表12は大正七年(一九一八)の主な官公署としてあげられたものだが、市街地周辺に設置された多くがはぶかれている。たとえば苗穂(札幌村)には札幌監獄、陸軍糧秣廠が、豊平には陸軍歩兵二五聯隊、月寒種牛(羊)場、水産孵化場がある。琴似には大正十年工業試験場庁舎が建ち、翌年設立が認可され、表中の農事試験場も大正十四年琴似へ本場庁舎を移した。表中の住所をみると業務の関連により庁舎位置が特定されることが多い。それは札幌の人たちが諸機関の誘致にかけた努力の結果であり、偶然のなりゆきではない。ある時は苦労して入手した区役所の敷地建物を鉄道管理局に提供し、司法地区形成にも長年の強い働きかけがあった。
表-12 札幌区の主要官公署(大正7年) |
機関名 | 住所 | 機関名 | 住所 | |
◇道庁 | ◇軍事機関 | |||
◇鉄道機関 | ||||
◇道庁出先機関 | ||||
◇通信機関 | ||||
◇司法刑務機関 | ||||
◇税務砿務帝室林野機関 | ||||
こうした街づくり計画の中で官公署の誘致がはかられたが、実現をみずに落胆することもあった。たとえば逓信省の貯金支局誘致では、小樽区と争いついに失敗に帰し「貯金支局設置問題ハ其後引続キ小樽区ト対抗的態度ヲ持続シ来リタルカ、逓信当局ニ於テ比較実査ノ結果、小樽区ヲ以テ適当ナリトシ同区ニ設置セラルヽニ至リタルハ遺憾ナリトス」(札幌区事務報告 自大正四年十月至五年九月)と報告しなければならなかった。これは日本銀行の札幌支店問題とともに経済力の札樽較差が背景にあり、また開設後札幌を離れて他地域へ庁舎を移すものもあり、第七師団の旭川移転はその代表といわれる。
表中の行政機関で札幌に最も大きな影響力を及ぼしたのは、内務省の地方出先機関である北海道庁で、その立地論争は前述した。明治三十年北海道庁官制改正により、道庁の出先機関として札幌区、札幌、石狩、厚田、浜益、千歳の五郡町村を管轄する札幌支庁が、現中央区大通西三丁目に置かれた。三十二年札幌区は区制施行により管轄からはずれたが、庁舎焼失後、四十一年に中央区北二条西五丁目に新築移転した。その際豊平町への移庁が論議されたものの実現せず、大正十一年石狩支庁と名称を改めた。表にのっていないが、道庁出先機関として明治四十三年開設の石狩川治水事務所、大正十年開設の自治講習所があった。
北海道会は明治三十四年開設され、第一回臨時会(明34・10・21~24)、同通常会(10・25~11・20)は札幌中学校の屋内運動場を仮議場とした。翌三十五年九月、道庁構内に議事堂が落成し、第二回臨時会(明35・10・15~20)から使用した。