それではもう一方の担い手(つまり買手側)である外国商人についてはどうであろうか。開港後、外国商船は貿易を求めて来港してきた。こういう外国商船に対して異人仲買が対応したわけであるが、まもなく函館に外国商人が居留するようになり外国商船-居留外国商人-仲買-荷主というルートが確立されるようになってくる。この居留外国商人にもさまざまな階層があった。
我が国の開港後、上海を東洋貿易の本拠とした欧米の貿易商社がまず日本の本拠地として長崎あるいは横浜に進出してきた。それらの多くはさらに函館にも代理人や支配人を置き、産物の買い付けなどを行わせて中国市場へと輸送させた。いわば来函した外国商人はこうした出先機関的な商人が多かった。こうした事情に関して1860(万延元)年10月に来函中のヘボンはラウリー博士あての書簡で「(函館の)外国人は約三十名、ロシア、アメリカ、イギリスの諸領事館に属する人たちです。外国商社はわずか二つか三つで上海の外国商社の代理店です。たいした外国貿易もなさそうです。外国人向けの貿易商品ぐらいのものです。主な輸出品は魚の乾物と海草です。中国にも輸出されていますが、大多数は江戸と大阪に日本船で輸送されるのです。」(『ヘボン書簡集』)と書いている。例えば安政6(1859)年イリサメール号で来港し柳田藤吉と昆布取引をして、その後数年函館に居留したイギリス商人のアストンはリンゼー商会(Lindsay & Co.)の代理人であったし(マキシモヴィッチ『箱館日記』)、ポーターはデント商会(Dent & Co.)の支配人であった。また彼らとは別に資本的な背景を持たない冒険的商人ともいうべき存在も見られた。アメリカ人ライスは貿易代理人という肩書きで和親条約時代に来函し、領事業務を兼ねて自国船、特に捕鯨船に食料等を斡旋するなどの業務を営んでいたが彼の場合はこうした階層の人物といえる。
表6-23は幕末から明治初期にかけての商業関係の居留外国人の一覧であるが、それによれば貿易を担当した商社はイギリスのデント商会、同リンゼー商会、プロシャのクニッフラー商会(L.Kniffler & Co.)などの支店であり、その他に共同出資形態をとった小規模の貿易商がいたことがわかる。こうした小規模のものは年次によりパートナーが交替しているものもあるが、それは数年の契約をして共同事業を興しているため破産などによりそれぞれパートナーを変えるということもあった。またポーターの例のように当初支店支配人を勤め、その後独立して商業を経営する場合も見られる。なおデント商会はジャーデン・マセソン商会とともに安政6年の開港と同時に横浜にのりこんできたのはイギリス系の2大商社であった。両者は中国貿易で充分な蓄積をおこなっており、わが国では生糸取引を主軸に巨額の取引を行っている(石井寛治・関口尚志編『世界市場と幕末開港』)。デント商会は安政6年に早くも函館に支配人のポーターを派遣している。
表6-23 幕末から明治初期の外国居留人(商業関係)
1859(安政6)年 | 1862(文久2)年 | 1865(慶応元)年 | 1870(明治3)年 | 1873(明治6)年 | 1876(明治9)年 | |
ポーター | デント商会 ポーター | 貿易商人 | 西太平洋会社 ブラキスン ホワイトリー レイ スコット | ブラキストン商会 ブラキストン マール | ブラキストン商会 貿易商 ブラキストン マール | ブラキストン商会 貿易商 ブラキストン スポティスウッド |
アストン | ||||||
C.H.スミス | スチーブンソン フレッチャー | |||||
スチーブンソン | ハウル商会 貿易商・保険代理 W.G.ハウル A.ハウル J.アルビンソン J.H.マッキントッシュ | ハウル商会 貿易商・保険代理 A.ハウル アルビンソン ウィルソン | ハウル商会 貿易商・保険代理 アルビンソン ウィルソン | |||
C.スミス | ウィルキー | |||||
フレッチャー | ウォルシュ | デント商会 ハウル | ||||
へスティング | J.H.デュース 保険代理 | |||||
ブレットフォルト | リンゼー商会 J.H.デュース | J.H.デュース 貿易商 | E.H.デュース 貿易業 | |||
J.H.デュース | J.H.デュース 貿易商 | ウィルキー&ゲルトナー 貿易商 C.ゲルトナー ウィルキー | ポーター 貿易商 ポーター | |||
C.ゲルトナー | クニッフィラー商会 C.ゲルトナー フィーマイヤー | ウィルキー&ゲルトナー 貿易商 C.ゲルトナー ウィルキー | ||||
ライス・プラザーズ 貿易商 G.E.ライス | ||||||
ポーター 貿易商 ポーター | ||||||
ポーター オレア | ポーター 貿易商 ポーター プロモリー | シュルター&シュトラント 仲買 シュルター シュトラント | ||||
ライス・ブラザーズ 貿易商 G.E.ライス | ||||||
スチーブンソン商会 C.A.フレッチャー メーン | ||||||
ファーブル・ボーン商会 貿易商 ファーブル | シュルター&シュトラント仲買 シュルター シュトラント | 「ロシアホテル」 Mrs.アレクセフ パラチン | ||||
ウィルキー | ウィルソン 貿易商 | |||||
仲買、屠畜 | T.B.リトルフィールド G.ビュイック | ライス・ブラザーズ 貿易商 G.E.ライス N.E.ライス | メナード 小売商・パン屋 | トムソン&ビュイック 造船・仲買 トムソン ビュイック | ||
コートレール 商店・飲食店 | ||||||
シュルター(シロタ) | 「ロシアホテル」 Mrs.アレクセフ パラチン 助手 | |||||
C.スミス J.スミス | シェルター&シュトラント 仲買 シュルター シュトラント | 三菱会社 エスコンブ 代理人 ローズ 運送事務 | ||||
小売商 | メナード商会 メナード ツロン | トムソン&ビュイック 造船・仲買 トムソン ビュイック | ||||
メナード 小売商・パン屋 | ||||||
コートレール 商店・飲食店 | ||||||
造船 | トムソソ ボールト | 「ロシアホテル」 P.アレクセフ パラチン 助手 | ||||
トムソン&ビュイック 造船・仲買 トムソン ビュイック |
1862年『China directory』、1865、1870、1973、1976年『Chronicle & directory for China,Japan & the Philippiness』(以上東洋文庫蔵)、1885年「F.O.文書」(国立国会図書館蔵)
文久2年「各国書翰留」(北海道立文書館)、『大日本古文書・幕末外国関係文書』より作成.