[翻刻]

            3
小人閑居して不善をなす。幸一幼少にして父母の
恩愛を恣にし、不孝にして教訓を等閑にす。今
爰に後悔朝夕たりといへとも恩罪身にまとひて
人前に無学の耻辱をさらす、可憐可怖。罪
過消滅懴悔のため己か病根を爰に於いて子
孫に語る。養父病に臥し給ひて終に遠行の旅に
おもむき給ふといへとも、若年にして看病の怠る
事を覚、実母此世を去り給ふといへとも是また
左の如し。年経て後不行跡にして江府にあり、
実父の病便りなき国に旅立し給ふ其日をも
しらす、父母居す時は遠遊はす。是聖賢の教
を守らさるの後悔なり。自らなせる禍ひ難遁、
 
  (改頁)      4
 
不順にして耻辱を抱て再国に帰り、養母の腹立給
ふを慰め詫を乞願ふといへとも、是を心よしとし給ふ
事なし。数日仮居して妻子と共に憂辛苦を
するといへとも、困窮爰に止りて朝夕患多し。
折しも夏の日の夕立篠をつくか如し。雷鳴耳
をつらぬき、電光目に遮り、おそろしといふも
尋常なり。此時我驚怖して是を思ふに、
酉夢打其父、天雷裂其身、斑婦罵其母、霊蛇
吸其命。指を折りて罪を数るに三枝反甫の
礼をも不知、己か如き不孝なるものならて誰か
現罪を蒙らさるへき、今にも一身撮み裂
るべしと、苦患堪かたく、狂気の如くにして
 
  (改頁)
 
父母の遠行を残り多しとせす、養家を継
て不行跡の科あり。今我路途に迷ふとて身
儘にして再家に帰らん事を欲す。養母憤
りて免し給ハす。是畢竟己か身を恨むるより
他事なし。妻子なくは剃髪して菩提心を発
し、若不幸におちいるへき若気もありなは、
此一条を談合もせはやと心痛しきりにして
是を悲む。痛ましきかな。夫より此方風雨を怖
れ物に驚く事骨髄に染込みて遁るゝ事
を得す。是則己か病根にして驚痛の症を
発し、療養を加ふといへとも治しかたく、脳(ママ)める
事中々に語るも耻へき事なりけり。爰に
 
  (改頁)      5
 
我娘順は養母の愛憐を蒙りて成長したり
けるものなれハ、祖母と孫との愛情の橋かけ初め
て終に詫をそ免し給はる。是を思ふ時は
我子を愛し其孫を恵む事の情合子を
見る事親にしかす、有かたしといふもまた
愚なるへし。程経て養母も重き病に臥し
て遠きに赴給ふ。此時始て看病をもし野辺
の送りをも勤めけれは、おのれなからに勧
念してそ勘考しける。心には墨染の袖に
世のうさをおほふといへとも煩脳すてかたく、
妻子の行先に迷を尚不顧、罪を重ぬる事
こそおそろしけれ。養母のはかなく成り給ふ
 
  (改頁)
 
看病の外、孝に似寄たるさまもなけれハ、自ら
改めて名乗を幸一とす。亦此うへの未熟を世の
人々にひろめ未熟を不患して、罪を滅し是
を子孫の幸ひにす。一ッは万物のはしめなれハ
幸一過て改るにはゝかる事なかれ。左に記す
大災の書も、後悔にして其子細愚なり。半は迄
綴りて是を見るに、書写したる己にさへ可笑
み拙き事こそ多かりけれ。尚閑をねらひて
書損を改め、[此書之内ニ善光寺来由ニ似寄、亦今之御堂立有シ手続記セシ所ニ、或人来リテ其詳ナル事を語ル。此書
者最早書綴リテ殊ニ亦大変之大旨ヲ素トスル所ナレハ、改テ善光寺之来由ヲ改ムルニモ非ス。併其子細詳ニ聞事是モ又幸ナレハ別録ニ書写シテ子孫に残ス]
清書する事を欲すれとも、病苦に逼れは
其足る事全からすや。紙数の散り失なはん
 
  (改頁)      6
 
事歎くか儘に、先是を仮りにとじてそ置も
のなり。若行届かすして清書を遂す此儘子
孫に送らは、其拙き事を必誹謗ある事なかれ。
また、己か無学病根の罪過を懴悔消滅
のため爰に書加へたれハ、子孫に至り後悔
の二字を深つゝしみ、取返しかたき事
を可怖。実に前車の見覆、後車の為
誡事を伝ふる而已。
 
 嘉永元年戊申夏
 
 
  (改頁)
 
伝聞、地震は陰陽の昇降浮沈の遅速によ
り発行して雷となり、地震となるとかや。
春夏秋冬に臨て浮沈前後の差別巡還あり
といへとも、予(あらかじめ)春寒退き兼て悪風を起し、立夏
より夏至に及すのころ冷気にして地を
震ひ、秋暑難去(さりかたく)して邪気を発し、立冬よ
り冬至に及すのころ暖気にして地震ふ事
其例少からす。これ皆陰陽不順なる故自
然と不正の病苦も流行し、草木にあたるとかや。
水火の勢大空(おほそら)にすれあひて雷となり、百里
に響くといへとも障なきをもつて不動(うごかす)。地中ハ
是障夛か故に大地を動すといへり。茲(これ)皆
 
  (改頁)      7
 
陰陽五行五性の変化より発行する処なり
とかや。
今爰に弘化四年歳次(ほしやとる)丁未清明の下旬二
十四日の夜亥の初尅(しょこく)、天災不思議なる大地
震を発し信濃の一国を大に破損す。就中
水内・高井・埴科・更級、築摩の五郡、地水火
の三災をもつて人民牛馬およひ山野田畑を
損ふ事前代未聞にして、言語に絶たり。此
変化たる事を、奈何(いかんぞ)其予(あらかじめ)愚毫を止めて
子孫累世のなくさみに書残す事を思慮
なすといへとも、幼時不勤学老後雖恨悔尚
所益有ことなしとかや。我今紙を撫(なで)、筆を
 
  (改頁)
 
ねふりて先後の有増(あらまし)を案すといへとも何か
ら先も不能思案、こつては尚更混雑不埒(ふらち)、親
の教訓(をしへ)も午(むま)の耳、悔んて還らぬ無学愚知、
述懐などゝハ金輪際俗物プウ/\俗語なりと
笑ふ子孫もあるならハ、艸葉の蔭にて歓(よろこぶ)べし。
彼を思ひ是を厭ひ徐(やうや)く思案も一决し、鉄(かな)
釘(くぎ)元祖の手跡ても瓢箪鯰(ひやうたんなまづ)の文章ても
書遺さへあるならハ、後世まても尽せすと
おそまき思案の後悔は、茲(これ)畢竟幼時不勤
学の由縁なるへし。この書はおろか書類を
はいらさるものと麁抹にし、襖下張屑紙に用
ゆる事ハ必しも嗜慎給へかし。俗語のくせに
 
  (改頁)      8
 
長文句と誹謗もやつはり春の夜の笑の種
ともなれかしと、子を覧事親にしかず、可
悋後悔なるは唯家に記録なき事をのみ。
 
 干時弘化丁未の夏、麦園に仮居の折節
 徒然のあまり閑窓の下に塵を払ひ、十
 六夜の月の照りを行燈の影に写し、
 たはむれ書して子孫のなくさみに遺す事
              しかり。
   皆真舘主 永井幸一
 
 
  (改頁)
 
  (改頁)      9
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  (改頁)
  (改頁)      13
  (改頁)
 
 爰に善光寺如来の伝書に似寄、また当
 所の繁花を記せし事不肖にして物知
 めかし、亦此書を遠国他人に送るにもあら
 さる事を徒に紙数を費し愚毫を
 さらすに等しく、子孫累世におよひて是を
 見ん時は奈何ぞ嘲笑すへきもなからんや。
 愚おもふに満れは闕るのならひといへとも、
 遠境隔る所の通客は山国を侮り、物言ふ
 こと鳥獣にひとしく、人間に四足なき事を
 怪む。爰に今此小冊を残して、諺に、驕る平
 家久からさる事を子孫に語る。伝聞、天
 明のころ始て当処へ雪駄二足を商人の
 
  (改頁)      14
 
 持来る事を、是を求め得て試見ん事を
評議まち/\なりとかや。纔(わずか)に六七拾年余
 の今に至りては、天鵞絨(びらうど)の二重緒(ふたへを)も昔の
 事におもひ、やハた黒桟留皮を好み、我幼年
 文化の頃は適々来駕の客を饗応といへ
 とも内津のさゝ波一森なんとの煎茶を
 極最とす。讒に二拾有余の年間の今に至
 りてハ、都の辰巳鹿そすむ世を宇治山の
 撰葉も差別を論して是を常とす。如斯
 驕奢に押移る事天の悪もまた恐怖すへし。
 人間生死を案する時は流行栄花を深く
 つゝしみ、四海皆是兄弟たる事を勤てもつて
 
  (改頁)
 
 長子孫を連続すへし。今天より大災を
 受て暫時に繁花を昔にかへらしむ。かゝる
 盛衰を眼前に見る事を思ひ徒に筆を
 採て気欝を紙上にさらして累代のなくさみ
 に残すのみなり。因て覧人笑を免し給へかし。
 
抑当国善光寺三尊弥陀如来の来由は遍く
世の信仰にしる所にして霊験殊にいちじるし。
三国伝来の伝書より、人皇三十代の帝
欽明天皇の御宇にはしめて日の本に渡らせ
給ひ、三十六代の帝 孝極天皇蘇生まします
の結縁に寄、昔時(そのかみ)夲夛善光へ勅命あり、諏方の
 
  (改頁)      15
 
国へ供奉して安置まします。今呼て伊奈郡
座光寺是なり。天平三壬寅年諏訪の国を信
濃の国にあらため、同国芋井の郷に遷し奉る。
此時高島の郡諏訪明神の神職奈何の縁に
寄てか本夛善光と倶に供奉し、一山のうち
いまの中衆に血脈を止めて連続すと云云。今も
なほ御仏御超歳の御宮なりとて、恐多くも
公義御普請の一宇において師走二ノ申の日
の夜尤秘密にして行之。此夜にあたりて市町
人家はいふもさらなり、鳥獣だにも小声一言を
も慎ずんハ必神の崇ありとて、ひそまりかへつて
恐怖す。御超歳の首尾能済たる事を大鐘
 
  (改頁)
 
四方に響くの時を待て、参詣群集たる事其例し
今もなほ昔に変る事なし。是全神職血統の
修行に寄なるへし。尤秘密なれハ其予詳
なる事をしらす。今の御堂より乾にあたり箱清
水村あり。四方は芋井郷にして一邑の地中を
深田の郷といふ。村入のかたハらに十人河原あり。
其昔如来誦経の料として深田の郷において二百
石を十二院へ給ふ。なほその頃は江州三井寺の
末院たりといふ。是なん一山のうち衆徒なりとかや。
数百年の星霜を経て十二院は名のみ残る。
是を誤て当所の人今呼て十人河原といふとかや。
一山四門に勅額あり。東門を定額山善光寺、西
 
