寛文二年(一六六二)から元禄十年(一六九七)にかけて「国日記」に現れる領内アイヌからの献上―下賜をまとめると、表19のようになる。元禄元年(一六八八)には下賜される米・銭が、献上量や質によって定められ、さらに元禄六年(一六九三)にはアイヌの献上する串貝を見本に合わせて作らせたこと、元禄十年には「貝ノ玉」を上中下に三分して代銭の額を定めるといったことなどは、藩への物品献上―米・銭の下賜という関係はアイヌと藩との間の朝貢関係と位置づけることができる。
表19 アイヌ献上品 |
年 | 月 日 | 朝 貢 者 | 朝 貢 品 | 下賜品 |
1662 | (寛文2年)3月2日 | 熊の子 | ||
1666 | (寛文6年)7月17日 | 今別狄 和泉 | 熊皮 4 | 米10俵 |
1677 | (延宝5年)2月9日 | 今別犾 林蔵 | 膃肭獣 1 | |
3月8日 | 今別犾 かふたいん | 串 5連 | 米3俵宛 | |
るてるけ | 蚫 30 | |||
へきりは | 栄螺 40 | |||
1678 | (延宝6年)6月12日 | 外浜狄 | 熊皮 2枚 | 米1俵宛 |
8月23日 | 今別狄 かぶたいん | 各々膃肭獣1 昆布1把 | 酒被下 米三俵宛 | |
るてるけ | ||||
ゆきたいん | ||||
へきりは | ||||
1679 | (延宝7年)3月7日 | 今別狄 かふたいん | 膃肭獣 3 | 米三俵宛 |
へきりは | ||||
るてるけ | ||||
1681 | (天和元年)3月17日 | 今別狄 万五郎 | 貝玉 大小 | 米2俵 |
熊皮 4枚 | 同7俵 | |||
1684 | (貞亨元年)5月28日 | 今別狄 | 真珠 4 | 米3俵 |
8月17日 | 今別うてつ へきりは | 膃肭獣 串貝 | 米2俵宛 | |
松ヶ崎 ちせかる | ||||
藤 島 るてるけ | ||||
釜ノ沢 ししはあいぬ | ||||
六条間 かのたあいぬ | ||||
砂ヶ森狄 清五郎 | 串貝 | 米1俵 | ||
鯣 | ||||
9月21日 | 今別狄うたのくねきらいぬ | 串蚫 5連 | 米5俵 | |
こせうつか あつまいぬ | 串蚫 5連 | 米5俵 | ||
かねうたの じろきち | 鯣 5把 | 米2俵 | ||
すなかもり ふくたあいぬ | 鯣 5把 | 米2俵 | ||
1685 | (貞亨2年)5月4日 | 今別狄 清八 | 貝玉 1 | |
10月11日 | 釜野沢狄 | 初鱈 1 | 1貫文 | |
1687 | (貞亨4年)3月18日 | 今別藤島 るてるけ | 熊皮 3枚 | |
松ヶ崎 してかあいぬ | 熊皮 1枚 | |||
両人 | 貝玉 2 | |||
8月3日 | 今別狄 | 貝玉 2 | 米2俵 | |
1688 | (元禄元年)5月19日 | 今別狄 るてれき | 貝玉 1 | 米1俵 |
熊皮 4枚 | 160目 | |||
1689 | (元禄2年)4月17日 | 今別藤島狄 いくるい | 熊皮 2枚 | (前格之通) |
真珠 1 | ||||
9月20日 | 今別松ヶ崎 左平次 | 黄鷹 1 | 米1俵・路銭 | |
1690 | (元禄3年)8月23日 | 今別狄 るてるけ | 貝の玉 3 | (先格之通) |
12月23日 | 松ヶ崎犾 にいへて | 串鮑 | 米5俵 | |
1691 | (元禄4年)2月9日 | うてつ狄 へきりは | 膃肭獣 1 | |
串貝 1台 | ||||
3月26日 | 今別犾 | 真珠 5 | (先格之通) | |
