歌舞伎

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歌舞伎は、慶長八年(一六〇三)、出雲阿国(いずものおくに)が京都の四条河原で始めたとされている。元禄年間(一六八八~一七〇三)には、京・大坂の坂田藤十郎を代表とする上方(かみがた)歌舞伎と、市川十郎による江戸歌舞伎とがあった。

図33.出雲阿国の墓

 津軽領内では正保三年(一六四六)六月、歌舞伎興行が初めて行われた(「秘苑」)。延宝九年(一六八一)の「町人作法之事」(『御用格』)では、勧進・操(あやつり)・相撲は町奉行の取り扱いになると規定された。
 興行としては、藤八太夫が元禄四年(一六九一)、町奉行に対して、役者不足で小芝居になり見物人もないところから巡業を願い出て、青森鰺ヶ沢で七日、弘前で二一日間の興行が認められた(「国日記」)。同十年五月には四奉行用人の奥方・藩士町人在方からの見物もあって繁昌したという(「秘苑」)。
 また、広居寅吉は文政十二年(一八二九)二月に居宅と芝居小屋とみられる家業場の修復費が不足しているとして、富籤(とみくじ)の許可願いを町奉行へ出した(「国日記」)。富札は一枚二文で売り出したが、寺院の場合はそれより高く一枚三文であった。この年の十二月には修復が成り、翌年正月四日から芝居興行が行われた。この場所が青森県弘前市俯瞰地図(資料近・現代1 付図)の森町と茂森町角にあり、茂森座の前身とみられる。