大阿彌陀經寺は甘露山と號し、一に
旭蓮社と云ふ。【位置】寺地町東三丁字寺町にあり、もと慧遠流淨土宗の本山で、今淨土宗知恩院末、寺格は準別格十等である。【沿革】當寺開山
澄圓は文保元年元に入り、廬山の東林禪寺に淨土宗慧遠流の法脈を嗣ぎ、白蓮社の流を酌み、元亨元年歸朝、正中元年廬山の精舍に模して此處に
旭蓮社を草創した。是れ本邦蓮社號の始めである。域内に山王七社を勸請して鎭守とした。康永元年天下疫病流行に際し、
光明院の勅を奉じて大般若經轉讀、圓頓菩薩戒を修し、功を以て二百六十貫文の租を賜ひ、爾來每年大般若經を轉讀せしめ、永く賜紫の綸旨を賜ひ、勅願所として
大阿彌陀經寺の號並に圓頓大乘戒論師
澄圓菩薩の號を下賜せられた。(
旭蓮社緣起、
澄圓菩薩傳)第二世
澄嚴、三世
文惠、四世
道譽は何れも皆
澄圓の高足である。第十世
智譽は支那廬山東林禪寺の
火災を、法水を以て消滅せしめたと傳へらるゝ高僧である。(
旭蓮社緣起)第十四世
燈譽は當寺在住中和泉佐野及び貝塚に各上善寺を、同春木に
西福寺を創建した。第十七世
岌安當住の際、天正十四年七月
豐臣秀吉築尾村にて、【
朱印寺領】寺領
四十石の
朱印を寄せた。(
朱印狀)【
鹽風呂】當寺には大町西六間筋に所屬の
鹽風呂あり、(文化十年手鑑)傳へいふ、僧
行基此浦の海濱に井を掘り、【
鹽風呂本尊】中に藥師の石佛を安置したが、清水滾滾として涌出し、諸人此風呂に浴すると諸病忽ち平癒するを觀、文龜二年正月地主
八萬貫屋宗德及び
妙德の夫妻は、之を私にすべからずとし、當寺に寄進し、別に寺域に毘沙門天堂を造立し、傳
空海一刀三禮の作、長さ六寸の毘沙門天の尊像を安置した。【秀吉の入浴】天正年中
豐臣秀吉有馬入湯の後、こゝに浴して痼疾を治し、(
鹽風呂由緖書、
旭蓮社緣起堺鑑中)靈驗に感じ、天正十六年十二月石田隱岐守をして、入浴の規定を作らしめ、(
鹽風呂掟書)【
鹽風呂諸役免除の
朱印】尋いで文祿二年閏九月
鹽風呂諸役免除の
朱印を下した。(
鹽風呂諸役免除
朱印狀)寺領及び
鹽風呂諸役の免除は
德川幕府に至つても渝らなかつた。斯して當寺は宏大壯麗を極めた古刹であつたが、第十八世
傳譽在職中、元和の兵燹に罹り、寺連一時衰退したが第十九世聖譽
玄恕復興に力め、又其母永春尼の爲に境内に
永春院を創建した。正德四年十二月
玄恕の五十囘忌に當り、京都百萬遍知恩寺の第三十三世
然譽遺德を追慕し、
玄恕傳一篇を草して之を其影前に供した。第二十二世
便譽卽同は增上寺の學僧であつたが、迎へられて大に寺規を正し、第二十三世
徹譽は知恩院第四十七世照譽見超の愛弟であつた緣故から、享保十五年知恩院に隸屬することゝなつた。同二十年二月後西天皇の皇女
寶鏡寺宮染筆の
旭蓮社の大字を下賜せられ本堂の楣間に揭げた。次いで寬保二年六月土御門泰邦の執奏により、
中御門天皇第六皇女
光照院宮より菊花絞章附幕一帳及び同提灯二張を下賜せられた。【舊僧房】當時塔頭に雲龍、松見、琳香、寶珠、友梅、永春の六坊、末寺に極樂、阿彌陀、常念、了心の諸刹があつた。【舊新本尊】本尊は古來安阿彌作立像三
尺一寸の阿彌陀如來を安置したが、第十九世
玄恕京都堀河の佛工定安をして、新に丈六の彌陀の座像を造立せしめ、第二十二世
便譽の時に至つて成り、之を本堂に安置し、從前の古佛は之を内佛殿に安置することゝした。【堂宇】本堂、方丈及び庫厨は檀越
尼崎屋道通の室宗福の遺言により、全資財を擧げて再興の資に供したもので、正保四年八間四面の本堂以下の堂宇を竣成した。次いで第二十四世
成譽蓮阿に至り、更らに十一間四面の本堂を再建し、元文五年八月落慶した。鐘樓は元祿十一年六月紺屋町の人
深井宗久の建立である。(
旭蓮社緣起)和泉名所圖會に據ると、當時祖師堂、圓光大師舊跡二十五箇所、
玄恕上人廟、佛還上人塚、毘沙門堂、古梅(
玄恕上人の愛樹)、蓮池、舳松神廟等がある。明治四年正月上地してより寺門衰微し、【
大阪裁判所堺支廳舍となる】同九年十一月
大阪裁判所堺支廳々舍として貸與し、同十年六月本堂、庫裏其他十三棟の建物を擧げて之を同廳々舍として賣却し、同二十五年裁判所は車之町東一丁一番地へ移轉に當り、同寺檀信徒總代等は元所有地拂下げを出願し、同二十六年に至つて寺有に復した。(堺市役所々藏明治二十五年及び同二十七年社寺に關する書類)【現在の諸堂宇】同年五月本堂及び土藏を除くの外、庫裏、茶室、玄關、内玄關、侍僧寮、浴室納家等を改造或は新築して漸く舊觀に復した。外に
善光寺堂、毘沙門堂、納骨堂、鐘樓、南門及び北門がある。境域二千百十七坪餘。(社寺明細帳)【什寶】什寶に傳
弘法大師作毘沙門天座像一軀、傳安阿彌作韋駄天立像一軀、傳唐顏輝筆十六羅漢十六幅、同陸
信忠筆十王之圖十幅、同思恭筆釋迦三尊畫三幅、同趙子昻筆虎溪白蓮池の圖一卷、筆者不詳二十五菩薩來迎圖一幅、傳
聖武天皇宸筆般若經一卷、傳中將姫筆稱讚淨土經一卷、開山
澄圓書淨十勝論十卷、同松風論十卷、第十四世
燈譽書涅槃講式二卷、同舍利講式二卷、同往生講式一卷、第十九世
玄恕書寫紺紙金泥阿彌陀經一卷、同淨土三部經七軸、同名號帷一領、獅子伏象論一册、
旭蓮社開山
澄圓菩薩略傳一卷、泉州堺
旭蓮社緣起三卷、勅點三社法樂和歌一卷、勅點彌陀四十八願和歌一卷、勅點添狀三通、秀吉
朱印狀一通、同
鹽風呂諸役免除
朱印狀一通、
鹽風呂由緖書一卷、
德川幕府朱印狀、菊御紋御幕並に御烑灯免許狀一通等がある。【墓碑】墓地には神南邊大道心、劍客高橋與勝、俳人
栗山丹雀等の墓碑がある。
第九十一圖版 大阿彌陀經寺(旭蓮社)全景