熊皮 4枚 | ||||
1692 | (元禄5年)10月8日 | 松ヶ崎狄 左平次 | 鷂 1 | |
10月28日 | 今別狄 | 鷹 | 銀 | |
11月26日 | 今別狄月袰 ちへべかひいん | 蚫貝玉 2 | ||
あさり貝玉1 | ||||
しゆり貝玉1 | ||||
たこ舟 2 | ||||
舎利生石 1 | ||||
黒苔 1 | ||||
魚 1 | ||||
1693 | (元禄6年)3月3日 | 宇鉄狄 へきりは | 貝之玉 6 | 米三俵 |
わかめ 1 | ||||
黒のり 1 | ||||
こぶのり 1 | ||||
串貝 2 | ||||
しかむいける | 貝之玉 2 | 1貫文 | ||
おつかい | ||||
しゅにんあいん | 貝之玉 5 | 2貫文 | ||
3月8日 | 宇鉄 へきりは | 串貝 2 | ||
松ヶ畸 ちせかる | 串貝 1 | |||
3月9日 | 宇鉄 へきりは | |||
松ヶ崎 にいへか犬 | 串貝 5 | 2貫文 | ||
黒苔 1 | ||||
こふのり 1 | ||||
わかめ | ||||
9月24日 | 今別 かのたいぬ | 黄鷹 1 | 往還の路銀 | |
1694 | (元禄7年)6月12日 | 今別 清八 | 貝玉 1 | |
11月22日 | 藤島 るてりき | 膃肭獣 3 | ||
真珠 3 | ||||
1695 | (元禄8年)3月15日 | 松ヶ崎 にいへてい | 串貝 5 | 米3俵 |
すかい 36 | ||||
かいば 5 | ||||
白干蚫 5 | ||||
串海鼠 2 | 2貫文 | |||
1696 | (元禄9年)11月23日 | 袰月 ちゑへかいん | 串貝 20 | 米1俵 |
花入(瀬戸物)1 | ||||
12月19日 | 宇鉄 るてるけ | 貝の玉 | 賜 食被下物 | |
12月22日 | 藤島 るてるけ | 貝の玉 4 | 代物 | |
串貝 3 | ||||
1697 | (元禄10年)2月13日 | 外浜大川平 ほこうかい犾 | 真珠 6 | |
熊皮 1枚 | ||||
3月2日 | 金ヶ宇田 ふくたあいん | 真珠 3 | (先格之如) | |
熊皮 1枚 | ||||
奥平辺 源太郎 | 熊皮 1枚 | |||
おたかあいん子 | 真珠 2 | |||
3月10日 | 藤島 るてれき | 真珠 5 | ||
串貝 2 | ||||
3月17日 | いそいはたいん | 真珠 | 代米 | |
熊皮 |
注) | 国日記より作成。 |
宝暦六年(一七五六)、折から外浜を巡視していた、「宝暦改革」の立役者乳井貢(にゅういみつぎ)によって、外浜居住のアイヌの人々は「犾」としての政治支配を廃され、「人間」として扱われることとなった(資料近世1NO.九三五)。この政策も改革の一環としてとられたものであり、身分の上昇と引き替えに収奪の対象として位置づけられた。この時、松ヶ崎・六条澗(ろくじょうま)・藤島(ふじしま)・釜ノ沢(かまのさわ)・上宇鉄(かみうてつ)・下(しも)宇鉄に居住する六村の蝦夷の中には、この宝暦の和人化政策を嫌って山に逃げ込んだ者もあるといわれる。
文化三年(一八〇六)には、六条澗村から上宇鉄村に至るアイヌの人々が残らず「王民(おうみん)」として編入され、藩からの諸役が科されることになった(「秘苑」文化三年十月二十七日条)。先の宝暦改革時の「犾」政治支配廃止後も民族文化を保っていた人々に対して、折からの対露緊張下において蝦夷地の「内国化」政策を採った幕府政策に影響されたもので、より一層の和人化を図ったものと思われる。