  (改頁)      16
 
門を不捨山浄土寺、南門を南命山無量寿寺、
北門を北空山雲上寺。
  ◯月かけや四門四州もたゝひとつはせを翁
已に定額山善光寺は東門にて、御堂も東向
なりしを、数度焼失あり。就中寛永十有九年
壬午五月九日の出火にて町々およひ御堂類焼
す。其頃大勧進御方・本願上人御方争論の
事ありて仮御堂を御両寺の間に建といへとも、
入仏再建の企も延引におよひ、尊像を焼跡
に安置奉りぬ。慶安三庚寅年出入相済、七
ヶ年過寛文六丙午年四月十五日御堂へ遷し
奉り、元録元年始て如来堂建替の願ありて
 
  (改頁)
 
諸国に勧化あり。元録十二戊寅年唯今の塲
所へ地祭りありて普請はしまる。同十四庚辰年
七月廿一日下堀小路より出火、南風烈鋪御堂も
材木も類焼す。是に因て再国々勧化これあり。
同十六癸未年より普請はしまる。此時御両院
より懇願ありて松代御城主様より普請支
配として諸役人を給ふ。惣奉行小山田公を始と
して上下の人数百二十五人、御配役の次第は別録
に委鋪して爰に略す。元録十六年未の八月年
号改元あつて宝永四年亥まて五ヶ年を経て
建立あり。尤善光寺御堂は大伽藍にして
遍く世の人の知る所なりといへとも讒に五ヶ年の建
 
  (改頁)      17
 
立、全成就なる事尊敬すへし。そのあらまし
を爰に記すに
御夲堂[桁行二十九間三尺一寸五分、梁行十三間七寸五分]高サ石居ヨリ箱棟迄九丈、
坪数三百八拾七坪三合 余者別記ニ委鋪シテ爰ニ畧ス。
柱立宝永三戌年四月十六日 上棟同亥年七月朔日
入仏同八月十三日     供養同八月十五日
 其余者別録ニ委鋪シテ爰ニ畧ス。
是今の御堂にして諸国より参詣夥しく、前
代未聞の群集にて善光寺の街はいふも更なり、
近辺まても旅宿するもの多し。通夜する者は
御庭に充満する事言語に難述しと云云。昔時
欽明天皇の御代年号たに不定其昔、日の本に
 
  (改頁)
 
渡らせ給ひしより今弘化四年丁未まて千数百年の
大なるは普く世の人の知所なり。かゝる旧地の霊場なれハ
年増日にまして繁昌し、諸国よりの奉納寄附の
しな/\善美を尽し、参詣の諸人は百里を遠しと
せず、老若男女は往還の足労を不厭して爰に
群集す。また北国往来にして旅人多し。御領
は入交るといへとも、世俗に善光寺平と唱ふるその
見渡し、丑寅より未申へ里数十余里、東西五六里にして
悉平地なり。尤山国なれとも遠近山中に村々夛く、
何れも市町に便利ありて炭・薪・麻・木綿・雑穀
を夥鋪商ふ。北海へ讒十五・六里を経て朝夕に生
魚を得、流水にすめるものは名たかき千曲・犀の
 
  (改頁)      18
 
両川より手をうつて走り、井の元に呼、田畑ともに
二タ毛を耕作するの徳あり。其ほか山海の魚鳥、四
季の野菜、もやし・青物のたくひは呼声終らさ
るうちに鍋に入り、三ッ子といへとも料理を味ひて
生死の蒲焼を知る。形の大なるを重しとし、
小魚の軽きを好とす。就中毛物・織ものゝたくひ、
諸国の新製新形を好み、実に諺に、京に鄙
ありといひつへし。しかるか中にも当処はいふも
更なり、東南西北の駅路近辺まても利潤格外に
して、参詣群集なるハ一山の中に常念仏堂あり、
七八ヶ年の程を経て五万乃至六万の日数を積り
て惣囘向あり。また血縁のため前立本尊御開
 
  (改頁)
 
帳あり。尤累代の例によりて三月十日より四月三十日
まて日数五十日の間其賑ハしき事、山国辺土にハ
また珎らしといへとも、此に仏都と唱ふるをもつて
疑心を発すべからず。凡累例の式作法をはしめ
町々の奉納かざりつけの次第繁花の家並に至
り、凡略図を紙数の中に愚毫をさらし置ぬ。
 ◯次の札は前年十月十夜にあたりて、三都を始
 め当山二天門前へ立る事常例たりとかや。
 然るを今弘化四未年御回向につき午年九月
 十日に建札ありし、奈何の由縁なるか其詳
 なる事を知らす。此時御別当大勧進[大仏頂院
 権僧正山海御代也]松代 大守様元来の御懇意たる
 
  (改頁)      19
  (改頁)
 
 により、時候御伺として御登城あり、御懇の御
 もてなし厚、殊更善美の御土産物まて
 給ハりて首尾全にして御帰山なりといふ。此時
 誰いふともなく此事を虚説して曰、十月十夜
 におよひて札を建る事常例たり、然るを
 奈何(いかんぞ)三十日を早く届もなくして建札あるの
 よし、因茲(これによつて)諸色買置を催し、また直上を
 たくむ人気騒立事三ヶ月にて可済を四ヶ月
 の不融通たりとて、此旨御尋のありしゆゑ、
 御詫として御登城ありけれとも御許容なし、
 因茲御回向は空しくなりしといふ。此時
 予も松城にありしか、御城下町ハ更なり、御家中
 
  (改頁)      20
 
 においてだに其取沙汰専らなり。予も心を痛
 め、帰る路すからも其説まち/\なり。帰りてもなほ
 是を問ふに最早建札は引ぬる事を取沙
 汰する事多かりけり。是虚説にして取るに
 たらすといへとも、爰に三月二十四日已に御囘向盛
 にして諸国参詣の旅人幾千人となく一時に
 命を爰に群死す。疑ふらくハかゝる大災の
 前表にもありけるにや。
 ◯弘化三年午の十月朔日終日快晴にして
 二日雨降る。三日天気にして四日終日雪降、
 五日終日雪降り午の半刻より雪大いにして
 寒気尤厳なり。酉の初刻雷鳴夥しく
 
  (改頁)
 
雨戸障子の内まて其光りすさまじく、心耳
を驚す事尋常なり。奈何大寒雪中に
おいてかゝる変事有事実に陰陽昇降の
遅速によるなるへきや。予日記にしるし
置たるをかゝる大地の震ふ事をおもひ
あたりし侭に爰にしるすもまた可愚
なる哉。
 
そのあらましをいはゞ先名たかき犀川の渡船
あり。水の満微に随て二船三船をもつて縄を
たぐりて旅行を渡す。其水上は木曽川にして
山国谷間を流れいでゝ平地に至れば、河原
 
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のほと尤長し。浪あらくして瀬早し。依て渡
船を縄こしにす。遠近の通舟筏乗る商人
も船頭の楫を便りにあら浪を上下し、さや
けき月は浪のうね/\に光りをうつし、
初秋告る雁、行かふ鴨、いつれかあハれな
らさらん。千曲・犀一川になりて北海に流
れ、名物の川鮭此辺りに漁り、一(瓢)を
携るもまた面白く、夜行にハ吹上の石燈
籠を見当に旅の労(つか)れをわすれ、はやくも
善光寺にいたりぬるかと宿入馬の鈴の
音色もおもしろく、馬士(まご)うたにつれて
荒木村をすくれは中の御所むらあり。昔時
 
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  (改頁)
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  (改頁)
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  (改頁)
 
◯前の一図は此『地震後世話の種』を写すに当り、
余か家の近辺にあたれる其当時の有様を画
き出せるものなり。
船番所は市村水夫共の当村の地所を永借
して建てしものにして、船場口の変更より渡船の
便利をはかりてこゝに位置を定めしなり。渡船
口は、最も上なるときは裾花川を渡りそれより
南して丹波島駅本陣の真北にあたり、最下
なるときは綱島うらにかゝるなり。其頃俗諺に
いふ、船場口上なるときは米穀の直段上り、下なる
ときは直段下ると。果してそのごとくなりしハ、大に
竒におもひしことなり。
 明治三十四年初秋 芹田村荒木二川亭柳霞記す
 
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  (改頁)
 
征夷大将軍頼朝公建久年中善光寺参詣
の刻(きさみ)仮御所に定め給ひしゆゑに字とせり。
爰に大将軍守仏髻(もとゞり)の馬頭観世音、政子
御前の守仏正観音、弘法大師御作地蔵
尊安置の御堂あり。これより三丁程歩
行て石堂村あり。かるかや親子地蔵尊の
古跡、石堂丸の因縁によりて字を石堂村
といふとかや。是より御夲堂まて左右に
家を建連ねて、諸商人おもひに見世店
をまうけて、家業怠る事なし。都て町々
の有増を図画の大略をもつてす。先程に
近来取わけて繁花賑ふにしたかひ、一より
 
  (改頁)      26
 
十百千に至るまて一ッとして不足する事を
きかず。况や前にも記せる如く、善光寺如来
御囘向とて、来年の事をいへは鬼の笑ふ今
年より、我人におとらしと、精を磨き魂
を砕て利潤の大なる事を工風し、新製
妙薬なる事を催す。そのほか旅籠屋茶
店にいたり、煤をはらひ行灯をはりかいて、年
のあくるをまつ。或ハ芝居或ハ軽業曲馬を
はしめ、遠近にあるとあらゆる評判記を尋
もとめ、給金雑費の夛少をろんせず、工風
をこらす事尋常なり。
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      28
  (改頁)
 
徐く目出度年を超え若水汲る音にハ常盤
なる松の声を添ヘ、鉢植なる梅が香福寿草も
共にうち揃ひたる此春を迎へ、はつ日の出青畳を
照し御慶めて度数々の数の子なりと間似合に
松竹梅を熨斗包み、屠蘇を寿盃に浪々と
浪のり船の音もよき、初鶯や初若菜、七草
薺うちはやし、長閑なる日もけふと過、あす
と過行光陰に関をとゝむる人のなけれハ、いつしか
桜桃の花、柳も糸を春風に、弥生の節句も
過行まゝに、去年の穐(あき)より待わひし御回向
初日も近寄けれハ、たがひに用意取紛れ、軒を
並べて家毎に立連ねたるちやうちんには、紅を
 
  (改頁)      29
 
もつて立葵と卍(まんじ)の紋を一様にし、近を見れは形
を分ち、遠きを見渡せは、紅白(こうはく)の色をわかたずして
杏の林に入か如く、暫く歩行て横町路次を左に
見右に詠れハ、是もまた一やうにして秋はまた
ねと紅葉の錦をかざるばかりなり。町々の寄附
奉納の幡は猩々緋緋の羅脊板(らせいた)をもつてし、五
色の吹抜は絹木綿を以てし、棹のうへにハ金銀
の玉またハ日月の形を粧ひ、夕陽赫々たる時は
綺羅星の如く玉を欺き、幡・吹流しは風に靡
き空によこたはり、幟(のぼり)に風をしとむ声、旅籠屋
に旅人を止るこゑ、いづれをか聞わかたん。二天門より
鋪石四丁を歩行(あゆみ)て御本堂なり。左右に見世店
 
