橋で構築していた。これまで平賀町大光寺城など中世城館で土橋などの出入り口を発見した例はあるものの、木橋であることを明確に実証したことは特筆される成果であった。

写真182 福村城跡発見の橋梁

 現在は、弘前市域に限定しても、国史跡となっている弘前城長勝寺構堀越城など毎年のように良好な発掘成果を提示しており、遺跡の保護とともに市民の歴史啓発の場となっている。