昭和四十六年八月刊行の弘前商工会議所会報によれば、日本商工会議所は、次の意見書を出した。
1.対外経済政策の一環として、円切り上げを含む平価の調整は避けることができないと思われる。多国間調整により早期に、かつ国民経済の耐えうる範囲内でこれを行うこと。
2.早急に米国輸入課徴金を撤廃せしめること。
3.当面の輸入課徴金対策として、中小企業に対し、滞貨融資などの緊急措置を直ちに講ずること。
4.中小企業の転換、構造改善等を円滑ならしむるため、産業調整援助に関する法律を制定し、税制、金融など各般の施策を講ずること。
5.円切上げが行われる場合、企業の為替差損に対する補償措置を実施すること。
6.この際、景気振興策の実行が急務であり、思い切った国債の増発による大型補正予算を早急に編成し、道路、港湾、空港、上下水道、住宅等の公共投資を大幅に推進する。
7・今回のドル防衛策は、本土復帰を間近にひかえた沖縄の住民および企業に少なからざる不安、動揺を与えているので、これを解消せしめるための暖かい対策を早急に決定すること。
(『商工ひろさき』一七三)
このような提言は、ニクソン・ショックに対する商工団体の危機感の表れである。青森県の知識人の予想も、円切り上げは不可欠であり、輸出産業に打撃が起こるであろうというものであった。その内容は、青森県においては八戸の工業地帯に影響が及ぶのではないかというものであった。津軽地方は農業の比重が高いので、その影響は大きくはないが、じわじわとその影響が及んでくるのではないかと考えられている(同前、時評欄)。なお、昭和四十五年時点での弘前市の工場は五五一工場で、その大部分は零細工場であった。
確かに長期的にはこうした予想は的中した。しかし、ニクソン・ショック直後には経済状態が急激に変化することはなかった。昭和四十八年(一九七三)には、弘前商工会議所会報『商工ひろさき』の一月刊行分に、市長以下青森銀行頭取ほかの景気に関する意見が掲載されている。いずれの意見も、急激な不況が来ないことを予想している。この時期には田中角栄首相の日本列島改造論が政策を主導し、ニクソン・ショックを跳ね返す勢いがあった。
弘前市においては、昭和四十七年十月に弘前卸センターが開業し、盛大に式典が行われた。このセンターは、弘前市内の城東ニュータウンに総面積四万七〇〇〇平方メートルの敷地を確保し、三六の卸売業者が店舗を開設することになっていたが、開業式時点では二六店舗が開業した。三六の卸売業者は組合を結成し、大型問屋街を造った。その内訳は表40のとおりである(『商工ひろさき』一八六)。
青森県においても、高度成長の終焉以後、低成長の時代に入ったが、昭和五十年代に入っても、安定的な経済状態が続いた。例外は昭和五十六年(一九八一)であり、青森県経済の成長率は名目、実質ともにマイナス成長になった(図7・8参照)。そこで、この年の青森県経済がどのような状態となっていたかを振り返りたい。
図7 経済成長率の推移
図8 1人当たり県(国)民所得
表40 協同組合の概要(S47.4.1現在) | ||||
名称 協同組合弘前卸センター | ||||
代表者 工藤正義 | ||||
事務所 弘前市大字外崎字豊田240番地 | ||||
設立登記 昭和43年9月12日 | ||||
組合員数 36名 | ||||
業種 | 企業数 | 業種 | 企業数 | |
繊維関係 | 21 | 電気器具関係 | 2 | |
食料飲料品関係 | 4 | 医薬品関係 | 2 | |
建設資材関係 | 3 | 観光品・広告関係 | 2 | |
文具関係 | 2 | 計 | 36 | |
出資金 1,800万円(360口数) | ||||
従業員および年商額 | ||||
業種 | 企業数 | 従業員数 | 年商額 | |
繊維関係 | 21 | 301人 | 4,158,872 | |
食料飲料品関係 | 4 | 47 | 738,214 | |
建設資材関係 | 3 | 45 | 711,198 | |
文具関係 | 2 | 34 | 887,822 | |
電気器具関係 | 2 | 20 | 160,722 | |
医薬品関係 | 2 | 62 | 2,714,898 | |
観光品・広告関係 | 2 | 16 | 95,839 | |
計 | 36 | 525 | 9,467,565 | |
『商工ひろさき』186 |
昭和五十五年と五十六年は冷害となり、稲作の収量が落ち込んだ。昭和五十三、五十四年の青森県の稲作収量はそれぞれ、四八万トン、四六万トンであったが、五十五、五十六年はそれぞれ約二〇万トン、二七万トンであった。このうち、五十六年は前年よりはやや改善したものの、農業所得は落ち込んだ。また、この年は木材需要が低迷したために林業が不振となり、前年度と対比して青森県の林業生産が三八%も低下した。これに加え、水産業もスルメイカの不漁があり、前年度の生産実績を下回った(前掲『青森県の姿』昭和五十八年度版)。こうした第一次産業の不振は商業などの第三次産業にも影響を及ぼし、卸売・小売業や金融・保険業も伸び悩んだ(表41参照)。青森県においては、農業などの第一次産業が県経済全体に与える影響は大きかった。
