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生活のなかの儀式と遊興

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 明治末頃の札幌で行われていた国家的祝祭日や民俗的な年中行事を通して、札幌市民の遊興を『北海タイムス』よりながめてみよう。
 元旦は三大節の一つで、道庁はじめ鉄道管理局、鉱山監督署、帝室林野局、札幌郵便局札幌支庁、赤十字社支部等では、燕尾服及びフロックコート、和装羽織袴等の勅奏判任官が登庁して拝賀式を行った。農科大学(四十年六月より)、師範学校、各小学校、中学校、高等女学校等でも同様に拝賀式を行った。官民合同の、あるいは教育者の名刺交換会の行われるのも慣例であった。また、官幤大社である札幌神社は初詣客で賑わった。馬橇に貨物を満載して白地に赤あるいは黒で「お得意万歳」と書いた小旗を笹竹に結び、それをかざしながら太鼓、石油缶、大鈴を鳴らして得意先を駆け回った。十六日は盆の十六日とともに奉公人の薮入で、久々に実家に帰る者もあり、狸小路の芝居小屋、寄席、勧工場が賑わった。また日露戦争後からは活動写真が娯楽に加わった。二十一日と二十二日は太子講が行われた。さらに一月中旬から二月にかけて各県人会が新年会や懇親会を料亭を会場に催した(表2)。
表-2 札幌における県人会の開催(明44)
開催月日県人会会場
44年1月7日阿淡親睦会松月
1.  9下野人懇親会幾代
1.10薩藩郷友会束寿し
1.14仙台人新年宴会東京庵
1.14茨城県人青年会松月
1.14鳥取県人懇親会丸吉
1.14栃木県人新年宴会幾代
1.14米沢人新年宴会東寿し
1.15新潟県人懇親会東京庵
1.15岩手県人同盟会丸吉
1.15会津人新年宴会松月
1.18武蔵懇親会西之宮支店
1.20青森県学友会新年宴会丸吉
1.21札幌温故会東京庵
1.24加能越郷友人会東京庵
1.28山口県人懇親会束京庵
1.29広島県人懇親会(芸備郷友会)松月
2.  5巌鷲協会(岩手県及旧南部)松月
2.12会津人青年会中正俱楽部
4.15南部人同盟会米風亭
5.14会津青年会円山
5.19信濃会豊平館
9.24信濃青年会農科大学同窓俱楽部
10.  1青森県学生同郷会青年会
10.  8米沢人会山鼻温泉場
10.12旧南部藩人同盟会相馬神社
10.22福島県人懇親会公衆俱楽部
11.12越佐同好会津多家
11.15福井県人懇親会福井
11.26青森人懇話会青年会
津軽人郷友会
北海タイムス』(明44)より。一部県人会は名称が異なるが,同一と思われるものもある。

