社会改良・慈善、衛生活動のおもなものを掲げると表12のとおりである。
表-12 社会改良・慈善・衛生団体 |
団体名 | 目的・活動内容 |
北海禁酒会 | 禁酒。次いで廃娼、矯風問題もテーマに据える。二十年十一月はじめて会員を募り札幌禁酒会を発足。十二月北海禁酒会と改称、会頭伊藤一隆、副会頭岩井信六。札幌基督教会のメンバーが中心となって広く会員を募り、月次会、演説会を開催。演説会での演題に、禁酒をはじめ廃娼論、密売淫問題、矯風問題がのぼる。二十四年部門を分かち、密売淫調査掛、労働社会調査掛、市中酒売店調査掛、市内醸酒調査掛、婦人部掛等を置く。同年ジョン・バチェラー、アイヌ問題について演説す。二十五年アメリカの万国禁酒会ミス・ウェスト女史来札、演説会。二十六年南一西一に禁酒倶楽部を設立、慈善運動の会合に無料貸与。機関誌『護国之楯』(二十一年六月創刊号、二十九年の六一号まで確認)を刊行し、飲酒の害を説き、徳性の涵養と衛生の道を講じ、広く一般に禁酒会の目的を呼びかけた。青年倶楽部、アイヌ矯風部等も結成。 |
札幌慈善会 | 慈善活動。二十三年永山武四郎夫人を会頭に設立。物品販売(リンゴ、おもちゃ、洋物、べっ甲張蒔絵塗物、沖縄産小間物、毛糸編物、反物、小説、パン、巻紙状袋)。売上金、寄付金を銀行へ預け、災害等に備える。 |
東京婦人矯風会 | 矯風活動。在札会員の松浦たか、鷲見なか、田中ひで、管かねの四人、二十二年「一夫一婦に関する建白」署名活動を新聞を通し呼びかける。三〇〇人余の賛成者を得、東京本部へ送付。 |
北海道矯風会 | 勤倹貯蓄。二十五年十一月、北海道庁内官吏諸氏の発起により北海道矯風会趣意書を作成。二十六年官民有志賛成者二〇〇人にて設立。 |
霹歴会 | 社会改善。二十八年青年志士もっぱら正義を扶翼し、奸邪を応懲し、社会を改善するを目的として南三西五に設立。 |
札幌衛生会 | 公衆の健康を保持養護。二十一年、阿部宇之八、富永寿一、山崎清躬、三田村多仲、撫養円太郎らの発起により設立。公衆衛生知識の普及のために毎月演説会、幻灯会、展覧会を行い、機関誌発刊。 |
北海道医事講談会 | 札幌病院内。二十一年北海道医事衛生講談会と改称。医事衛生につき講談論議、知識の交換。二十年六月札幌医学講談会の第一回を町会所に開催。講義、演説。機関誌として二十二年月報発兌。 |
通俗衛生講談会 | 衛生知識の普及。二十一年頃発会。町会所にてコレラ予防法が一般衛生上必要なことを講話。幻灯会。無料。 |
札幌医会 | 南三西二。医師の学術研究、知識交換。学術研究、知識交換、衛生上施政の賛助と普及をつとめ医師の本分を尽す。 |
これらの諸活動のうち、禁酒を目的とした北海禁酒会の活動は、機関誌『護国之楯』あるいは『北海道毎日新聞』を通じて広く喧伝され、男女を問わず大人から子供まで広く市民層の心を深く捉えていった。二十二年八月に町会所で開催された親睦会には三五〇余人が立錐の余地なく集まり、風琴合奏、日本語唱歌、英詩和訳、英語唱歌、英語暗誦、日本語唱歌、手品、余興等に聴衆を魅了させた。二十三年よりは、禁酒以外の「廃娼」、「矯風」といったテーマも据え、二十四年には活動内容を一三の部門に分けるとともに、そのなかに密売淫調査掛(松田理三郎)、労働社会調査掛(竹内余所次郎)、婦人部掛(西川かめ)も設けた。アイヌ矯風部を設置したのも同年のことで、ジョン・バチェラーはアイヌ語で禁酒を説き、アイヌの人びとの居住する聚落へ度々出張した。二十五年は北海禁酒会の最盛期で、アイヌ矯風部で「アイヌ演説」が行われたり、禁酒遊説のために会員が上川、空知、樺戸辺まで出張した。また、万国婦人禁酒会のミス・ウェストが来札し演説会を開催した。二十六年には南一条西一丁目に禁酒倶楽部を開設し、活動の拠点とし、禁酒会以外の慈善運動の会合にも無料で提供した。しかし、二十七・八年の日清戦争に際しては、他の結社団体同様に献納・献金、また同会員にして兵籍にある人びとのため予餞会を開催し、「君が代」、「帝国万歳」で送り出すとともに、出征兵士のために札幌駅頭で皷隊が送迎も行った。
北海禁酒会はこのように禁酒の問題から出発し、札幌基督教会のメンバーを担い手にきめ細かな市民的運動としてすそ野を広げ、札幌を中心に道内外を合わせて二十六年には一七〇〇人の会員を持つ結社団体にまで成長していた。