  (改頁)
 
幾数十軒を並べ、小間物・善光寺土産を商ひ、
或は水くわし・干菓子のたくひ、御影・絵図面・流
行うた、また御休処の床机に腰をもたれて
旅客を呼込むたをやめは、年も二八のそは
よりも細きこしに、やまゝゆ入たる紫小納戸縮
緬の紐つけたるまへかけをしめて、酒喰を商ふ。或ハ
すし或はてんぷら・蒸菓子等の屋台店ハ、ふ
ら提灯、また風りんの音色と共にすゝやかなる
声して客の足を留め、あらゆるしな/\四丁有余
の鋪石左右各二行に軒を並へ、一山衆徒の門前
には、破風屋根付けたる台ちやうちん一様に
建並へ、小御堂にハ施主有しな/\掛ならべ、
 
  (改頁)
  (改頁)
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  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      33
 
燈明を輝す。床見せの裏通りにハ、曲馬・軽
業・芝居をはしめ、思ひ/\の見世物の小屋
二十有余建連ね、表に掛たる名代看板は浮世
絵の上手を以て彩色に筆を労し、大入ひいき
のぶらちやうちんハ、火除の下に数多く提げ、見物
は木戸口をおし合ひ、笛・太皷の音耳をつら抜
き、三味線の音色よく、口上言はどうけをまじえ
てやたらにしやべり、見物の笑ふ声あたりに
響き、居合抜ハほんとしたる客の顔色を見つめ
て黒痣を抜き、鍮石(しんちゆう)磨き銀ながし、あるひは
口中一切の薬・歯磨き四文銭を噛砕て利
口ものゝ気を奪ひ、七色とうがらしは冷茶に
 
  (改頁)
 
口中を潤し、声の嗄(かる)るもいとはす一味/\に功能をし
やべくり、熊の油艮(そく)妙膏、吉井の火打は摺りあはせて
火口(ほくち)にうつし、売卜者はまの卦にあたるを捕へて
てたらめをいひ、三国一の甘酒山川白酒のたぐひ、よし簾(す)
の茶店ハ流行のこげ茶深川鼠、声花(はなやか)ならす、
雪輪(ゆきわ)・乱菊・桜草、しやれたる模様を一トはゞに
二ッ三ッ宛染抜て、何れも新竒妙案を工夫し、
鐘楼の傍、松原のかなたこなたに囲(かこひ)を構へ、
其賑ふ事たとふるに類なく、拙き筆にハなか/\に
千分の一ッもおよはさるなり。其外俄に寄附
奉納のその品々、近在近郷より劣らじものをと
席をあらそひ、江戸・京・大坂千人講中あるひは
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      35
  (改頁)
  (改頁)      36
  (改頁)
  (改頁)      37
 
念仏・御花講・女人講中奉納物善美を尽すば
かりなり。処狭しと建並べ、日も西山に傾きて入相
耳をつらぬけハ、あるとあらゆる数万のしな/\、或は
蝋燭或ハかんてらに光をうつし、夜店の賑ひ
殊更に、覗(のぞき)からくり・富小屋のあかりハ素より、
参詣の群集の人々ちやうちんてらし、炎(ほのふ)は空
にうつり輝き、白昼といへとも清明ならずんハ
却て是を欺くべし。行かふ諸人耳目を驚
し、西に走り東に歩み、南北たにもさだかなら
さる其賑ひ、たとふるにものなし。
 旧例として三月九日申の上刻、御本坊表御門
 より出輿ありて、御夲堂まて 前立尊像の
 
  (改頁)
 
 御宝龕(がん)、御印文の御宝龕、錦帳あたりを輝し、
 行列美々しくして御ねりあり。、警固の僧衆・
 諸役人左右前後を打守り、相図の鐘を打なら
 せば、一山の衆徒山門の際(きは)まていで迎ひ、供奉尊敬
 して御本堂に遷し奉る。尤供物備物をはしめ、
 生花・造華・香蝋を奉捧、餝付けの次第、
 善なり美なり。翌十日にハ御別当権僧正様
 中輿にて御ねりあり。是則日光御門主様
 より御拝領にして金銀の金物を輝し、竒
 麗といふもまた愚なり。
 爰に舌代していはく、かゝる不思義なる時節に
 ながらひ居て、なとか子孫の慰に書遺しなん
 
  (改頁)      38
 
 事を欲すといへとも、前にも述るか如く、生得物
 に鈍くして筆に愚なり。心にありても其由を
 遂る事不能、筆をして硯をかきまハす事
 の数刻に及ふといへとも、習はぬ経の読ばこそ、
 さりとて後世におよひなは噺伝もさたかなら
 しと徐く思案一决して小児だましの倦(あぐみ)文句(もんく)
 此処まてハ不埒たら/\俗語しける所に、一子
 乾三臂の元に来りて、御囘向盛りにして賑ハ
 しく、また初の十日御ねりあり、其行列の列の次第
 を噺しにせよといふ。さたかならすもその有増を
 咄せしに幼年にして其由を不弁、あまりにうる
 さく問ふゆゑに不得已事して、不詳といへとも
 
  (改頁)
  (改頁)      39
  (改頁)
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  (改頁)
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  (改頁)
  (改頁)      42
  (改頁)
 
 空覚のあらましをもつて是を写す。実に諺に噺
 しを絵に書かくなるへし。しかるをまた此双紙の中に
 綴入れよといふ。これもまた子孫におよひて春
 の日の長く秋の夜の深きにおよひて砂糖
 豆の喰尽し祖父祖母の昔しばなしの数にも
 入べきや。はなしを絵なるたハむれ書、其侭
 爰に綴入たれハ、あまりに厚き顔の皮と被仰
 方もあるへけれと、是皆子孫の愛情におぼ
 るゝところの厚皮と、覧人笑ひをとゝめ給へ。
幸一爰にまた子孫に語る事あり。われ幼年の
頃より今此御開帳まて其数覚て四度におよへり。
その度毎に町々の奉納寄附のしな/\ある
 
  (改頁)      43
 
事先例たりといへとも、家毎に建連ねたる高
張ちやうちんなりしも敢て一やうといふにもあら
ざりしを、近来取分て何品ニよらす《キョウ》慢に
おし移り、花車風流を専要とする事言語
に絶たり。今此大災を受、財宝損亡多し
といへとも、就中難得秘書・書画の類、小道具、古
代の名噐微塵灰となりて一朝一夕に山をなす事
可恪(をしむべし)、亦驚怖すべし。爰にまた市街年中行事・
神社仏閣縁日・祭礼賑ふ事の数多しと
いヘとも、就中六月十三四日の両日、先規の例として
市町を東西に分ち、祇園会祭礼、狂言屋台・
鉾(ほこ)・ねりもの・燈籠に至る迄焼け損ふ事の
 
  (改頁)
 
多ければ、我子孫におきて此有様を見る事
不可有。また西町・横町におきてはその市神の
祭り、夜見世の市の賑ふ事、是もまたしかな
れハ、猶隙もありなば後編まてに図画を出して
子孫慰に遺すべし。如斯驕奢に長し、栄花
歓楽の満足なる事幼若小児といへとも皆是
を常とす。おもふに六万五千日を積りこバ、御囘
向また前立本尊御開帳のありしもさそ繁花
艶(たへ)なることなるへし。有来りし茶屋・旅籠屋は
更なり、新に地面を広くし家作を補理(しつらひ)、軒
を並て利潤をあらそひ、我人に劣らしと心魂
を砕き、内職出店新案を懲す事不少、予も
 
  (改頁)      44
 
また運拙くして家禄不如意なり。人みな内職工風
を専らとす。然るを奈何(いかんぞ)、空鋪(むなしく)光陰を送るべきや。
御囘向ぞとて遠来の客人また物入も多し。平日質
素を守るといふとも、斯たまさかの賑ひ、家内のものも
参詣を心にまかせ、料理屋の軒によりて酒給(さけたべ)、茶
漬をもおごり、またハ芝居・軽業・見世ものなとも
心能見物させはや。それにつき是につけてハ時花(はやり)の
着もの何やかや、親の苦労も余所(よそ)事にして、
艶なる事を好(よし)とする事、他を見てうらやみ願ふ
ハ禁(いまし)めありといへとも、皆是情愛におぼるゝの所為
不得已事。幸ひ爰に思ひ付きの事のありしハ、
善光寺は古今無双の霊地にして、日にまし
 
  (改頁)
 
年にまして参詣の旅人も群集すといへとも、是
こそ善光寺参詣のみやけといふ其品なし。これ
によつて当所に因縁ある事を工風し菓子を
製し、また御開帳の事なれハ子供のもて遊ひに
小幟(このぼり)をこしらひ、其料尤安くして遠国まても持
ち易き様有増工風はありぬれとも、場処も程能、
形も望ある事なれはこれも又容易ならす、依
て我実家なる久保田姓へ示談を遂しに、素
より血縁はまた格別、共に心を配りて御夲坊へ
御内願のいだせしかども、四門の尊号は是則
勅額の写しにして尤重ずべき事にして容易な
りがたし。さりとて他の願になく御許容もある
 
  (改頁)      45
 
べきなれとも、役人中の所存も如何哉。就ては
御夲坊より御内々仰入られも下さるへくや、内実
御許容の趣もあれはなり。乍去表向は、地かた
の掛りなる中野姓へ願書差出すへしとありけれハ、
    乍恐以書付奉願上候
今般御囘向ニ付、御境内之内駒帰橋近辺
御拝借地仕、出店商売仕度奉願上候。格別之
御慈悲を以て、右願之通 御聞済被成下置度、
偏奉願上候。以上
 弘化四午年三月     権堂村
                願人 庄五郎印
             横沢町
               親類差添 弥助印
                中野治兵衛様
 
  (改頁)
 
内職出店梅笑堂
 ◯地所駒帰橋西側之際、
 間口三間半、奥行九尺。
 ◯此橋ヨリ上ノ方ヘハ屋根アル店ハ難出来、
 今般梅笑堂而已御許容ナリ。
 御本堂裏ハ亦別義也。
 
  (改頁)      46
  (改頁)
  (改頁)      47
 
勅額之写新製御免菓子之図、地白フチ字共ニ
紅、亦者浅黄字白等也。大キサ如図厚サ五分、包紙
色紫ヲ以テス。
翁之句
月かけや四門
 四州も唯ひとつ
亦紅摺ニシテ善光
みやけトイウ小札ヲ
銀之帯ニハサミ、外ニ新
製まさこ、大サ 色トモニ如図袋入也。但シ袋ノ模様又ハ
小幟、残リ有ヲ以テ可知。価銭百文ニ附四包也。
 
  (改頁)
 
