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北海道婦人大会・札幌

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 昭和二十五年(一九五〇)七月二十八・二十九日、旭川市で北海道東北七県婦人大会が開かれた。主催は北海道教育委員会・北海道・旭川市、後援の中心は北海道民事部である。「北海道と東北七県(新潟県を含む)の婦人文化の交流を図り、今後の新生活運動に新たな方途を与えること」を目的にし、道教委の関係する北海道婦人大会の第一回目となった。道内からは約七〇〇人、札幌からは北円山土曜会佐々木まさ子ら五団体一三人が参加した(札幌婦協 第一七三号 昭46・8)。大会にはニブロ教育課長ら民事部四人の挨拶・講話もあり、婦人教育係のギャグナーは、間近の教育委員選挙やユネスコに関心をもち、PTA活動にも積極的な参加をと呼びかけた。各県の現況発表で道教委社会教育主事の山元ミヨは、道内九一七の女性団体について「生活合理化・世界平和・教養向上・結核防止等に関心をもち、昨年来相互のつながりに新しい動きが出てきた」と述べた。「家庭の民主化、家庭教育、婦人と職業、衛生問題、厚生問題、農漁村婦人問題」の六分科会・一二会場で討議が行われ、母子家庭と保育所を主な議題とした厚生問題分科会のまとめには、札幌の参加者の発言で「民生委員と婦人会の協力、民生委員の民主的な選出」が入れられた(北海道東北七県婦人大会綴 北海道立教育研究所蔵)。
 この会合が開かれたのは戦後初の北海道博覧会開催中であった。なお旭川開基六〇年を標榜する主催者の「島原おいらん道中」招致計画に対して、札幌市内三七の女性団体が「女権無視、時代錯誤」と中止を求める懇請文を北海道知事と旭川市長に送った(道新 昭25・6・29)。しかし「おいらん道中」は八月中の三日間実施され、ミスコンテストも盛況であった(北海道開発大博覧会誌)。
 翌二十六年九月十四・十五日、道教委と帯広市の共催で第二回北海道婦人大会が開かれた。全道から一四六団体七六六人、札幌からは結核予防婦人会北円山土曜会など八団体一七人が参加した。表28は、当時の札幌市の女性団体の状況である。この大会では「講和後」ということが強調され、分科会は「地域社会の向上、生活の共同化、趣味・娯楽の効果的な会合、生活技術の普及向上、婦人と職業」の五つで、パネル討論は道農業改良普及員小野ハルら三人による「家庭生活の合理化」であった。札幌からの参加者は地域報告で曙婦人会の年間行事を紹介し、第一分科会に「学校教育の充実に婦人団体はどう働きかけるべきか」、第五分科会に「婦人団体は内職に有利な条件確立やパートタイム制設置を如何にすべきか」など提起した。全体討議では「入浴料金の据え置き、婦人少年局の存続、不良図書の追放、給食廃止に反対」が決議された。婦人少年局については農漁村地区の参加者から説明を求める声があがり、大会事務局長が職務の内容をくわしく説明した結果、総理・労働・大蔵各大臣と衆・参両院議長あて「婦人少年局廃止絶対反対」の決議を満場一致で可決した(第二回北海道婦人大会綴 北海道立教育研究所蔵)。
表-28 札幌市の女性団体(昭和26年)
団体名代表者備考
<宗教的性格のもの>
日本基督教婦人矯風会清水シズ南10西16 佐々方
札幌正教婦人会石井いりな南7東1 札幌正教会
札幌北光教会婦人会向井君代南大通西1
救世軍札幌小隊家庭団張田マスノ南4西1
札幌聖公会婦人会瀬谷千代北8西6
