熊野宮

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熊野宮(現熊野奥照神社)は、「陸奥国高岡熊野神社鎮座伝記」(資料近世2No.四一八)によれば、崇神天皇の六十七年(紀元前三一)に熊野三所大権現の祭神伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冊(いざなみ)(冉)、事解男命(ことさかおのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)を祀ったのを始まりとする。阿倍比羅夫が小山田・東山・小田泊の峰に社殿を建て、その後、奥尾崎、斧杭、扇野庄に移ったという。また坂上田村麻呂・重明親王・源頼義・藤原秀衡・源義経・平時頼・源頼家・安陪師季・源行定・藤原家貞が寄進・再建を行ったという。
 天正十六年(一五八八)、為信が修復、慶長十五年(一六一〇)、信枚が再建し、社領一三石九斗余を寄進したとするが、正徳元年(一七一一)の「寺社領分限帳」(弘図津)には信義が三〇石を寄進したとみえる。
 毎年六月十五日の神事には寺社奉行が出座して神楽を奏するほか、五穀成就・国家安穏の祈祷を行った(「国日記」)。正徳三年(一七一三)の再建の際は太々神楽(だいだいかぐら)を奏し、領内一人八銭の奉加を行った。神主長利氏は、八幡宮別当最勝院の支配のもと、八幡宮神主小野氏とともに社家頭を務めた。熊野宮社家五軒は禰宜町に置かれたが、天保十二年(一八四一)に家計の困難を救うため富籤(とみくじ)発行を願い出た(同前)。

図226.熊野奥照神社