表41 経済活動別県内総生産 | |||||
(単位:百万円、%) | |||||
項目 | 実額 | 対前年度比 56/55 | 構成比 | ||
55年度 | 56年度 | 55年度 | 56年度 | ||
1.産業 | 1,854,363 | 1,924,526 | 103.8 | 85.4 | 84.2 |
(1)農林水産業 | 218,602 | 234,219 | 107.1 | 10.1 | 10.2 |
①農業 | 118,081 | 151,252 | 128.1 | 5.4 | 6.6 |
②林業 | 31,087 | 19,164 | 61.6 | 1.5 | 0.8 |
③水産業 | 69,434 | 63,803 | 91.9 | 3.2 | 2.8 |
(2)鉱業 | 21,409 | 21,544 | 100.6 | 1.0 | 0.9 |
(3)製造業 | 238,688 | 225,752 | 94.6 | 11.0 | 9.9 |
(4)建設業 | 236,423 | 264,637 | 111.9 | 10.9 | 11.6 |
(5)電気・ガス・水道業 | 53,689 | 49,858 | 92.9 | 2.5 | 2.2 |
(6)卸売・小売業 | 355,312 | 363,716 | 102.4 | 16.4 | 15.9 |
(7)金融・保険業 | 94,234 | 91,711 | 97.3 | 4.3 | 4.0 |
(8)不動産業 | 203,024 | 223,594 | 110.1 | 9.3 | 9.8 |
(9)運輸・通信業 | 158,811 | 167,252 | 105.3 | 7.3 | 7.3 |
(10)サービス業 | 274,171 | 282,243 | 102.9 | 12.6 | 12.4 |
2.政府サービス生産者 | 346,877 | 385,331 | 111.1 | 16.0 | 16.8 |
(1)電気・ガス・水道業 | 3,046 | 3,350 | 110.0 | 0.1 | 0.1 |
(2)サービス業 | 145,512 | 157,139 | 108.0 | 6.7 | 6.9 |
(3)公務 | 198,319 | 224,842 | 113.4 | 9.1 | 9.8 |
3.対家計民間非営利サービス生産者 | 39,523 | 42,354 | 107.2 | 1.8 | 1.9 |
(1)サービス業 | 39,523 | 42,354 | 107.2 | 1.8 | 1.9 |
小計 | 2,240,763 | 2,352,211 | 105.0 | 103.2 | 102.9 |
(控除)帰属利子 | 69,070 | 65,121 | 94.3 | 3.2 | 2.9 |
合計 | 2,171,693 | 2,287,090 | 105.3 | 100.0 | 100.0 |
前掲『青森県の姿』昭和56度年版 |
昭和五十六年の景気動向について、国民金融公庫弘前支店長は次のように語っている。
日本の景気は一昨年あたりから一時回復の兆しがあったわけですが、またカゲリが出てきたというのが現況であり、四・八%の実質経済成長はギリギリ達成できるのではないかと思われます。
この数字が高いか低いかについては、いろいろ見方がわかれています。四・八%しか成長しないという見方と、四・八%も成長するという見方であります。いま世界の経済は不況に見舞われており、インフレ・マイナス成長ということで、日本の四・八%成長は羨望の眼でみられております。
然し、これも日本では低成長としかうけとれず、我々は景気はよくないという実感をもっているのですが、日本の経済は世界的にみると、これは好景気だといえるわけです。それではこの日本の経済を支えるのは何かというと、輸出の好調ということであり、日本経済は成長率が高く、石油ショックを上手に克服して、競争力を強めてきたといえます。反面これは各国からの批判を高め、なだれ現象で、輸出の抑制が叫ばれているのです。第二には石油ショックを克服するために、省エネ、省資源に努力してきたのが好結果を得たということで、青森県では輸出がそんなにないので、ピンと来ないのですが、それら輸出に関連する業種の設備投資が経済成長を支えたのであり、その他公共投資、個人投資も好況を支える大きな柱となったことは言うまでもありません。
このように不況克服のために公共投資をどんどんやってきたのが、赤字財政の原因となったのです。こんどは財政再建のために、ここ一、二年前から公共投資を抑制せざるを得ない状況となってしまい、特に今年度前半は強く抑えられたわけであります。それが後半には解かれて、かなり発注があったのですが、その経済的効果のもたらされてくるのは一~三月、あるいは来年度の四、五月にズレ込むのではないかと思われます。(中略)
