銭亀沢地区の遺跡の立地

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 函館空港滑走路が位置する標高三〇から五〇メートルほどの台地は、津軽海峡に面した全長約五キロメートルほどの海岸段丘で、西側に松倉川、東側は汐川がそれぞれ市の北から南へ注いでいる。この台地の地形的な特徴としては、延長が一から二キロメートル程度の小河川が数本にわたって津軽海峡へ流れ出し、それらの周辺部には縄文時代を始めとする遺跡の広がりがみられる。さらに、汐川流域の低い河岸段丘面沿いや、汐川以東の古川町から石崎町にかけての標高三〇から五〇メートルほどの台地の小河川の周辺にもまた、それぞれいくつかの遺跡の存在が知られている。これら海峡に面した丘陵は、およそ四万年前に銭亀海底火山の噴火により流れ出た火砕流堆積物から形成された地形となっていて、海岸線付近は浸食により削り取られ、断崖となる急傾斜地形が続いている(第二章第一節参照)。
 函館空港滑走路および周辺に広がる遺跡には、西端の根崎遺跡を始め、函館空港第1から第10地点、中野A・B遺跡、石倉貝塚函館空港遺跡群、および赤坂1・2遺跡がある。また、汐川流域沿いにも新湊遺跡、汐泊遺跡、石倉遺跡などが存在している。これらの遺跡群の特徴としては、縄文時代早期に属する遺跡が多く、他には縄文時代前期および後期、続縄文時代そして擦文時代というように、断続的に連なる文化の傾向がみられる。ここでは、早期の集落跡の密集度は高く、ほかにも前期前半頃の大規模な遺跡が存在するが、これに続く円筒土器文化の最盛期である中期のものはほとんど見当たらないという特徴がある。なお、この台地は比較的奥行きがあり、平坦面も広範囲にわたっているが、河川などの水系からやや遠ざかり、季節風を割合に強く受ける場所ともなっている。また、このためなのか標高五〇メートル以上の場所においては、遺跡の存在がほとんど確認されていない。
表1・2・1 函館市の先史時代年表
時代区分年代生活・文化の特徴特徴的な道具類函館市内の青森県・函館
(B.P.)主 な 遺 跡周辺の主な遺跡
旧石器時代13,000年前標高30m程の段丘で活動。石刃・細石刃・細石石川1遺跡大平山元遺跡
後期~末頃狩猟採集による短期間のキャ刃核・尖頭器・彫刻桔梗2遺跡湯の里4遺跡
ンプと移動主体の生活。刀・スクレイパー。新道4遺跡
縄文時代12,000年前移動生活の継続。縄文土器未確認。未発見表館(1)遺跡
 草創期製作および使用の開始。
9,000年前
縄文時代定住生活の始まりと集落の貝殻文尖底土器中野A遺跡日計遺跡
 早 期形成。竪穴式住居や貯蔵穴沈線文等平底土器中野B遺跡物見台遺跡
の出現。海岸近辺の台地上縦長ナイフ・石錘・住吉町遺跡吹切沢遺跡
で活動。海岸や河川での漁擦切り磨製石斧。根崎遺跡ムシリ遺跡
撈や採集生活が中心。空港第6地点早稲田貝塚
6,000年前
縄文時代大規模集落の形成。貝塚縄文尖底・丸底土器豊原1遺跡三内丸山遺跡
 前 期出現。縄文海進の現象で海円筒下層式土器。空港第4地点石神遺跡
水面が上昇し温暖な気候が石冠・半円状扁平打サイベ沢遺跡ハマナス野遺跡
続く。豊かな植物・動物相製石器・石皿。赤坂2遺跡八木A遺跡
や水産資源等の獲得。広範
囲にわたる交流や交易。
5,000年前
縄文時代標高20mの低地から90m程円筒上層式土器。サイベ沢遺跡三内丸山遺跡
 中 期の高地に,集中型の大規模大木式土器。権現台場遺跡石神遺跡
な集落形成。豊富な動植物余市式土器陣川町遺跡臼尻B遺跡
相の存在で,安定した狩猟擦り石・板状土偶見晴町B遺跡大船C遺跡
採集生活を継続。遠方との石川1遺跡
交易桔梗2遺跡
4,000年前煉瓦台貝塚
縄文時代縄文海退の現象で海水面が沈線文などの文様の湯川貝塚小牧野遺跡
 後 期低下し寒冷な気候。大規模壺形・甕形・注口土石倉貝塚十腰内遺跡
な配石や盛土など,墓地や器。埋葬用甕棺。日吉遺跡戸井貝塚
祭祀関係遺構の出現。青龍刀形石器・鐸形三吉神社遺跡
小規模分散型の集落形成。・三角形土製品。
3,000年前
縄文時代寒冷な気候で,河川流域の精巧・装飾的な文様女名沢遺跡亀ケ岡遺跡
 晩 期低位段丘地帯などに生活範の亀ヶ岡式土器(大高丘町遺跡是川遺跡
囲が拡大。石槹や土偶など洞系の多様な器形)陣川町遺跡日ノ浜遺跡
の呪術的な道具が発達。石棒・石刀・石剣・聖山遺跡
土偶添山遺跡
2,300年前
続縄文時代本州地方では水稲耕作。北弥生式土器の影響を高丘町遺跡砂沢遺跡
海道地方は狩猟採集生活を受けた縄文の文様構見晴町A遺跡垂柳遺跡
継続。本州から金属器文化成土器(恵山式土器石倉貝塚宇鉄遺跡
が伝播。・後北式土器)西桔梗B2遺跡恵山貝塚
魚形石器西桔梗E2遺跡
1,300年前
擦文時代カマドを持つ竪穴住居の出土師式土器・須恵器汐泊遺跡野尻(2)(3)(4)遺跡
現。鉄器製作技術の発達。擦文土器・紡錘車。湯川土師遺跡高屋敷館遺跡
初歩的な農耕の可能性。銭亀沢遺跡矢不来3遺跡
鶴野2遺跡
800年前

 次に汐川流域で、海岸線からやや奥まった標高一〇メートル程度の低位段丘面には、女名沢遺跡を始めとする縄文時代晩期頃の遺跡の広がりがある。この他には、同時期とみられる遺跡が数か所存在するが、他の時期のものはほとんど知られていない。
 また、汐川下流域の段丘上には、豊原1・2・3遺跡、鶴野遺跡、鶴野2遺跡、石崎遺跡などが点在しているが、時間的には縄文時代早期から前期初頭頃および擦文(土師式土器)時代であり、空白となる時代が多い。このように、銭亀沢地区の台地における遺跡立地の傾向としては、縄文時代早期から前期前半頃にかけての時期の集落跡が多く、その周囲には後期および晩期、続縄文、擦文の各時代の遺跡も点在する。また何故か縄文時代前期後半から中期という時期にかけては、ほとんど空白の時代となっている。どちらかというと、寒冷期に相当する時期のものが多いという傾向にある。