形之如く願書差出し滞るかたもなく整けれとも、東
都へ注文の品々間にあはす。爰に三月十五目ハ例にし
て式日なり。殊にまた御囘向の事なれは賑しき事
見たるよりもなほたしかなり。因ては十四日の夜そ
れ/\の品取揃へ、十五日暁天を待て目出度店を開
くへしとて、其用意をそしたりける。御境内ひろしと
いへとも、所狭しと小屋掛並へ、あるとあらゆるしな/\
持出し、賑ふ事限りなしといへとも、爰に稀なる
店餝りゆゑ評判もよく、また繁昌し、家内の
ものも歓て、此上仕入も間に合なは、御山内宿坊
がた、旅籠屋などへも頼を入、座鋪に通りて
旅人に進なは、是そもつたいなくも御当山
 
  (改頁)      48
 
勅額の写にして、御国元への御土産なり、是ハ御
当山御開帳につき遠国よりの御参詣御子孫
かたへの御土産なり、手軽にして実に御参詣の
印なりと、口演まても評議を極め、笑ひに朝夕
取紛れ手足を痛く労しけり。
爰にまた子孫にかたる。予常に閑居の一ト間あり。
是をも造作を仕替て座鋪に補理(しつらへ)ん事を思ひて、
地袋附の床の間と持仏安置の一ト間を普請し、
折しも弥生の廿四日は幸ひの吉辰なれはとて、
襖張付け腰張も急きしまゝに徐に此日を
遷座も間にあひて、古仏檀より移し、上拝礼
をそしたりけり。また新座鋪の祝にとて、床の
 
  (改頁)
 
間に題 寄松祝 御染筆は綾小路宰相有
長卿、拝見しつゝも取紛れ夕飯さへもおそくなり、
暮六ッ過し頃おひに漸く膳に居並ぬ。折しも家
内をはしめとし[此時善左ヱ門三十四才・妻イト二十九才・娘ジュン十六才・忰乾三九才・松代中町住人菓子職人長吉・同長兵
衛・大工大吉庄五郎・女房タマ此両者は出店梅笑堂ニアリテ三度ノ喰事可持歩運]とも/\に膳に居りて箸
を取ぬ。此時予たはむれて言ひける事、また参詣
に行んとして不進、すゝみてまた行事をとゞめ、
留守居もなくして気を急、出店梅笑堂に至
りて災難に出逢、死をのかるゝ事神仏の加
護なるか、凡人なれハまよふといへともまた不思義
なり。予戯れていひけるハ、今の地震を知りたるやと、
家内のものに問けれは、ありあふ人々顔見合しら
 
  (改頁)      49
 
ざるよしを答けるゆゑ、斯常に稀なる地震のほ
とをしらぬとハあきれ果てたる事なりというて、
皆々笑ひになりぬ。疑ふらくハ是前表なるか、
また諺にいふ虫のしらせたるにや。去程に夜喰
をも給終りぬれハ留守居をたのみて打連立
参詣し、賑ハしきを見はやとて子供をはじめ
打歓したくそこ/\取急、留守居のものも兎に
角に漸く庄五郎母[於ムメ乾三トリアゲバヽ也]菓子の職人ひとりを
残し行んとしてハ進得す、何やら心にかゝりてハ
そこ/\にして家をいでぬ。実に凡人なれハ此
大災ある事を可知や、打連れ立て出店なる
梅笑堂にこそ至りける。
 
  (改頁)
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  四季絶景仮寝(かりね)ヶ岡(をか)之風流〓《シタミ》(したみ)喜源(のきげん)述(のぶる)
春は梅か香を慕ひて初音哢(さへづる)鶯軒を歴廻(へめぐり)、桃桜
笑を含み、海棠露を含の時に臨て、青柳糸を垂れ、
山雀(やまがら)・瑠璃鳥(るりてう)も是を慕ひて、緑を添ふる呉竹、
常盤なる松が枝に哢り、毛氈(けむしろ)ならて真薦(まこも)なる
席(むしろ)を携ひ田楽(でんかく)を朋(とも)とする身のいつ鹿(しか)馬(うま)の齢(よはひ)た
かきを雖怪(あやしむといへとも)、月を過き日を送る事の我はしらね
と柴垣の垣根の山吹衣更(きぬかへ)て、卯の花にほふ庭
の面を、月か雪かと疑へば、夢覚(ゆめさま)せよと郭公(ほとゝぎす)、
夏来にけりと言儘(いふまゝ)に、牡丹の薫(かをり)嗅(きゝ)染(そめ)て往(ゆき)つ戻(もどり)つ
あそぶ蝶、庵(いほ)の軒端に咲つゞく、紫白(しはく)の藤の艶(たへ)
なるハ、詠め尽せぬ程もなく、金(こがね)色なす菜の花の、
 
  (改頁)
 
花より田の面に苗代(なはしろ)の、水引入れは其風景、沖の浪
静やかにして早処女(さをとめ)の菅の小笠(をがさ)遠近(をちこち)に見え、遠(とほ)
音(ね)に聞ゆる鄙歌(いなかうた)を田鶴鳴(たづなき)わたるかと怪み、名に
なれたる千曲・犀川の清らかなるを船路(ふなみち)かとそ
疑もむへなるかな。むへ山の山にはあらねと仮寝(かりね)
か岡、その鳫(かり)行還(ゆきかふ)苅穂(かりほ)さへ、貢(みつぎ)のための朝夕(あさゆふ)に
民の竈戸(かまど)は賑ふと 御製まします 叡覧(えいらん)も、
おそれありや有明の、月もくまなく初霜(はつしも)を、照すも
よしや善光(よしみつ)の、御寺(みてら)の鐘の時なくハ、年々歳々
花相(あひ)似(にたり)、歳々年々同うして頭に雪は積れとも、
暮行歳(くれゆくとし)をは知ぬかほ、詩仏老人(しぶつらうじん)の筆すさび、
信中第一楼と書遺(かきのこ)されしも実(げ)にや此仮寝
 
  (改頁)      56
 
か岡の様なるへし。過にし頃、此辺(ほと)りなる農夫畑を
耕して金色(こんじき)なる昆沙門天の尊像を得たり。爰に
本城かりねか岡は寅のかたにあたり、尊天幸(さいは)ひの
縁により、また鬼門相当(さうたう)の里なれハ、こゝに一宇
を建立し、尊像を奉遷(うつしたてまつ)るに、日にまし霊験(れいけん)
あらたなれハ、秘仏(ひぶつ)に崇(あがめ)奉(たてまつ)り、常に前立の尊
容(よう)を諸人にこそハ拝せしむれ、年連(れん)々にして
おのつから奉納あまたありけるにや、愛染(あいぜん)・菅公(かんこう)・
稲荷の堂社勧請(くわんじやう)あり。石壇(いしだん)下りし平地には、
彼の楼におきて諸先生書画の会合を催し、
常に会席を商(あきの)ふにそ。長閑(のどか)なる春の日
より冬は雪見にころぶまで、四季折(をり)々の
 
  (改頁)
 
風流を、御開帳盛んのころほひは、さてこそ繁花
にあるらめと、地震後世噺の種(たね)、実法(みのり)はせずとも
一ト度(たび)は嗚呼(おこ)がましくも唐箕(とうみ)にかゝり吹出(ふきいだ)さるゝ
ところまてハと、蚯蚓(みゝづ)の歌(うた)も歌なりと恥(はぢ)をもつて
恥(はち)ざるものは、是(これ)畢竟《シタミ》酒(したみざけ)の喜源(きげん)にまかせたる
たはむれことゝみたまひねとて、かくなん。
 
去程に出店梅笑堂にありて其賑ふ事を詠るに、
夜店のともし火白昼を欺き、市町の老若、近
隣在々の諸人は素より、他国遠近の旅人長
途の旅行の労をもいとはす、賑しきにうかれ
 
  (改頁)      57
 
たち、時の過るもしらざりけり。常念仏の時の
鐘、はやくも亥の刻を告るにそ、ありあふものに店
をしまはせ、我れら壱人参詣に出行けるに、
引もきらさる往還の群集、左りに除右に臨み
て御本堂に入けれは、金銀珠玉錦帳あたり
を輝し、通夜する人(ひと)々充満し一口同音に
称名を唱へ、あたかも鳥獣といへどももうねん
を捨て上品上生の心を発(はつせ)ざらんや。共に合掌し
て仏縁を誓ひ、三礼して表向拝(かうはい)まて立出
るに、亥の刻少しく過れとも、その賑ふ事夥し
く、又言語に難述(のべがたし)とおもふほともなく、戌亥の
かたとおぼし、おそろしきひとこゑ天地八方
 
  (改頁)
 
に響き鳴動し、又非類にして土砂を吹立、白昼
を欺く数万の燈火、手の裏を返すか如くあん夜
に変り、親に離れ子を失へとも是を求むる事
ハさておき、行んとするを刎のけ、居らんとするを
うちつけ、歩行を運ずして、或ハ五間、又は三間、前
後左右に押遣(おしや)られ引返され、幾千万の
群集いづれへか散乱し、其形壱人として
爰にあらず。天地くつがへりて世滅するの時こそ
至れるならめ、乃至(ないし)我先にとりひしかれ、人
先にやつかみさらはれんかと、我心中に驚怖す
るのみにて、なんらの因縁なるか、そのよしを尋ね
答ふるに、あたりに人なし。然するうちも其
 
  (改頁)
  (改頁)
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  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      61
 
響恐しく、幾千万の雷連りて地に落るかと怪
み起上らんとすれとも立事不能、行んとすれ
とも足の踏処をしらす。又ハ倒れ又ハ中には
ね上られ、心魂苦痛、やゝ暫くにして少しは鳴
動も止みぬる時、我思ふ、譬此侭一命終り
一身爰に滅亡するとも、妻子ハ纔に山門を
隔りて出店梅笑堂にありて、おなし苦患に
悲歎する事眼前なり。譬此上急災を受
とも、死塲を妻子と共にして朽果なん。子とし
て親の安否をおのれが苦痛に引替へ、妻
として夫の行衛をしらす空敷一命終り
なん。かゝる竒怪の時に臨て、妻子の愛憐に
 
  (改頁)
 
迷ひ往生决定せさる事、他の謗りも恥へきか。
しはらく煩脳難去といへとも夫妻死後に及て、
幼少の子供何を頼にか成長せん。共に死せは我
らか死後香花を誰か手向ん。是皆凡夫血
統の情愛におほるゝの所為にして、一心决定し
て一ト走りに山門の下タに至るに、案にたかはす
あん夜に等しきその中を、我を呼て取縋
る妻子をはじめ、出店にありあふものともは、
いつれも無難なりけれハ、一ト先心を安からし
むといへとも、共に安否も尋問ふ事なく、たゞ此
所に死塲を極めて、悲歎し驚怖するのみ
なり。しかるに群集する人々は、親・夫にはなれ、
 
