明治四年(一八七一)七月に
廃藩置県が行われ、
旧弘前藩は
弘前県となり、
知藩事(藩名を付すときは、
弘前藩知事と呼んだ)の
津軽承昭は免官になった。ほどなく同年九月に、
弘前県、館県、
八戸県、
黒石県、
斗南県、
七戸県の六県が合併して
弘前県になった。
廃藩置県後も旧
知藩事や
士族らには
禄米が支払われていた。六県が合併して成立した
弘前県での
家禄総計は、米が八万七四七九石六斗五升、金五五六円八五銭であり、その内訳は表3のようになって
いた。このように、旧
知藩事の取り分が多かった。また、
旧弘前藩士に限って、
家禄を見れば、表4のとおりである。旧藩士の
家禄は、上下の格差が大きかった。
項目 | 米(石) | 金(円) |
旧知藩事家禄 | 19,111.00 | |
内
訳 | 旧弘前藩 | 14,135.00 | |
旧館藩 | 2,330.00 | |
旧八戸藩 | 944.00 | |
旧黒石藩 | 802.00 | |
旧斗南藩 | 738.00 | |
旧七戸藩 | 162.00 | |
貫属士族卒家禄 | 68,368.65 | 556.85 |
内
訳 | 旧弘前県 | 45,154.14 | 151.05 |
旧館県 | 16,608.00 | |
旧八戸県 | 4,210.35 | 405.80 |
旧黒石県 | 1,856.16 | |
旧七戸県 | 540.00 | |
合 計 | 87,479.65 | 556.85 |
家禄の大きさ | 人数 | 合計(石) |
米80石 | 11 | 880.00 |
米60石 | 4 | 240.00 |
米40石 | 22 | 880.00 |
米32石 | 348 | 11,136.00 |
米24石 | 64 | 1,536.00 |
米22石 | 1 | 22.00 |
米16石 | 257 | 4,112.00 |
米13.6石 | 1 | 13.60 |
米12石 | 902 | 10,824.00 |
米10石以下 | 3,339 | 28,212.66 |
前掲『青森県歴史』第1巻、弘前市史編纂委員会編『弘前市史』明治・大正・昭和編、昭和39年の集計を一部利用した。 |
旧
知藩事や藩士層は、
家禄以外に
賞典禄を給付されており、その総額は米三万石であった。この
賞典禄も上層に厚く、
旧弘前藩知事
津軽承昭は二五〇〇石であった。このため、旧
知藩事は自分の取り分を旧藩士に分与することもあった。明治五年には、
津軽承昭は、四年冬渡分と五年春渡分の賞典米を旧藩士に分け与えた。その額は合計米一五五八石余りと若干の金であった。
家禄は、明治六年(一八七三)時点では、石代納相場に合わせて貨幣で支払われるようになって
いた。このため、換算に用いる
米価と実際の
米価では差異がある場合があった。明治六年に
弘前藩士族が
家禄を現米で渡すよう要求して不穏な動きを見せたのはこのた
めであった(『新編弘前市史』通史編3(近世2)第六章第四節参照)。
家禄、
賞典禄の支払いは、県はもちろんのこと、明治政府にとっても負担が大きかったので、その軽減は重要な課題であった。明治六年十二月に
家禄税が設けられた。これと同時に、
家禄と
賞典禄の奉還を認め、奉還者に永世禄は六年分、終身禄は四年分を一時に下付することになった。これは全国的な動きであり、当初は
家禄、
賞典禄とも一〇〇石未満の者に限られていたが、明治七年十一月には石数の制限が撤廃された。
明治八年になると、明治五年から同七年までの米一石(一石=一〇斗≒一五〇キログラム)の相場により
金禄に改めることになった。弘前を含む津軽郡については表5のようになっていた。明治八年十二月には、これにより
金禄の全額が計算され、九年二月に出納寮から
青森県に一年分の必要金額支出が認められた。それは表6のとおりである。
項目 | 相場(1石当、単位円) |
相場(決定相場) | 2.86854 |
明治5年相場 | 1.79161 |
明治6年相場 | 2.31167 |
明治7年相場 | 4.50234 |
前掲『青森県歴史』第4巻 |
注)このほか、前年8月にも一部38,835.774円を渡し済みである。 |
こうして
家禄、
賞典禄は
金禄に変えられた。このような一連の過程は
秩禄処分といわれる。
旧弘前藩士が得た
金禄公債は、
第五十九国立銀行の設立資金に充てられるなど、産業の振興や
旧弘前藩士の生活の資となったが、一方で、
金禄公債を失っていく
士族も多かった。一つの調査によれば、明治九年に
旧弘前藩士が下賜された
金禄公債の総額は一四五万六一〇円、そのうち
第五十九銀行の株券に換えた部分が二五万九二二五円、明治十四年に各町の
戸長が調べた
士族所有の
金禄公債は三三万一一八〇円で、
銀行株券に換えた分以外の
金禄公債減少分は八六万二〇五円となっている(『景況調』四、弘前
市立図書館蔵岩見文庫による)。