二 寛政改革の実施

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 本章ではこれまで、十八世紀後半以降の農村状況や社会状況の変容、そしてロシアの南下をはじめとする対外危機が表面化し、蝦夷地警備が本格化していく状況について述べてきた。具体的には、特に天飢饉に特徴的にみられるように、もはや年貢増徴を強力に押し進めるのは不可能に近い状況となったこと、さらに、寛政期以降、多大な出費と動員数を必要とする蝦夷地警備という新たな軍役負担に対応しなければならなくなったこと、これらによって藩財政の窮乏は一層の深刻化の様相を呈するようになったことを指摘してきた。ここに、藩財政再建策のなかで、家臣団編成を藩財政窮乏の克服にいかに活用していくかということが、藩政の課題として藩当局に認識されてくるのである。この課題への具体的対応が本項で扱う寛政改革である。
 本項では、まず改革意見書を取り上げる。藩政の現状認識と課題を示し、それへの対応を具申した意見書は、改革を総合的に把握する絶好の史料だからである。
 なお、本章第一節三では宝暦改革を扱った。両改革とも、宝暦飢饉と天飢饉に大きく規定されながらも藩財政窮乏の克服を目指した改革といえるが、両者は基礎造の変質度の差異と対外危機の有無という点で、その政策に大きな違いがみられる。
 以下、寛政改革をみていくことにする。(本項の記述は、瀧本壽史「寛政改革藩士土着政策」長谷川成一編『津軽藩の基礎的研究』一九八四年 国書刊行会刊、瀧本壽史「津軽藩寛政改革意見書の分析」『弘前大学国史研究』七九、浅倉有子「津軽藩士『在宅』政策について」長谷川成一編『北奥地域史の研究』一九八八年 名著出版刊、浅倉有子『北方史と近世社会』一九九九年 清文堂刊に多くを依拠している。)