ビューア該当ページ

(一)大阿彌陀經寺

563 ~ 568 / 897ページ
 大阿彌陀經寺は甘露山と號し、一に旭蓮社と云ふ。【位置】寺地町東三丁字寺町にあり、もと慧遠流淨土宗の本山で、今淨土宗知恩院末、寺格は準別格十等である。【沿革】當寺開山澄圓は文保元年元に入り、廬山の東林禪寺に淨土宗慧遠流の法脈を嗣ぎ、白蓮社の流を酌み、元亨元年歸朝、正中元年廬山の精舍に模して此處に旭蓮社を草創した。是れ本邦蓮社號の始めである。域内に山王七社を勸請して鎭守とした。康永元年天下疫病流行に際し、光明院の勅を奉じて大般若經轉讀、圓頓菩薩戒を修し、功を以て二百六十貫文の租を賜ひ、爾來每年大般若經を轉讀せしめ、永く賜紫の綸旨を賜ひ、勅願所として大阿彌陀經寺の號並に圓頓大乘戒論師澄圓菩薩の號を下賜せられた。(旭蓮社緣起澄圓菩薩傳)第二世澄嚴、三世文惠、四世道譽は何れも皆澄圓の高足である。第十世智譽は支那廬山東林禪寺の火災を、法水を以て消滅せしめたと傳へらるゝ高僧である。(旭蓮社緣起)第十四世燈譽は當寺在住中和泉佐野及び貝塚に各上善寺を、同春木に西福寺を創建した。第十七世岌安當住の際、天正十四年七月豐臣秀吉築尾村にて、【印寺領】寺領四十石印を寄せた。(印狀)【鹽風呂】當寺には大町西六間筋に所屬の鹽風呂あり、(文化十年手鑑)傳へいふ、僧行基此浦の海濱に井を掘り、【鹽風呂本尊】中に藥師の石佛を安置したが、清水滾滾として涌出し、諸人此風呂に浴すると諸病忽ち平癒するを觀、文龜二年正月地主八萬貫屋宗德及び妙德の夫妻は、之を私にすべからずとし、當寺に寄進し、別に寺域に毘沙門天堂を造立し、傳空海一刀三禮の作、長さ六寸の毘沙門天の尊像を安置した。【秀吉の入浴】天正年中豐臣秀吉有馬入湯の後、こゝに浴して痼疾を治し、(鹽風呂由緖書、旭蓮社緣起堺鑑中)靈驗に感じ、天正十六年十二月石田隱岐守をして、入浴の規定を作らしめ、(鹽風呂掟書)【鹽風呂諸役免除の印】尋いで文祿二年閏九月鹽風呂諸役免除の印を下した。(鹽風呂諸役免除印狀)寺領及び鹽風呂諸役の免除は德川幕府に至つても渝らなかつた。斯して當寺は宏大壯麗を極めた古刹であつたが、第十八世傳譽在職中、元和の兵燹に罹り、寺連一時衰退したが第十九世聖譽玄恕復興に力め、又其母永春尼の爲に境内に永春院を創建した。正德四年十二月玄恕の五十囘忌に當り、京都百萬遍知恩寺の第三十三世然譽遺德を追慕し、玄恕傳一篇を草して之を其影前に供した。第二十二世便譽卽同は增上寺の學僧であつたが、迎へられて大に寺規を正し、第二十三世徹譽は知恩院第四十七世照譽見超の愛弟であつた緣故から、享保十五年知恩院に隸屬することゝなつた。同二十年二月後西天皇の皇女寶鏡寺宮染筆の旭蓮社の大字を下賜せられ本堂の楣間に揭げた。次いで寬保二年六月土御門泰邦の執奏により、中御門天皇第六皇女光照院宮より菊花絞章附幕一帳及び同提灯二張を下賜せられた。【舊僧房】當時塔頭に雲龍、松見、琳香、寶珠、友梅、永春の六坊、末寺に極樂、阿彌陀、常念、了心の諸刹があつた。【舊新本尊】本尊は古來安阿彌作立像三一寸の阿彌陀如來を安置したが、第十九世玄恕京都堀河の佛工定安をして、新に丈六の彌陀の座像を造立せしめ、第二十二世便譽の時に至つて成り、之を本堂に安置し、從前の古佛は之を内佛殿に安置することゝした。【堂宇】本堂、方丈及び庫厨は檀越尼崎屋道通の室宗福の遺言により、全資財を擧げて再興の資に供したもので、正保四年八間四面の本堂以下の堂宇を竣成した。次いで第二十四世成譽蓮阿に至り、更らに十一間四面の本堂を再建し、元文五年八月落慶した。鐘樓は元祿十一年六月紺屋町の人深井宗久の建立である。(旭蓮社緣起)和泉名所圖會に據ると、當時祖師堂、圓光大師舊跡二十五箇所、玄恕上人廟、佛還上人塚、毘沙門堂、古梅(玄恕上人の愛樹)、蓮池、舳松神廟等がある。明治四年正月上地してより寺門衰微し、【大阪裁判所堺支廳舍となる】同九年十一月大阪裁判所堺支廳々舍として貸與し、同十年六月本堂、庫裏其他十三棟の建物を擧げて之を同廳々舍として賣却し、同二十五年裁判所は車之町東一丁一番地へ移轉に當り、同寺檀信徒總代等は元所有地拂下げを出願し、同二十六年に至つて寺有に復した。(堺市役所々藏明治二十五年及び同二十七年社寺に關する書類)【現在の諸堂宇】同年五月本堂及び土藏を除くの外、庫裏、茶室、玄關、内玄關、侍僧寮、浴室納家等を改造或は新築して漸く舊觀に復した。外に善光寺堂、毘沙門堂、納骨堂、鐘樓、南門及び北門がある。境域二千百十七坪餘。(社寺明細帳)【什寶】什寶に傳弘法大師作毘沙門天座像一軀、傳安阿彌作韋駄天立像一軀、傳唐顏輝筆十六羅漢十六幅、同陸信忠筆十王之圖十幅、同思恭筆釋迦三尊畫三幅、同趙子昻筆虎溪白蓮池の圖一卷、筆者不詳二十五菩薩來迎圖一幅、傳聖武天皇宸筆般若經一卷、傳中將姫筆稱讚淨土經一卷、開山澄圓書淨十勝論十卷、同松風論十卷、第十四世燈譽書涅槃講式二卷、同舍利講式二卷、同往生講式一卷、第十九世玄恕書寫紺紙金泥阿彌陀經一卷、同淨土三部經七軸、同名號帷一領、獅子伏象論一册、旭蓮社開山澄圓菩薩略傳一卷、泉州堺旭蓮社緣起三卷、勅點三社法樂和歌一卷、勅點彌陀四十八願和歌一卷、勅點添狀三通、秀吉印狀一通、同鹽風呂諸役免除印狀一通、鹽風呂由緖書一卷、德川幕府印狀、菊御紋御幕並に御烑灯免許狀一通等がある。【墓碑】墓地には神南邊大道心、劍客高橋與勝、俳人栗山丹雀等の墓碑がある。

第九十一圖版 大阿彌陀經寺旭蓮社)全景