もう一つの個人消費面では実質賃金の目減り、冷夏冷害の影響による買い控え等により振わず、関連業種はおしなべて景況低迷といわれている。(中略)
私共の窓口で見ていても、不振なのが建設関係で、水害で災害復旧事業があり、業者の仕事も増えていたのが、公共投資が抑えられ、仕事が減ってしまったからであります。去年これだけ仕事があったから、今年もこれと同じ発注があるものと計画していてはならないのである。
動向で将来を見極めずに、このような時勢になって、少ない仕事をとり合ったことが、結果的に行きづまったということです。
この数字が高いか低いかについては、いろいろ見方がわかれています。四・八%しか成長しないという見方と、四・八%も成長するという見方であります。いま世界の経済は不況に見舞われており、インフレ・マイナス成長ということで、日本の四・八%成長は羨望の眼でみられております。
然し、これも日本では低成長としかうけとれず、我々は景気はよくないという実感をもっているのですが、日本の経済は世界的にみると、これは好景気だといえるわけです。それではこの日本の経済を支えるのは何かというと、輸出の好調ということであり、日本経済は成長率が高く、石油ショックを上手に克服して、競争力を強めてきたといえます。反面これは各国からの批判を高め、なだれ現象で、輸出の抑制が叫ばれているのです。第二には石油ショックを克服するために、省エネ、省資源に努力してきたのが好結果を得たということで、青森県では輸出がそんなにないので、ピンと来ないのですが、それら輸出に関連する業種の設備投資が経済成長を支えたのであり、その他公共投資、個人投資も好況を支える大きな柱となったことは言うまでもありません。
このように不況克服のために公共投資をどんどんやってきたのが、赤字財政の原因となったのです。こんどは財政再建のために、ここ一、二年前から公共投資を抑制せざるを得ない状況となってしまい、特に今年度前半は強く抑えられたわけであります。それが後半には解かれて、かなり発注があったのですが、その経済的効果のもたらされてくるのは一~三月、あるいは来年度の四、五月にズレ込むのではないかと思われます。(中略)
もう一つの個人消費面では実質賃金の目減り、冷夏冷害の影響による買い控え等により振わず、関連業種はおしなべて景況低迷といわれている。(中略)
私共の窓口で見ていても、不振なのが建設関係で、水害で災害復旧事業があり、業者の仕事も増えていたのが、公共投資が抑えられ、仕事が減ってしまったからであります。去年これだけ仕事があったから、今年もこれと同じ発注があるものと計画していてはならないのである。
動向で将来を見極めずに、このような時勢になって、少ない仕事をとり合ったことが、結果的に行きづまったということです。
(『弘前商工会議所会報』二八三)
財政事情の悪化に伴う公共事業の減少が建設の不況に影響を及ぼしていたことがわかる。
ところで、日本銀行青森支店は、昭和五十六年の「青森県内の経済概況(六月中)」を発表している。この発表内容は以下のものであった。
素材産業では引続き業種による跛行性がみられるほか、地場中小企業の設備投資や個人の住宅投資は、依然低調ながら公共工事の前倒し発注や個人消費の持直し等に支えられ、景気は全体として引続き緩やかな回復傾向。
すなわち、製造業出先工場では、弱電、精密機械等加工型業種が好調を持続しているが、紙パ、亜鉛を除き在庫調整が進捗している。地場製造業でも製材、一部水産加工等で、減産が続けられているが、鉄工、セメント、同二次製品等、多くの業種で順調な操業が行われている。
建設業は、官公需を中心に高水準の受注残を抱えている。
小売筋をみると、百貨店および量販店の売上げが、天候不順にもかかわらず、ベース・アップの進捗などから、漸次回復傾向。このほか乗用車、家電製品等耐久消費材も総じて持直している。
すなわち、製造業出先工場では、弱電、精密機械等加工型業種が好調を持続しているが、紙パ、亜鉛を除き在庫調整が進捗している。地場製造業でも製材、一部水産加工等で、減産が続けられているが、鉄工、セメント、同二次製品等、多くの業種で順調な操業が行われている。
建設業は、官公需を中心に高水準の受注残を抱えている。
小売筋をみると、百貨店および量販店の売上げが、天候不順にもかかわらず、ベース・アップの進捗などから、漸次回復傾向。このほか乗用車、家電製品等耐久消費材も総じて持直している。
(同前、二八八号)
昭和五十六年六月には、緩やかな回復傾向が現れていたことがわかる。ところで、プラザ合意以後のバブル経済は地価の高騰が特徴の一つであったが、青森県においては、地価の高騰という現象は顕著には現れなかった(国土庁『土地白書』のデータによる)。しかし、円高による不況や、バブル崩壊による全国的な長期にわたる不況の余波は、以下に見るように、青森県にも波及した。