津軽平野を覆っていた海

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この時代(約一〇〇万年前から三五〇万年前ころ)は鮮新世から更新世前半の地質時代にほぼ相当する。現在陸地となっている所の多くは海に覆われており、当時の陸地の輪郭は、現在の青森県を縁取る海岸線の形とは驚くほど異なっていた。日本海側から陸地深く侵入した海は、現在の津軽平野となっている広大な低地はもちろんのこと、その周辺を含めた広い範囲を覆い、内海や大きな湾となっていた。その周りには岩木山八甲田山などの火山はまだできていなかった。この〝古津軽湾〟ともいえる大きな内海は、ある時期には大釈迦(だいしゃか)付近にあった狭い水路を通じて陸奥湾側の海域とつながった。この日本海側と陸奥湾側の海を結ぶ海峡には、現在の瀬戸内海でみられるうず潮のように、干潮・満潮に伴って潮流が行き来していた。その証拠に、この時代の堆積物である大釈迦層には、砂粒ほどに砕かれた貝殻の破片や軽石のかけらを含んだ砂岩を挟むが、そこには上げ潮と下げ潮を意味する、相反する潮の流れの方向を示す交叉した縞模様(クロスラミナがみられる(写真45)。

写真45 大釈迦層にみられる潮流が流れていた痕跡を残しているクロスラミナ。(大釈迦付近)

 この時代の始めごろ、この海はまだ深く、海底には泥や砂混じりの泥が堆積していた。そうしてできた暗緑色の泥岩層(大秋(たいあき)層)からは、マキヤマと呼ばれる、白く短い紐状にみえる海綿の化石がよくみつかる(写真46)。しかし海綿以外には、当時海中に住んでいたはずの他の生物は化石としてほとんどみつかっていない。ただし、海底の泥の中にはゴカイなどの底生動物がたくさん住んでいたようである。そのような底生動物が生活していた巣穴や、這(は)った跡などの痕跡が地層中に残されたものを生痕(せいこん)化石という。西目屋(にしめや)村の郷坂沢(ごうさかさわ)でみられる泥岩(大秋層)からは、砂の詰まったパイプ状の生痕化石(写真47)がみつかっている。これは海底の泥の中にU字型の巣穴を掘っていた蠕虫(ぜんちゅう)類の生痕と思われる。大秋層泥岩からは生痕のほかに広葉樹の葉の化石もみつかる。この海に堆積した泥岩地層は、弘前市では地面より深い所に存在しているので、直接目にすることはできない。

写真46 深海底の泥がたまる所に住んでいた海綿の一種,マキヤマの化石。白いパイプ状の部分。大和沢層大秋層にもみられるが,これは松木平層(松木平牛沢)の例。パイプ状の部分の幅は1.5~2mm。


写真47 郷坂沢の大秋層泥岩中に挟まれる,細かな葉理凝灰岩にみられる生痕化石。