  (改頁)      62
 
妻子・道連を見失ひ、たれよかれよと思ひ/\に
其名を呼て尋求る声あはれにして、また辺り
に響き、一身の置所に吟(さまよ)ひ、啼喚く声心耳に
通じ、地震なるぞ狼狽(うろたひ)なといふ声あり。徐(やうや)く
地震なる事をしりて、又おそるゝハ、かゝる大変
の事なれハ、地われて土中に埋なん事を。因て
梅笑堂にありあふ板戸鋪ものなとを取出し、
鋪石の傍に鋪並へ、其災害を防かんとし、
此時漸く神仏を祈念する事を案じ、
北辰霊府尊星王、象頭山大権現、一代の
守護八幡大武神、妻子とも/\信仰し持
合せたるきれものもなけれハ、脇差引抜、髻を
 
  (改頁)
 
押切りて心願を祈り、あたりをうち詠れバ、何鹿(いつしか)に出
火となり、盛んに燃立、方角は大門町上ノかた、東横町
中程、東之門町西側にて、中程此三ヶ所を先とす。火
事よ/\と呼騒立事夥しといへとも、たゞ狼狽
騒くのみにて、駈付行んものもなく、途方に暮るゝは
かりなり。そのほともなく、西の門町新道辺より、火の
手盛んに燃立、暫時に御本坊こそ危く見えに
けり。諸人だゞばうぜんとして気を損ひ、魂を奪
ハれ神号を唱へ、また称名を唱へて苦患を爰に
とゝむる。時節なるかな、悪風悪火なる哉、火気
盛んになりて、本願上人様御院内・中衆・妻戸を
眼たたく間に焼失ひて、二王門へ吹かくる火勢取
 
  (改頁)      63
 
わけて恐しく、二王尊を始め、迦羅仏の尊像、毘
沙門・大黒の両天を焼損ひ、早くも左右の見世店へ
吹懸け、連々たる火勢増々盛んなり。しかるか
うちにも横山・宇木・相之木辺とおぼしく、また
東町・岩石町・新町辺もかくなりけるや、いつれを先、
いつれを後とも其程をわかたす。新道口は西之
門・桜小路・阿弥陀院何れを限りともわかたず、
市町一面の火気空にうつり、倒家の下にハ圧
死人の啼叫(なきさけぶ)声、親を慕ひ子を叫(よバハ)る声、神仏
祈念の音喧敷、また憐れにして、此上のなり行を
悲歎する事おほかたならす。しかするうちも地震
鳴動する事夥しく、呵責の苦患も是までと、
 
  (改頁)
 
やるかたなくそ居たりける。我家に帰らんにも一面
の大火何(いかん)とも不能思慮(しりよにあたはず)。爰に又庄五郎は我家に
行て安否を尋ねんことを談合す。我家も何鹿
火の中なるべし。万にひとつもいまた火のかゝらずハ
家財ハかならす悋むにあらす。御制札と書ものをば
何とかして取出し、若も我家の焼失し是迚も
遁れがたくはそのむね直に可告知。また願ハくは、
二条殿下様御震筆の額面、我ら年来の
懇願によりて実兄より贈り給はり大切の品に
して、同御震筆の掛物、堂上方御染筆
六歌仙の額面、何れも是皆同様の品なれば、何
卒して無難なる事を願度おもふなり。怪我
 
  (改頁)      64
 
いたさぬやう心付、必々危に近よらず、心元なき
事もありなは引返して行事を止るべし。
我ハ四五年此かたの大病、此ごとく服中脳乱し
心気胸痛み逆上の烈しけれハ、今宵の薄命
無覚束。お順(じゆん)は母に心を添、力をあはせて
煩はぬやうに乾三(けんざう)が成長を頼むなり。また幸ひの
縁もあらば、女はよろづ嗜慎む事常とすへし。
物いふ事あら/\しきハ聞苦敷、夫を天の如く
心得べし。かねてもいふ、女に七去の難ありとかや。
なんど行も届かぬ噺に時をうつし、乾三はいまた
幼少なれとも三才(みつご)の魂百までとかや。母を敬ひ、男
子はもの読書ことを第一とす。我幼少の頃、親
 
  (改頁)
 
の教を背きいま人前に出て恥かはしき事の多
かりけるも、是後悔にして取にたらす。成長して
他人の恥かしめをうけぬやうすべし、なんど噺し
するまも、数度の地震鳴動おそろしく、諸人
称名を唱へ、泣喚声あたりにひゞき、市町は一
面炎々たる大火、連々たる白黒の煙灰を吹立て、
火のこは空に飛廻り、盛火に辺りを見渡せば、
あるとあらゆる奉納物、宝塔・夜燈・仏菩薩、
立連ねたるその品々、善美の粧ひ手の裏を返
すか如く、あるひは倒れ或は潰れ、千分のひとつも
其形の変らさるハなく、目もあてられぬありさま
なり。暫くありて庄五郎は息をもつがす立帰
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      66
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      68
 
りぬ。其趣を尋ね問ふに、いつれを行、いつれを帰
りたるや其順路をしらす、或ハ倒家の上を踏、あ
るひハ潰れかゝりたる家の下をくゞり、右に吟ひ、
左に狼狽、その難渋なるハ申述かたし。潰れた
る家毎に腰をうたれ、倒れたる家並にハ手足
をはさみ、あるひハ黒髪ばかりをおさへらるといへとも
逃出す事不能、助け給へ救ひ給へと啼叫声
耳をつらぬき、苦痛のありさま目に遮り、こけつ
まろびつ数万の人々右往左往に逃去り歴
廻り、火事よ/\といふ侭に倒れ家潰れ、家の
下には圧死とともに息ある人も絶たるも此世
からなるとうくわつ地獄、呵責の苦患も斯やらん
 
  (改頁)
 
と、語るもなか/\恐ろしく、身の毛も弥立計なり。
火事ハ横町より上のかた盛りにして、風も西南と
おぼえしかハ、よもや権堂・後町の辺は類焼は
致すまじ。また御制札の事ハ慥なるかたに預あり
候まゝ、必心配なされなと、申伝へよとの事にて候。書
物其外少しのものハ持出し置候との事にて候、なと
噺しするまもあらさるほとに、西の門・新道辺の
出火はやくも御本坊なる角の御蔵へ火の懸り
ける事を、人声騒敷呼立るを、右に見やり
左になかむれハ、法然堂・東之門追々上ミのかたへ
燃登りける。そのありさま怖しく此処にあらんこ
とかなはずとて、出店梅笑堂にありける戸棚壱ツ、
 
  (改頁)      69
 
其外少しのものを持出し、板戸鋪物のたぐひなと
わけ持て御本堂のかたわきまて逃去りぬ。当所の
老若はいふに及す、遠近の旅人潰家を徐く逃
のひたる人々ハ、じゆばんひとつに小児を抱ひ、またハ
裸(はだか)にて手拭なんどを前にあて、またある人は
褌(ふんどし)二幅計りにてやうやく辛き命を扶り、怪我
人またハ老人を脊負て逃去る諸人、殊更哀
にして其歎き見るに忍ひす。しかるにまた此所
にあらん事の危きとて、我や先、人にや後れじと
逃のびけれハ、予もまた家内を引連て、御本堂
の裏なる御供所の傍まて逃去りける。爰に始
て御供所の潰れたるありさまを見るに、鳥籠
 
  (改頁)
 
の如きを石臼なんと打つけて砕たるかことし。何れを
柱何れを鋪居と材木の形をわかたす。地震の
大なるを驚怖するのみなり。かゝる所に予もまた
ます/\病重り、今にや一命絶えぬるかとおも
ふ計り、かゝる災害のありともしらす薬とて用意
もなく、わづかの小堰に流るゝ泥水を手に受けて
口中を潤し、心を補ひ気を慥にすへしとて妻
子取縋りて介抱し、偏に神仏の愛愍納受
をたれ給ひて、今一ト度は助け救ひ給へとて悲歎く
のみなり。かゝる折しも誰いふともなく今にや山門へ
火かゝり御本堂も無覚束。早く此所を逃るへし
とて、またもや我先人先にとて老たるを厭ひ
 
  (改頁)      70
 
幼を抱ひ、跡をも見ずして逃去りけれハ、かゝる病の
重かりしも、身の置所もあらさるかと、肩にすかり
腰にとりつき、用水堤の東のかた、青麦畑を我宿
と、病の床にハ薄縁(うすべ)り一重、逆上烈しくして
足冷ぬれハ、妻子うち寄、すそくつろげて火燵
とし、介抱なせる身のうへも、次第に冷行く小夜
風を、看病にのみ気を奪はれ、哀といふとも
たとふるにものなし。かゝる折しも、称名唱へ、
数多の人音いかにぞと、大火にてらす木蔭より
次第に近くなりぬるを打詠むれハ、無勿躰も
三国伝来の尊像の御宝龕(はうがん)、引続て御印文、
前立本尊の御宝龕、錦帳あたりを暉(かゞやか)し、幾
 
  (改頁)
  (改頁)      71
  (改頁)
  (改頁)      72
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      74
 
数しれぬ諸人は、此時ならで何鹿(いつしか)御仏の御宝輦
を掻(かき)奉らんとて、無勿躰も不浄もろんぜす、御
輿に取付、一心称名唱へつゝ感涙してぞ供奉
したる。真先なるハ御朱印長持、警固前
後を打守護(うちまもり)、厳重にこそ見えにける。是を
見上る数万の人々、すはや御堂も危きか、
いかなる時節の到来して今社(いまこそ)此世の滅するか、
かゝる苦患の今の世に生合(うまれあ)ひたる悲しさよ、それ
につきても仏縁こそ大事なれと、御宝龕の
御跡慕ひ、堀切道の右のかた、本城近き田畑にて、
所は素より仮寝が岡、御輿安置を定め紿へは、
幕打廻し守護あれハ、前後左右に逃去し
 
  (改頁)
 
数万の人々、野宿して、心に称名唱へつゝ、明
け行空をうち詠め、あきれ果てそ居たりける。
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      77
  (改頁)
 
幸一(さちかず)此書を成すといへとも諺に貧の隙なしとかや、
其隙を覘て破壁のもとに筆を採れとも、窮する
時は必心魂逼り、世事に脳み、清貧かならす
盛貧にして一行も是を並ぶる事あたはす。臂
を曲げ、膝を痛く折りて、首を長く低れ、涎千尋
を流し、穢れたる袖を濁れる涙に雪ぎ、後悔
多日に及ふといへとも、風流の道ひとつをしらす、物
書事はよかれあしかれ鐚(ぜに)の出入や受取書、其
日/\の恥のかき捨て、絵の事ばかりは道理なれ、
其道理こそ何ゆゑなれハ習はぬ事の出来
ぬは道理と、無理こじつけの道理なれハ、小児だま
しの上絵書、一枚二枚はかくしておいても、三枚四
 
  (改頁)      78
 
枚の数重り、終に顕ハれ面目を灰にまぶりし
折こそあれ、ある人来りて嘲笑ひ、いよ/\此書
の成就せば、編笠かぶり街に彳み、此度信州
大地震世に珎らしき次第なり、紙代わづかに
十六銅(もん)とおためごかしの誉言葉、此時こそハ
玉の汗、後悔耻辱は海より深く、山より高き
父母の恩沢、紙価わづかに十六穴(もん)と丈の極りし
豆蔵文句、口惜しき事限りなし。今こそ胸を
痛くして責て何がなひとくせあらばよもや
斯まて嘲りを受けさるべきを、不知ハしらざる
とせよとの教を最初から斯まで卑下して
置たる事をと、既に空敷秘しておきぬ。又
 
