真言宗

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真言宗最勝院僧録所であり、八幡宮(現弘前八幡宮)別当も兼職し、社家頭を通して領内の神職をも支配した。

図194.真言宗本末関係図

 藩では、最勝院百沢寺国上寺橋雲寺久渡寺を津軽における真言宗の「五山」として重要視し、たびたび五穀成就の祈祷を命じた(前掲『御用格』)。
 最勝院の弟子歓果が安政三年(一八五六)に容疑をうけ、町同心によって揚屋(あがりや)入りが俗人の身分にして行われた。しかし、最勝院から脱衣・還俗すると、宗法では僧侶に復帰できない規定なので、揚屋にあっては僧衣を脱ぎ、外出には僧衣を着させたい旨の要望が出された。これは三奉行の取り扱いとなり、翌年、容疑が晴れて歓果は百沢寺塔頭西福坊の住職になった。