日本基督教団札幌新生教会婦人会伊藤スマ南大通西11
日本基督教団札幌北一条教会婦人会五十嵐とく北1西6
日本キリスト教団札幌教会婦人会佐藤千代北1東1
札幌Y・W・C・A大森秀子南7西16
札幌佛教婦人会石田慶封南4西5
中央寺吉祥婦人会福井天章南6西2
たちばな婦人会村上匡子豊平3ノ2 経王寺
大谷婦人会札幌支部西尾静子南7西8 東本願寺
天理教札幌婦人会山本ムメ南8西11
妙徳会滝ヶ平ハル白石5ノ2
生長の家白鳩会近藤シゲコ南9西1
<同志的性格のもの>
札幌友の会佐々喜久恵南10西16
白雪会山下愛子北9東5
日本婦人有権者同盟札幌支部更科駒緒南1西7
大学婦人協会札幌支部田中愛子南13西13
日本助看保協会北海道支部竹村マヤ南9西12
北海道結核予防婦人会水島ヒサ北1西2 結核予防会内
札幌婦人働く友の会正木ミツ白石7ノ1
働く婦人の会山田光代南1西5
婦人民主クラブ札幌支部片山久北1西17
女性文化の会塚本美代南1西1
<地域的性格のもの>
母子会永沢チヤ南1東4
苗穂婦人会安藤とよ北2東9
苗穂主婦の会斉藤キヨノ北2東8
幌北第八分区婦人会津村かおる北21西6
北円山土曜会近藤マツ北3西24
円山主婦の会  〃
曙婦人会竹村マヤ南9西12
西創成婦人会許士ヨ子南7西6
本府婦人会山場ひで北1西8
青葉婦人会鶴岡俊子南3西7
豊平主婦の会戸津みこと豊平6ノ5
やよい会木村ハナ上白石町三区
中央西婦人会小島シナ子白石町中央
<性格不明なもの>
すみれ会鶴岡俊子南3西7
互援会村上匡子南17西4
札幌市の教育課程 第一集』(昭26・3)『北海道年艦 1952年版』(昭26・10)より作成。団体の性格づけは筆者による。

 第三回北海道婦人大会は札幌市で、二十七年八月二十二・二十三日に開かれた。「政治、社会、労働、教育、法律と家庭、生活の合理化、農漁村、婦人団体、レクリエーション、平和」の一〇分科会が札幌の女性団体によって準備された。『北海道新聞』は二〇〇〇人の参加を予想して二十日の紙面に「大会に望む 婦人運動家の抱負」を特集し、高倉とき(人権擁護委員)の「法律と家庭部会へ 家庭の封建性を検討」を初め、七人のコメントを載せた。また大会に向けた『北海婦人』特集号のコメントで秦富久子(大学婦人協会札幌支部長)は、「公明選挙も新生活運動も、婦人の自覚と平和憲法の擁護に結びつくのでなければ無意味です」、正木ミツ(婦人働く友の会)は、「戦争未亡人をこれ以上ふやしたくありません。戦争反対に協力致しましょう」と呼びかけた(日本婦人新聞付録 昭27・8・22)。
 大会には一四〇〇人が参加し、最後のパネル討論は藤田たき婦人少年局長ら四人による「公明選挙の徹底」であった。平和部会の助言者も藤田だったが、討議の状況は、再軍備反対、自衛軍の必要、平和憲法の擁護、家庭内の平和を基礎として、戦争玩具の追放、原爆の脅威を世界に訴える(ことも)自衛設備強化も必要(今後の婦人団体のために 昭29)などかなり混沌とした様子で、道新の事後報道は冷淡だった。しかし『道婦連協二十年史』は、「前二回の大会と違い、この大会にあっては婦人団体が協力団体として加わり、今までの行政主体の婦人大会から、企画に運営に女性らしい大会へと一歩前進した」と評価した。
 北海道婦人団体連絡協議会(道婦連協)は三十二年、一七市一一支庁の組織で結成され、三十六年から大会を主催するようになった(道教委は後援)。竹村マヤが第三代(昭34~36)、高杉田鶴子が第六代(昭42~43)の会長になるなど、札幌は道婦連協の活動を支えた。