  (改頁)
 
或る人来りけり。大災につけいろ/\と苦患の噺
数刻におよひぬ。此時風としておのれが存意
を語りあひ、この事後世に及ひなばかゝる怪談
をしるべからす。噺伝もさたかならすや。子孫の
慰に斯こそしたりと噺に乗して開きければ、
この人利を解て言ひけるは、嘲笑したるハいづれ
の人にありけるや、其由しらざれとも、後世に及ひて
此事を伝聞くともいかでか是程の大災とおもふ
べき。信濃一国の大災といへともその災害の
多少により差別あり。災難の薄きところは
此中においてだに心配格外薄し。一時といへとも
眼たゝくまに幾千万の人々一命を失ひ、助
 
  (改頁)      79
 
け給へ救ひ給へといふほどもなく火かゝり、共に死せ
んといふを、われは迚も遁れがたし、共に命を失ひ、
誰ありてか香花を手向一遍の念仏回向すべき、
早く逃去りたもふへしと、長き別れはまたゝ
くうち。骸を街にさらせとも、誰ありてか是れを
とむらふものもなく、一枚紙の裏表かへすが如く
の苦痛のありさま、悲歎の程は今更に、語
るもなか/\怖ろしく、身うちもしぶるゝばかり
なり。亦山中にてハ山崩れかゝり、大河の流れ
を湛え、そのほか大災怪談は中々あげて
数へがたし。いかでか代々を累ねし後、斯
くばかりとハ思ふべき。他人に譲る存意になく、
 
  (改頁)
 
全く子孫に伝ふる実録、いつれへか耻つべき。いつれへか
汗顔すべき。此上願くは子孫うち寄り折にふれ
時にふれ、幼少女童にも読み易きやう、如何様なりとも
仮名をもつけおきて慰はかりを当にもせす、わんぱく
なりし小児には、意見の種になる事もあるべきや。譬
他人の誹謗はあるとも、廿四日の夜のありさま、此世
からなる地獄の苦痛、絵に書残さば是もまた、いろはも
知らぬ小児まで、物になぞらひ、事によそひ、威しすかし
の種にもなるべしと進めに応じて、徐(やうや)くにいろはもしらぬ
片言まじり、仮名もわからぬかなづけに、地・水・火の三災をまた/\
爰に書載たれば、覧る人もありなば、仮名違ひ、画図の拙き
事をゆるし給へ。
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      81
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  (改頁)      84
  (改頁)
 
かゝる前代未聞なる時節なれとも、いつしか東
雲紅にして暁天にたなびき、《コウ》々たる樹木の蔭
を照し、天晴明にして普く国土を照し給ふとい
へとも、陰陽昇降の遅速より発して雷となり
地震となるとかや。かゝる変化の時節なれば、
雲煙りの如くなるもの何となく虚(おほぞら)におほひふたがり、
天に昼夜なしといへとも、世上皆朧夜の如く、人心安
からざれバ、誰ありてか夜中の欝気を忘るべきや。
夕には花の林に遊ぶが如く歓楽を恣にし、
数万のともし火白昼を欺き、群交所せまし
市町に充満し、毒竜鬼神といへともなどか
笑を含ざらんや。満足栄花を眼たゝくま
 
  (改頁)      85
 
にくつがへし、或は倒れ或ハ潰れ、夫妻・兄弟・父
母・子孫圧死するあり、焼死あり。枕を並べ数万
の人々夢中の夢のはかなき最期拙き筆
にハしるしかたし。中にハ五十里・百里を隔て
十人連立、二十人うち連立て参詣し、われら一人
残りしとて、さだめて指折日をかぞへ、国にて
親族待居給ひ、けふや帰る翌(あす)や機嫌よく
帰るべしと、親を待ち、子を待つ事、我が身の
うんに引くらべ、さこそと思ひあはするを、今われ
一人助かりしとて、何面目に帰国して、斯とて
是を告知らすべき。去迚我身覚悟を極め、
今爰に自害せは、誰ありてか国にしらすべき
 
  (改頁)
 
とて、身をなげふして心苦の歎きいふも語るもまる
はだか、漸く助り危きを遁れいてたる事なれハ、
路用はもとより旅の空、今より此身を如何は
せんと、狼狽歎くひと/\の数をも知らぬ遠国
他国、さこそとおもひあはすれハ、拙き筆にハ
記しかたし。爰に幸一が幸ひなるハ、出店なる梅
笑堂にて売上銭のありけれハ、杖柱とも持出し貯
ひ置きし事なれとも、今更是を何にかせん。讒な
れとも草鞋の料にもなし給へと、さし出しても受けとらず。
昨夜よりしてだん/\お世話になりたるうへ、いづれの
方か見知なけれハ、お返しまをすに便りもなし。女わらハ
の耻かしく繻絆ひとつがひいきのさま、下帯さへなき
 
  (改頁)      86
 
此姿を、嗜しらぬ女ゆゑかゝる始末と笑ひ給ふも
理りなれと、宿屋も旅人の多けれハ、居(すゐ)風呂とても
はかとらず、旅行の労れ其侭に、うちふしたるを
騒動、又は翌日のつかれを案じ、起き出で湯に
入りたるを其侭に打潰されて途方を失ひ、漸く
助り遁れいで、かゝる姿の耻かしさと、打伏し歎
く計りなり。かゝる未聞の大災を受る時節に至
りてハ、遣るも返すも心底より、実に誠(まこと)欲を離れし
正銘正法、世に他人なきしんじつは実に願はしき
次第なり。斯てもはてしなけれハとて、なく/\別
れ西に行き東に行けど、国に帰りて親たちに何
とて言わけすべきとて、又行兼て地にひれふし、
 
  (改頁)
 
○案するに如斯大に震ふ時
 中に釣提あるものこそ
 心安きはあらざるへきを、
善光寺御堂左右にありける
大鐘を、震ひ落したる事を、
後にも猶驚怖すへし。かゝる
重きものゝさかさまに
ならずんは落る事は
有へからす。其大なるを爰に記す。
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      88
 
今宵の泊りはいかゞせん。明日の道連いかゞはせんと
無罸身を案事つゝ狼狽歎き別れける。
去程に幸一か家より迎ひの者来りけれは、世
俗の諺に地獄にて仏に逢たる心地して、様子
を尋ね問けれは、いまた権堂へは火はかゝらず、
すこしもはやく帰りたまへ、くはしきことは道すがら
に語りまをすべしと進めに、やうやくちからを得、
さらばとて起上りても、夜前より一命危き煩ひ
に身体更に自由ならず。心は急げと足腰たゝす、
肩にすがり腰をいだかれ、御輿あるかたを三礼
し、打連立て漸々に、我宿さして行んとすれとも、
市町は一円火の中ゆゑ、本城より南の細道通
 
  (改頁)
 
りけるに、此辺はまた恐ろしく地われて、高低の
夥敷裂たる端は、三尺四尺、長短あれとも二十間
三十間よりすくなきはなく、大なるハ壱丁有余、是
を見るより尚更に所謂薄氷を踏むか如く、いま
だ地震は数をも知れず幾度となく鳴動すれ
ハ、若しやこのうへ大にして地割れ土中ニ埋もれも
せバ、いかにやせんと安からず、身の毛もいやたつはかりなり。
徐くかた端なる中程に下りて左右を見渡せば、
倒れたる家よりは死骸を抱ひいで、怪我人を脊
負、家財取出し運ぶもあり。大なる潰れ家
なか/\に堀出すまもあらずして、泣叫声聞ながら、
もはや炎々たる火をかむり、黒雲の如き煙う
 
  (改頁)      89
 
づを巻て取かこみ、修羅とうくわつの苦患とい
へ、地獄の呵責といふとても是にハよもやまさるま
じと、見聞もなか/\恐ろしく、ふるひ/\て漸くに、
淀か橋より細道つたひにはせ越(ごし)へ出で、夫よりか
んねがはの端を歩み、裏田町なる畔を踏み、普
済寺脇道に至りてみれば、是なる客殿をはじ
めとし、軒並揃うて倒れてあり。驚怖しなから
漸くに権堂たんぼに至りて見れハ、野宿のあり
さま、家財取出し囲となし、残りし家財こはれ戸
や破れ障子を持運ひ、畳よ桶よ戸棚よと、老
若女男女入交り、上よ下へと散乱し、火災を遁るゝ
辛苦の騒働、驚き歎く計りなり。
 
  (改頁)
 
是を見るより善左衛門、家内のものも漸くに心
を慥にもち直し、人はみな/\斯こそあるに、など
か其侭焼捨なん、一品なりとも出すへしとて、
我家の際まて行てハ見れとも、塀は倒れて
道をとぢ、隣家は潰れて路次をふさぎ、近
寄事もたやすからず、或は震ひ、あるひハ鳴動、千
辛万苦の思ひにて、漸く一品二品を手に携
て逃出し、一丁有余も隔りし青麦菜種の田
畑さへ、諸人の騒働厭ひもなく踏あらしてハ仮
居をまうけ、かゝる急難変災なれは、小屋かけ
すへき用意は更なり、屏風・格子戸・襖障子有
合ふものにて囲しのみ。屋根も同しく手当り次第
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      91
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      93
 
命から/\持出せし荷物は其侭積置て、畳・
板戸を雨覆(おほ)ひ、日除け、かゝる時節に至りてハ、
欲は素より始末も出来ず、此上如何なりゆくも
のと、狂気の如く狼狽けり。しかるに午の刻過
にし頃より、権堂後町ヘ一やうに火移り盛に
燃え立つ。明行寺大門先まて焼下る事、眼
たゝく間にして左右へ吹かけ、また下た町へ焼下
るといへとも、逃去りし諸人は壱丁有余も離れ
し田畑の中に小屋掛し、荷物を持運ひ、或は
怪我人あるひは煩ひを介抱し、小児・老人を
いたはり、たゞ/\狼狽さまよふのみにて、今
こそ我家に火の懸るなれ、其次こそハ我家
 
  (改頁)
 
なれといふのみにて、焼失する事を壱人として驚
くありさまもなく、さながら是を防きとゝむるの
咄しもなく、煙火の中の家のむねをこゝよ
かしこと指ざしつゝ、狂気の如くまた気抜の如く
なれるも、ことわりなり。昨夜亥の刻かゝる変災
の大なるハ前代未聞の事どもにて、手足を労
し身意を脳まし、千辛万苦のみならず、精魂
を痛ましめ、心を砕きし事、実に尤父母妻
子には夢うつゝの如くにして長く別れ、死骸だ
に其あるところをしらずして、火宅の苦患を
受るもの、其数幾千万といへとも、是を問ひ音信す
るものもなく、一日一夜潰れ家の下にあり気力を
 
