函館空港滑走路および周辺に広がる遺跡には、西端の根崎遺跡を始め、函館空港第1から第10地点、中野A・B遺跡、石倉貝塚の函館空港遺跡群、および赤坂1・2遺跡がある。また、汐泊川流域沿いにも新湊遺跡、汐泊遺跡、石倉遺跡などが存在している。これらの遺跡群の特徴としては、縄文時代早期に属する遺跡が多く、他には縄文時代前期および後期、続縄文時代そして擦文時代というように、断続的に連なる文化の傾向がみられる。ここでは、早期の集落跡の密集度は高く、ほかにも前期前半頃の大規模な遺跡が存在するが、これに続く円筒土器文化の最盛期である中期のものはほとんど見当たらないという特徴がある。なお、この台地は比較的奥行きがあり、平坦面も広範囲にわたっているが、河川などの水系からやや遠ざかり、季節風を割合に強く受ける場所ともなっている。また、このためなのか標高五〇メートル以上の場所においては、遺跡の存在がほとんど確認されていない。
表1・2・1 函館市の先史時代年表
時代区分 | 年代 | 生活・文化の特徴 | 特徴的な道具類 | 函館市内の | 青森県・函館 |
(B.P.) | 主 な 遺 跡 | 周辺の主な遺跡 | |||
旧石器時代 | 13,000年前 | 標高30m程の段丘で活動。 | 石刃・細石刃・細石 | 石川1遺跡 | 大平山元遺跡 |
後期~末頃 | 狩猟採集による短期間のキャ | 刃核・尖頭器・彫刻 | 桔梗2遺跡 | 湯の里4遺跡 | |
ンプと移動主体の生活。 | 刀・スクレイパー。 | 新道4遺跡 | |||
縄文時代 | 12,000年前 | 移動生活の継続。縄文土器 | 未確認。 | 未発見 | 表館(1)遺跡 |
草創期 | 製作および使用の開始。 | ||||
9,000年前 | |||||
縄文時代 | 定住生活の始まりと集落の | 貝殻文尖底土器。 | 中野A遺跡 | 日計遺跡 | |
早 期 | 形成。竪穴式住居や貯蔵穴 | 沈線文等平底土器。 | 中野B遺跡 | 物見台遺跡 | |
の出現。海岸近辺の台地上 | 縦長ナイフ・石錘・ | 住吉町遺跡 | 吹切沢遺跡 | ||
で活動。海岸や河川での漁 | 擦切り磨製石斧。 | 根崎遺跡 | ムシリ遺跡 | ||
撈や採集生活が中心。 | 空港第6地点 | 早稲田貝塚 | |||
6,000年前 | |||||
縄文時代 | 大規模集落の形成。貝塚の | 縄文尖底・丸底土器 | 豊原1遺跡 | 三内丸山遺跡 | |
前 期 | 出現。縄文海進の現象で海 | 円筒下層式土器。 | 空港第4地点 | 石神遺跡 | |
水面が上昇し温暖な気候が | 石冠・半円状扁平打 | サイベ沢遺跡 | ハマナス野遺跡 | ||
続く。豊かな植物・動物相 | 製石器・石皿。 | 赤坂2遺跡 | 八木A遺跡 | ||
や水産資源等の獲得。広範 | |||||
囲にわたる交流や交易。 | |||||
5,000年前 | |||||
縄文時代 | 標高20mの低地から90m程 | 円筒上層式土器。 | サイベ沢遺跡 | 三内丸山遺跡 | |
中 期 | の高地に,集中型の大規模 | 大木式土器。 | 権現台場遺跡 | 石神遺跡 | |
な集落形成。豊富な動植物 | 余市式土器。 | 陣川町遺跡 | 臼尻B遺跡 | ||
相の存在で,安定した狩猟 | 擦り石・板状土偶。 | 見晴町B遺跡 | 大船C遺跡 | ||
採集生活を継続。遠方との | 石川1遺跡 | ||||
交易 | 桔梗2遺跡 | ||||
4,000年前 | 煉瓦台貝塚 | ||||
縄文時代 | 縄文海退の現象で海水面が | 沈線文などの文様の | 湯川貝塚 | 小牧野遺跡 | |
後 期 | 低下し寒冷な気候。大規模 | 壺形・甕形・注口土 | 石倉貝塚 | 十腰内遺跡 | |
な配石や盛土など,墓地や | 器。埋葬用甕棺。 | 日吉遺跡 | 戸井貝塚 | ||
祭祀関係遺構の出現。 | 青龍刀形石器・鐸形 | 三吉神社遺跡 | |||
小規模分散型の集落形成。 | ・三角形土製品。 | ||||
3,000年前 | |||||
縄文時代 | 寒冷な気候で,河川流域の | 精巧・装飾的な文様 | 女名沢遺跡 | 亀ケ岡遺跡 | |
晩 期 | 低位段丘地帯などに生活範 | の亀ヶ岡式土器(大 | 高丘町遺跡 | 是川遺跡 | |
囲が拡大。石槹や土偶など | 洞系の多様な器形) | 陣川町遺跡 | 日ノ浜遺跡 | ||
の呪術的な道具が発達。 | 石棒・石刀・石剣・ | 聖山遺跡 | |||
土偶。 | 添山遺跡 | ||||
2,300年前 | |||||
続縄文時代 | 本州地方では水稲耕作。北 | 弥生式土器の影響を | 高丘町遺跡 | 砂沢遺跡 | |
海道地方は狩猟採集生活を | 受けた縄文の文様構 | 見晴町A遺跡 | 垂柳遺跡 | ||
継続。本州から金属器文化 | 成土器(恵山式土器 | 石倉貝塚 | 宇鉄遺跡 | ||
が伝播。 | ・後北式土器) | 西桔梗B2遺跡 | 恵山貝塚 | ||
魚形石器。 | 西桔梗E2遺跡 | ||||
1,300年前 | |||||
擦文時代 | カマドを持つ竪穴住居の出 | 土師式土器・須恵器 | 汐泊遺跡 | 野尻(2)(3)(4)遺跡 | |
現。鉄器製作技術の発達。 | 擦文土器・紡錘車。 | 湯川土師遺跡 | 高屋敷館遺跡 | ||
初歩的な農耕の可能性。 | 銭亀沢遺跡 | 矢不来3遺跡 | |||
鶴野2遺跡 | |||||
800年前 |
次に汐泊川流域で、海岸線からやや奥まった標高一〇メートル程度の低位段丘面には、女名沢遺跡を始めとする縄文時代晩期頃の遺跡の広がりがある。この他には、同時期とみられる遺跡が数か所存在するが、他の時期のものはほとんど知られていない。
また、汐泊川下流域の段丘上には、豊原1・2・3遺跡、鶴野遺跡、鶴野2遺跡、石崎遺跡などが点在しているが、時間的には縄文時代早期から前期初頭頃および擦文(土師式土器)時代であり、空白となる時代が多い。このように、銭亀沢地区の台地における遺跡立地の傾向としては、縄文時代早期から前期前半頃にかけての時期の集落跡が多く、その周囲には後期および晩期、続縄文、擦文の各時代の遺跡も点在する。また何故か縄文時代前期後半から中期という時期にかけては、ほとんど空白の時代となっている。どちらかというと、寒冷期に相当する時期のものが多いという傾向にある。