 二月は三日ないし四日に節分があり、成田山などで豆撒きが挙行された。五日には豊川稲荷初午祭が行われ、これは旧暦でも行われている。また十一日の紀元節は三大節の一つで、学校はほかの二大節同様休業となり、式が挙行された。
 三月は三日が雛祭りであるが、従来旧暦でやっていたが日露戦争頃より新暦で行うようになり、明治三十九年の場合戦勝ムードも手伝って雛人形の売行きも良かった。二十一日ないし二十二日は春季皇霊祭(春分の日)で、学校、官庁など休業となった。寺々では彼岸会法要が営まれた。
 四月は上旬が各学校の年度初めで、入学式が行われ、第一学期の始業式が行われた。中旬より六月にかけて徴兵検査が開始された。下旬には冬期休館の博物館も開館された。
 五月は上旬より円山の桜が開花し、製麻会社や麦酒会社など会社の花見客で賑わった。また農科大学の遊戯会や各小学校の運動会が行われ、競技を楽しんだ。五日は東雲祠で靖国祭が行われ、八日と九日は札幌区郷社三吉神社の例祭で神輿や山車が出た(従来五月か七月のいずれかに例祭を行っていたが、明治末から五月を通例とした)。二十八日は地久節で、札幌女子実業学校等では拝賀式を挙行した。下旬には中島公園(四十一年より中島遊園地改め)も新緑に包まれ、一二〇〇燭のアーク灯で照らした公園内の池ではボート遊びの客で夜でも賑わった。また下旬から六月初めにかけて藻岩山の山開きが行われた。
 六月は東皐園の牡丹が見頃となり(七月の芍薬、八月の朝顔、西洋菖蒲、九月の萩が縱覧できた)、上旬には旧暦の端午の節句が行われ、菖蒲を屋上にさし、粽を神前に備えた(なお新暦の端午の節句では飾り人形、幟を飾った)。十四日から十六日は官幤大社札幌神社の例祭で、神輿渡御、山車行列が行われた。また創成川端の見世物小屋ではさまざまな興行が行われ(表3)、人びとを魅了させた。花火や競馬も行われ、札幌駅の乗降客は多いときで一日七〇〇〇人にも達した。四十四年の場合、目抜き通りは軒提灯、国旗、幔幕、桜の造花、イルミネーションで飾り付け、「浅草か千日前か」の祭の賑わいであったという(北タイ 明44・6・17~19)。
表-3 見世物興行揚り高(明44.6.14~16)
種類14日15日16日合計
石橋剣舞0円255,000円178,300円433,300円
田中活動81,000 470,000 220,000 771,000 
福田人形8,000 88,800 156,200 253,000 
山田水害3,450 21,500  9,000 33,950 
徳永動物2,100 22,400  8,500 33,000 
池野動物13,500 59,700 40,000 113,200 
田中ケーツカイ1,650 16,800 18,000 36,450 
矢田堀動物1,300 17,300 10,200 28,800 
山本蝮1,500 17,500 14,000 33,000 
郡司海虎7,700 33,000 31,000 71,700 
森亀3,000 22,500 11,500 37,000 
山本辰人形1,550 10,150 5,000 16,700 
山城屋足芸11,000 72,600 40,500 124,100 
小松や蛇13,500 67,000 28,800 109,300 
木暮軽業38,900 270,000 166,150 475,050 
島津解剖53,000 145,500 62,000 260,500 
山本小人1,500 43,000 37,000 91,000 
山田ケーツカイ1,750 15,900 11,300 28,950 
坂本怪物2,850 12,800 7,000 22,650 
小林目鏡3,400 28,500 15,500 47,400 
江川ケーツカイ12,000 57,000 17,500 35,200 
佐藤剣舞24,600 132,200 107,700 264,500 
早川軽業25,000 215,000 130,000 370,000 
合計312,550 2,090,150 1,325,450 3,728,150 
北海タイムス』(明44.6.19)より作成。数値は原文のまま。

 七月は一日が巡査の衣替えの日で、上下とも白地小倉の夏服を着用した。
 八月は各学校等が夏休みに入り、一日から豊平川東橋付近の水泳練習場も解禁された。一、二日は招魂祭で、中島公園で花火や相撲、競馬等の余興も加わって盛大に行われた。七日は一月遅れの七夕で、柳の枝に五色の短冊を飾り、子供たちは太鼓や石油缶を叩き「蠟燭出せ/\」と歩き回った(旧暦の場合は中旬になった)。十三日から十六日は盂蘭盆会で、中央寺新善光寺等で施餓鬼供養があり、墓参りに出かけた(明治初年以来旧暦でやってきたが、四十三年からは陰暦廃止となり一月遅れとなった。北タイ 明43・8・13)。通例の盆踊りは禁止されたままであった。
 九月は夏休みも終わって二学期が始まった。七、八日あるいは十五、十六日は豊川稲荷例祭日、十日は円山開村紀念祭、十五日は諏訪神社月寒神社の例祭日、二十七、二十八日は成田山の例祭日と続く。元に戻って二十三ないし二十四日は秋季皇霊祭(秋分の日)で、学校、官庁等が休業となった。また二十三日は西郷南洲翁祭で、四十四年からは佐藤農科大学学長はじめ有志が発起人となって一鹿児島県人のみでなしに札幌市民有志の祭典とした(北タイ 明44・9・23)。
 十一月は三日が天長節で、官庁、学校で拝賀式が行われた。この頃南香園では菊人形を飾って縱覧させた。二十三日は新嘗祭で、下旬(旧暦十月二十日)頃商家では商売繁昌を祈って恵比寿を祀った。
 十二月には一日に歩兵第二五聯隊への入営式が行われた。中旬頃より商店の歳末大売出しが始まり、二十五日がクリスマス、この頃より歳の市が創成川端にたち、三十一日が大祓で一年の幕を閉じた。