  (改頁)      94
 
痛め、漸々に堀出されて一命助り始て是を見
るに、夥敷怪我あるといへとも、医療の便も更
になく、身躰紅に染り脊負はれて野中に
介抱をうくるといへとも、風を受、日を受、痛強
くすれは、親族の輩是に気をうばハれ、夜
を日に継て千辛万苦、たま/\夜喰の残りたる
を指出したる人もありて、爰に進めかしこに貰ひ
得て、手に取れとも一ト箸たにも咽に通せす、
口中にうるほひなく、胸痛み疲れてハ水を呑み、
よわりてハ水を呑み、一昼夜を過せし今の時に至
りてハ、大人・小児の無差別目ぶち黒みたゞれ、
ほうへたこけ衰ひ、色青しといへとも青きに
 
  (改頁)
 
あらす、諺にいふ土け色とやうにして、乱れたる髪にハ
土砂のほこりを頂き、陰陽順逆の所為にや、朝頃
よりむし暑くして頭重く、身持尤悪くして働き
て疲るゝ事倍を増し、誰ありてか身の落着を
知るものなし。未の刻より申の刻頃まてに隣家
まて焼失して向ふ側に火移り、下も町にもえ下り、
善左衛門家居向ハ残りけるを、いかなる悪風悪
火なるか、昨夜よりして其さまを見るに、風は北へ
吹まくりて、火は南にもえ行、適(たま/\)残りたる家あ
りても、廻り返りてハ焼失し、風変りては残りたるを
焼亡し、戌の刻頃に至りて俄に風替り、未申の
方より丑寅の方へ向ひて大風烈しく、暫時に善左衛門
 
  (改頁)      95
 
か家に火を吹かくる事夥敷、火煙り霞の如く
空によこたはり、三輪・宇木の辺まて火の粉恐ろしく
連なり、始終火中にありて一段の類焼は遁ると
いへとも、俄に風替りて不残家を失ひけり。折しも
一天曇り風雨はげしく田畑に小屋掛けしたるも
の多しといへとも誰ありてか風雨の凌を整ふもの
もなく、家潰れさるものは戸棚たんすなとを
囲にしてそのうへに障子・唐紙抔をならへのせて
日覆にし、倒れたる家にハ戸棚・箪笥も打砕
て囲ふへき品もなく、こわれたる障子・をれたる
襖をからけつけて、たはね藁をうちかけしのみなり。
いつれの小屋も斯なれハ、おのれか小屋より一足踏出
 
  (改頁)
 
してハおのれか小屋に帰る事を見失ひ、取散らし
たる荷物を持運ふにもさまよふのみなれは、
ありあはせたるてうちんを竹丸太の先に結
付けて小屋の前に立、潰れ倒れててうちんたに
あらぬものは、小風呂敷・手拭なんとを杖・ほうきの
先に結つけて小屋の屋根にさして、是を目当に
持運ひ、かゝる折しも風雨ます/\夥しけれハ、
囲はあれとも風を除けす、屋根はあれとも
雨を凌かす、東より南をなかむれば、広々たる
田畑闇夜に形をわかたすして、沖の江の浪
に漂よふ筥舟の焼火を見るか如く、物淋しく
また哀れにして、霏りほらりとそこかしこに
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      97
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      99
 
見ゆるのみ。しづまりかへつてありけるハいかなる心地
と我身におしあて物すごく、胸中にこたへ、北より
西を眺れハ、拾丁有余一円の盛火空にうつり、
味噌・酒・硫黄・金なものゝ火は青・黄・赤・白・黒と
いへとも其色また恐ろしく、焔硝に火移り辺
りなる潰れ家を刎とばし、其響き雷公の落
るか如く、宇宙(おほそら)は闇夜にして、猛火の勢を降下
る隠雨にとぢおさへらるゝの心地おのつから五躰
にこたへ、実に地水火風空の苦患眼前の地
獄おそろしかりし事ともなり。
 
  かゝる天変不思儀なる災害なれハ、其広
 
  (改頁)
 
 大なる事拙耳目には及ひかたく、はた愚
 毫に尽しかたし。追日て見聞する事を
 後編まてに記すといへとも、九牛か一毛にして、
 万分のひとつも微力におよはす。抑廿四日亥
 の刻災害発してよりこのかた、己か身のう
 へのみ記せしは他の成行を不知るに等
 しく、事実詳かならさるに似たりといへとも
 是畢竟広太なれハ也。因ておのれが身の
 うへの憂艱難の手続をもつて実録とす。
 他の苦患も斯なれハ推量りて後にも猶
 恐怖すへし。哀無常なる事を思ひて
 三災変死諸群霊魂有無両縁菩提并
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      101
  (改頁)
  (改頁)      102
  (改頁)
  (改頁)
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  (改頁)      104
 
 牛馬有非情草木鳥獣虫類変災菩提乃
 至法界平等利益、子々孫々に至るとも追
 善を施すべし。教に陰悪は鼾の如く陰
 徳は耳の鳴か如しと云云。
 爰に善光寺市町焼跡の図を出す事、手続
 の前後感あるへし。翌戊申の年を過す
 といへとも、恐へしかなしむへし。いまた図の如く
 かたつきたるにハあらねと、其有増を記し置く
 事なくハ、後代の子孫俗語の種に便り
 薄からんか。依て前後を不論、心に浮むの
 むねを綴入るもの也。
 
  (改頁)
  (改頁)
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  (改頁)
  (改頁)      106
  (改頁)
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  (改頁)
  (改頁)      110
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      112
 
爰に善左衛門家内かり寐の有さまを記して、その
悲歎を子孫の禁めにかたる。廿五日朝五っ時過し
頃、善左衛門は病気のうへに斯大変に脳み、足
腰ふるひ、起居不自由なれハ、人に脊負れ
漸くにして権堂東たんほに仮居しつ。世穏な
る時ハ何事によらす手伝来る人も心の侭なれとも、
かゝる災害の時なれハたれありてか手伝すへきは
素より、音信する人もなく、数千度すれあひて、
右に往、左に還るといへとも、面を見合せて泪の
袖をしほるのみにて、悲歎やるかたなし。爰に妻子
ハ気力をはげみて少しの家財を持運ふと
いへとも、女性幼少の事なれハ、手足を労するに
 
  (改頁)
 
甲斐なく、しかする中に東町より権堂に続きて
火は炎々と燃くたるゆゑに、此所にありてハ事の
危しとて、人々われや先人におくれしと荷物
を運ふゆゑに、また/\此所を逃去る頃しも、
誰いふとなく、地震にて山抜崩れ、犀川の流
れを止めて一滴の水なく、往来船を待ずして
自由に歩行す。また煤花川もしかなりといふ。
此よし聞人、壱人として実否をしらすといへとも大
河のなかれ何ゆゑに留まる事あらんや。爰において
虚として侮とらす、実としておそれす、その噂区々
なり。爰にいかなる天災不思議なるか、山中
虚空蔵山また岩倉山ともいふ、此大山左右に抜
 
  (改頁)      113
 
崩れて、犀川におし埋み、かゝる大河を止る事
[犀川筋又山中方川中島川北東水災等の事ハ都而後編に委鋪ス]おそろしなと言あひ
けれハ、いかなる天変不思議そと聞も語るも
なか/\に身体ふるひ身うちもしぶるゝはかりなり。
漸々一命助りてまたいま爰に左程の大河
を押出しなは、たてもたまらす、水災のいかなる
わざをなすへしと、途方にくるゝはかりなり。爰に
善左衛門家内のものハ、暮あひ頃より漸々に
懸けの用意はなせしかとも、五月の節句の
餝の鑓の棒二本、天井椽三本のほか、竹の
をれたにあらされハ、薪を以て杭とハなせと、是を
ひとつ打込むものもあらされハ、ありあふ小石を
 
  (改頁)
 
取上けて、漸々にうちすみて、破れ障子・から紙の
離れし椽を柱とすれとも、結ひ付くへき縄だに
なけれハ、手拭なんと引さきて是を結ひ、襖障
子を囲にし、屋根の用意は更になく、命をまとに
持出せし一品・二品の家財をハ、小屋の中のせまけ
れハとて、かたはらに積重ね、此うへ如何なる変
化あるにもせよ、飯の用意ハ専用なれとて、
の外面に穴を堀り、是に漸く釜をかけ、米
さへろく/\洗ひもせす、火を焚つけて其侭に
倒れてねむる千辛万苦、疲るゝことこそこと
わりなれ。取りわけ歎の多かりけるハ、ことし僅に
九ッなる乾三は、出店梅笑堂にありし時、昼
 
  (改頁)      114
 
の遊ひにうち草臥れ、かゝる繁花の賑はしきも、
ねむたきまゝにわが家に帰らん事を頻りに
言けるを、店を取かたつける其ひまは待て居よとて、
徐くにたまして爰に置けれとも、素より年も
行かされハ、戸棚に寄添居ねむりしを、間も
なくかゝる大変にて、気根を痛めしのみならす、
其夜も都合五度ひ迄逃去る度毎包を
抱ひ、親の病気をいたわりてハ心を労し、地
震鳴動するたびこと如何はせんと立つ居つ、
少しの間さへねむりもせす、御輿安置の
かたはらなる麦田の中に野宿して、漸々
爰に帰りても、我家に入ること能はすして、今日
 
  (改頁)
 
も終日荷物を脊負、風呂敷包を抱ひてハ、
逃去る事都合六度、喰事ハ素より平日の
菓子菓も給すして、漸々爰を仮居と定
めしかとも、今にも水の押来らは、荷物ハ其侭
置捨て、逃のひ行ん心の用意、守護の箱と、
らうそくとありあはせたる当百銭、是なる三品
は其方に預ける程に、譬此上異変起り逃
去る事のあるときハ、いかなるかたへ逃行ともなくて
かなはぬ品なりとて言聞かせられ合点して、風
呂鋪包をかたかけに脊負しまゝに、草履をは
紐にて確とくゝりつけ、其侭小屋の囲に寄添、
居ねむりしてそ居たりける。漸々年は九ッの、
 
  (改頁)      115
 
ぐわんぜなき身のこのありさま、不便なる事何
にとてたとへんやうもあらざれとも、かゝる天変不
思議なる時に臨てせんかたなし、こゝろよわく
は其時に狼狽てこそ害あらめと、其侭にねむ
らんとすれども、風はます/\強く、火勢はいとゝあら
け立、火の子は空によこたハり、十丁有余のその
先まて、吹まくり/\、屋根の瓦の落る音、竹は
はしけて其響き耳をつらぬき、魂を飛はし、
雨はしきりに吹かけ吹つけ、恐ろしさ苦しさ、
なか/\あけて数へかたし。漸々めしも出来
ぬれと、何はとこやらかしこやら、前代未聞のあり
さまなれハ、手あたり次第取集め、飯をよそひ
 
  (改頁)
 
