家臣団構成

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現在、津軽黒石藩分限帳としては、暦二年(一六五六)、享保二年(一七一七)、寛延三年(一七五〇)、弘化四年(一八四七)、文久元年(一八六一)などが残っている(『黒石市史』資料編Ⅱ 一九八六年 黒石市刊)。文化六年の黒石藩成立以前で最も整ったものといわれる寛延三年の分限帳には、八〇の役職名と家臣団一六九人の名前が記され、さらに職人頭・庄屋町年寄・用達商人などの扶持人二一人の名前が記され、黒石領寺社二〇、合力人二四人の名前が挙げられている。弘化四年の分限帳は、黒石藩時代のものとしては最も古いものである。役職名は約三〇と簡略なものとなっており、家臣団の数も一四〇人で、寛延の分限帳と比べると約三〇人減少している。次に文久元年の分限帳では、役職数は三五と寛延期の半分以下であるにもかかわらず、家老から名主に至るまで三五九人と二寺の名が記され、家臣団のみでも三四〇人近くに上っている。慶応四年(一八六八)の貼紙がみえるところから、この分限帳の職制は、おそらく黒石藩最後のものであろう。