て置ならべ、菜は漸々生味噌も、箸にハあらて
かんさしやよふじをもつてつきまわし、口のはたま
て寄(よす)れとも心根痛く脳乱し、気疲れ身躰
よわりしのみか、こぬかもはなれぬふすふれ飯、一ト
箸だにも咽にとほらす、すゝめすかして漸々に、
ちいさなものに半盛をうのみにしてそ其侭に
また倒れ伏す。悲歎の泪、折しも風のはげしく
なり、ざつと降来る夜るの雨、厭ひ凌くに便りなく、
元より屋根なき小屋なれハ、みな/\立いでふすま
板戸を並ぶれと、すきま/\を吹込雨、さし傘
かざしてうづくまり徐く膝腰かゞめつのば
しつ、唯此うへの成行こそいかなる事になるら
 
  (改頁)      116
 
めと、地震鳴動する度毎、地にひれ臥して一心
称名、居ねむる間さへなきうちに、東雲いつしか
晴わたり、廿六日の暁天西山の峯々を照し玉ふ
とおもふほどもなく、たれいふともなく、それ水
の押来るぞ、といふまゝに、もとより拾ひし命な
れハ、人気の騒立実にもつとも、早びやうし木
しきりにうてハ、水よ/\とうろたひさわぎ、人を
つきぬけ払ひぬけ、小児を抱ひ、老人を脊負、逃
さる人々、眼たゝく間に本城・はせ越・高土手辺
少しも小高き所にハ人をもつて山をなし、狂気
の如く驚怖して纔に五尺の身のうへを置き
所さへなき有様、薄氷を踏み刃を渡る心地
 
  (改頁)
 
にて、地獄の苦痛も斯こそと拙筆にハ尽し
難し。徐く騒動も落付ぬれハ、それ/\おのれか
小屋に帰り、朝の喰事の用意をなせとも、水も不
自由、小桶さへろく/\そろうてあらざれば、
手水だらひに水を入れ、菜種の青葉むしり取、
洗ひし心地に不浄をまぎらし、落し味噌にて
是を煮焚し、漸々半盛一盛をむね撫さ
すりて喰事をしまへ、小屋かけなほす用意に
かゝり、縄よ杭よと心を配れど、市町は一円焼
き失ひ、徐く残る新田・石堂 [焼失又焼残リタル所ハ前ノ図ヲ以テ知ル可シ]
是も家々倒れ潰れ、殊更大火の類焼を恐れ
皆逃けさりて、壱人だに家にあるものあらされハ、
 
  (改頁)
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買求むへきやうもなく、漸々手寄を頼あひ、
縄調て小屋掛のもやうにこそハかゝりけれ。爰に
また山中にてハ山抜崩れしその場所の数多ありて、
土砂・磐石・樹木と共に川中におし埋、是かため
に家・蔵を押倒し、人及ひ牛馬夥しく命を
失ひ、田畑を損ふ事前代未聞の大変なり。
そも/\犀川のあら浪をば一心称名を唱へて
渡船する事遠国を隔る人といへとも誰かこの
大河を知らさる者あらんや。しかるに上流にて
水湛て渡船の場所一滴の水なし。もし上流の
此水湛を一時に破りて押出しなは、いかなる災
害の発すへきや。人心ひとつとして穏かならず、
 
  (改頁)
 
闇夜に路頭を踏迷ひ、大海の浪に漂よふか
如し。かゝる陰陽の変化なれハ、不時に大風を起し
また雲雨を発す。地は一尅に六七度震ひ、焼
亡水災を莫大にす。地水火風空をもつて五躰を
保ち、地水火風空をもつて五躰を脳まし、臥してハ
五尺の身を置といへとも、立時ハ纔に壱尺の地を
踏む事かたし。一身の置処なく、二十七八日に及ても
幾千万の死骸こゝかしこに倒れ、或は三人また
は五七人頭を並て伏しまろび、乳より上を焼失ひ、
足腰を焼損ひ、死人山をなすといへとも、是を取り
かたつくる人力もなく、見渡せは茫々たる焼け跡に
燃残りたる死骸・味噌・漬物・雑穀の匂ひ鼻を
 
  (改頁)      121
 
うがち、わるくさき事昼夜言語に絶てやむこと
なし。貴賤男女の差別なく、尻をまくり小屋の辺り
に大小便を心にまかせ、年盛なりといへとも髪を撫
揚け歯を染る事も更になく、帯〆なほし、ちり
を払ふの心も聊なく、夕へにハざうりに紐つけ、
わらじをはきて臥し、朝たにハひしやくより手に
水をうけて顔を流し、そこかしこに穴をほりて
薪木を入れ、鍋にて飯を焚き、やくわんにて汁を
煮、其日/\の成行こそ実にあさましきあり
さまなれ。かゝる歎きの多かりしも、きのふと過
き、けふとなる事矢よりもはやしとかや、思ひもよらぬ
大災も、はやくも廿五日廿六日と過行けとも、誰ありてか
 
  (改頁)
 
小屋がけとゝのふものもなく、見知りもせざるわら
しごと、女童も打交ハりて笘を編み縄なふ事も自
然とおぼえ、昼は終日うろ/\となれぬ事と
て、小屋掛をかうもしたなら都合もよしや、あゝも
せはやと心を配り、梅花の薫りうせはてゝ、あらひし
髪を乱せし如く、日毎に磨く粧さへ、白きにあらて
焼跡の砂やほこりに穢れ果て、男女の差別も
更ニわからす、昼の疲れもこのうへの水災い
かにと安からす、草履に紐つけわらしを不離、
うづくまりてハ夜を明かし、夢うつゝにも水の音
耳そばたてゝ是を聞けハ、幾千万の変死の
人々、さぞや苦痛に絶果なん、此うへいかゝなり
 
  (改頁)      122
 
行ものと、時の鐘さへあらされは、寂滅為楽生滅
も実に生滅のあちきなく、更行夜半に聞ゆ
るものは、秋にあらねと夜嵐の音のみすき間
に吹込みて、焼残りたる犬の遠ぼえ、囲へのすき
間見渡せば、霏りほらりと小屋/\の、あかりも
自然と心につれ、淋しさこわさを語りあひ、
隣家はもとより裏家もなく、表も離れし
田甫中、こゝに一ト小屋かしこに一ト小屋、思ひ/\
に逃去りて、仮居定めし事なれハ、明け行空を
待わひて、東雲告る鶏のなくを待つゝ哀を
は爰にとゞめて居たりける。
爰にまた感涙の袖を絞りし一義あり。その
 
  (改頁)
 
あらましを記すに、幾千万の横死、壱人として
苦痛せさるものなし。その苦痛さこそとおし
量りて見る時ハ、たれか愁歎の涙を催さゝ
るへき。然れともかゝる災害を身に受ていまた
風雨を凌くへき小屋さへあらされハ、おのれか
心に唱ふる念仏たに心苦のためにうち捨て
置ぬるもまた理りなり。爰におなじさとに
住める栄屋平吾といふ人、何かの足(た)しにも
せよとて金子百匹を見舞として心にかけられ、
また英屋新之助といふ人よりも百疋を送り
見舞くれられけり。我思ふに此大災を身に
うけて、もはや五六日を過すといへとも、雨風を
 
  (改頁)      123
 
凌くの便もなく、また市町焼失ひたるありさま
をおもひ、またハ家倒れ潰れたる事とも横
死人の苦痛おもひあはすれば悲歎やるかたなし。
そのうへにも昼夜幾度となく地を震ひ、
不時に大風を起し、雨を催し、雲起る事
一ツ/\身にこたふる事常に変れり。かゝる
不安心もひとつハ苦患に命を失ひし幾群
の亡霊此土にさまよひ、悲歎山より高く海より
深きがいたす所ならんか。その迷ふもまた理り
なり。これによりてかの見舞の懇志黙しかたく
請置たりし金子弐百匹を、種として霊魂
菩提のため仏事供養せは、俄に発する所の
 
  (改頁)
 
悪風鳴動もやみて安心なる事もやと思ふも、また
下俗凡夫のあさましき考へ、他の笑ひも多かるべきか。
我れ煩に脳み心痛より発する所の愚痴にまかせ、
思ひ当るこそ幸なれ。横死の人々一七日もちかけれは
とて、懇志なる助右衛門艸理といふ人を頼みて同
じさとなる普済寺巨竹和尚に参りて、逮夜追
善のため大施俄鬼を乞願ふに、早速に承引し給
ひけれとも、かゝる変災にて法衣をはしめ仏具だに
揃ふ事なし。いかにも用意を整ひて回向すへし、
かゝる変死におゐて早く行ふ所もつとも功徳格外
なり、布施物ハあらすとも是畢竟僧分の願ふ所
なり。さりなから功徳にもなる事なれハ香の物はかり
 
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にて苦しからす、遠方よりも和尚たち参るへくあひた、
一飯供養給はるべしとて、いと懇ろに伝へ聞かせ
られけれハ、暫時も急きて仏事執業せはやと思ふ
ほどに、その用意にかゝるといへとも、仏具をはしめ
膳椀だにもあることなし。一汁一菜といへとも何
とて買もとむべき家もなく、漸々便りを得て野
菜・乾物を調度して、明け行翌をそ待にけ
る。四月朔日の東天晴渡り、向暑堪がたし。
小屋ハ素よりせまけれハ、野中に畳をしき
ならべ、仏前に香花を備ひ、何ひとつ取揃ふ
事もなく、最早和尚の来り給ふべしとて出
迎ひけるに、案に相違し法衣といひ、また供
 
  (改頁)
 
廻り美々しくながえをさしかざゝせ、随ふ僧
衆八人引連れ、何れも一寺の和尚と見ゆれ
と、導師のあとに随ふと見えたり。来臨したま
ひて麁茶・粗菓を進め参らせ、夫より直に
施餓鬼修行始まりける所に、彼の圧死した
る親族種々さま/\の品を携ひ来りて回向
を頼むに、また広田屋仁兵衛といふ人来りて手
伝し戒名俗名を書留めて仏前ニ差出し、
回向をそ乞ける。
是等の事とも後に見聞する時は、他の誹謗
も尤多かるへし。乍去幾千万の諸人横死
苦痛の難堪事、魂は此土を去りぬといへとも、
 
  (改頁)
  (改頁)
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  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
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死骸はいまた街にさらして満々たれハ、おのれか
心にて己か心を惑ハすなるか。施餓鬼中はに至
る頃まで晴渡りて向暑なりしを、戌亥の方より
黒雲大風暫時に起り、さつと一ト時雨大風と
共に吹まくり、仏前に餝りある所の香花其余の
しな/\檀上より吹落しけれハ、取て揚くれハまた
吹落す。それを備ふれハ吹落し/\つかみさらはん
ありさまにて、諸人の親類は尚更に、有合ふ人々
地に座して、感涙に袖を絞りつゝ、悲歎をしてそ
拝しける。程なく勤行済けれハ、実に誠と
かきけす如くに晴渡りぬ。時にして小時雨大風雲
を起し時至りて雲散し快晴になりたるにも
 
  (改頁)
 
あらん事を、物々しく爰に記せしなと、見る人の心
によりてハ笑ふこともあらんなれと、時に臨みて
心気に通ずる所の感涙、実に幾千万の人々
圧死のかはねを爰に止むる事恐るべし、憐
むべし。