[翻刻]

            3
芝苅童、薪脊負山賤、あるは蔦の細道
に、牛馬をひき、さかしき山畑を耕す農夫も、
其地により其家業によれり。朝には嘶く
馬に驚て草鞋をはき、腰には破籠、手には鎌
を携ひ、夕にハ青菜の透間にみゆる我やどの
燈火をもれいつる月かと怪み立帰り、芝の
垣根の卯の花を雪かと見まかふころおひ、
庭なる手稼も住めは偕老同穴の都も
おなしこちの人二人か中の楽をいだき抱ひて
  枕もち寐にもゆかはや
     夏木立 と隣向ふも
はゝからす口号みつゝ有ける里も夛からんかし。
 
  (改頁)      4
 
説に曰、今年丁未弥生の下旬、山稼して有け
るに、暴に大風起りて山野に響事夥しと
いへとも、心もつかすありける所、暫くありて又
もや暴風発してその鳴音辺りに徹ゆる
事数度なりし。サハあれと有合所の樹木枝
葉少しも不動、尚心を留めて勘考するに、
おのれか額にかゝりし鬢の髪、《ツヅ》れし衣
の袖たにも、乍去、動くさまもなけれは、眉を
顰め竒異の思ひをなして、凡人なれハ其日をそ
送りける。爰に二十四日の夜大地震を発して
斯大災を受る事のおそろしさよといへり。
其程を年寄もとめて問ひけるに、善光寺
 
  (改頁)
 
中はに取らハ酉戌亥のかたに当る所の山
野取わけて夥しといふ。疑ふらくハ大地震
発する所の気、地中に満ち/\てもれたるにも
ありけるや。火災の後改暦、戊申の春を迎ふ
といへとも、松城より辰巳にかけ戸倉・坂木辺
の山続に至り、何所とも無く山野に徹し鳴音
ある事、これまた陰陽遅速の所為に寄
か。斯前代未聞の大地震を発する程の順
逆に随ひて、地中にいまた不順の気満々て
発せさるにか、後悔なりといへとも無学なれハ其詳
なる事をしらす。
 戊申晩春折節眼病に脳むこと既に半月、眼鏡
 
  (改頁)      5
 
の他力を借りて記すものハ彼の地震商人豊田酒
店の主といへともなれぬ業とて番頭
                   《したみ》の喜源書
 
  (改頁)
 
    水内の曲橋の事
 千曲・犀川の大河ハいふもさらなり、裾花川の
流れいつれ劣らぬ荒浪に取囲みたる中の
里々を更級郡といひ、世に川中島と唱ふるも
理りなり。千曲・犀の両川何れ劣らぬ大河
といへとも、犀川の流ハまた比類なき洪流にして、
その渡し船を止むる時ハ仁義礼智信もすた
れり。其由いかん、音信の道も絶るをいふ。爰
をもつて尊敬し歓ひ喜ふへきは、水内の曲橋
なり。また久米路の橋ともいひて、流れハ犀川
の水上にして、西より東に橋を渡る事五丈有
余、夫より南に向ひ大橋を行事十丈有余
 
  (改頁)      6
 
にして、橋と水との間十五丈余あるとかや。高き
橋よりみなきる瀬音耳欹たてゝ聞、浪の
うね/\に《フカ》き青渕たちし恐ろしさたとへん
かたもなし。樹木枝葉岩のはざまに生茂り、四
季折々の美花吹連、木実枝に盛んなりと
いへとも、欲して指さす事能はす。是を以て
思ふ時は、其昔猿の梢を携ひ、藤かづらを
もて是を渡し初けるゆゑに、白猿橋とも言とい
へとも、拾遺集に
   埋れ木は中むしはむといふめれハ久米路の橋は心してゆけ
よみ人しらす、とあるをこの橋の歌なりともいへり。
可悋可憐。大地震発して彼の岩倉山抜崩
 
  (改頁)
 
れ、犀川の大河を止む。已に翌月六日におよひて
湛ひし水の嵩りし事、此橋より猶高さ数十
丈増れり。爰におきていかなる名橋たりとも
保つへきにならされハ、橋梁浮出し、湖水に等
しく充満たる水の面を流れ廻り/\て、穂刈村の
辺りに至れりとぞ。其地を踏されハしらねとも、此橋
場より穂刈村は川辺を上みに行事一里に近
しとそ。猶水かさ増る事数日におよひ、四月
十三日湛塲破損して崩れ流れ、此橋の流れ
行先を知る者なし。後に高井郡なる川辺の
畑に経り三尺、長さ拾丈余の材木漂着したり
けるハ、是其橋梁ならん。拾丈余の材木滞る
 
  (改頁)      7
 
間もなく爰に漂着せし洪水のおそろしさよ。
其外数百村の家・蔵を押流し、或ハ損ひ田畑を
荒し、一切万物水屑に沈み三災変化の事
ともなほすゑに譲りし所を見よ。可恐/\。
曰、大橋長さ拾丈五尺、広さ一丈四尺、東西二行袖橋五
丈四尺、欄基の高さ三尺、橋より水迄低事三十六尋有余
といふ。
 
  (改頁)
  (改頁)      8
  (改頁)
 
    新地獄の戯言
  ○後世不尽なれハ覧る事もまた不尽にして面白
    からす。若変化して止みぬれば是も亦珎事にし
    て後世俗語の種にならん事もと欲するか侭
    に。
我は愚にしてしらねとも、久老御師の考にて、
善光寺より子丑にあたりて薬山あり。その薬師仏の
石像ハ少彦名命なること疑ひなしとそ。[久老神主者世之人知ル所ノ
博学ニシテ我先々代幸直ノ友人ニテ、其薬山ノ考ハ坊刻ノ文苑玉露ト云フ書ニミエタリトゾ。]宝永四年善光寺
堂再建の後、残りし所の材木を以て棟梁なりし
木村万兵衛と云もの、[善光寺御堂再建ノ棟梁。伊勢国白子ノ住人也。]心を砕て珎
寄妙案なる所の薬師堂を造立す。四方に聞えて
 
  (改頁)      9
 
ぶらん堂と言。毎年四月八日を祭りて遠近の
諸人群集す。岩上に立る所のつか木一本を本とし
て、次第に組上たる御堂なれハ、人夛くありて
四方に軽重なき時は必不動、動きても亦数年
来の今に至りて狂ひ損ふ事なし。世に珎らしき
御堂なりけるを、大地震発して土砂磐石と共に
 
  (改頁)
  (改頁)      10
  (改頁)
  (改頁)      11
  (改頁)
 
抜崩れて、数十丈の谷間なる長原道を閉塞きぬ。
惜むへし/\。おもふに此御堂再建の工匠あるべ
からす。然るを是なる山の辺り地中いかんか狂ひけ
るや、半丁はかりの間に地中より火を吹出す。一ト
所にハ居風呂桶を置て吹出す火をもつて湯を沸
し、一ト所にハ鍋・薬鑵抔釣かけて物煮る事
をなす。尚二ヶ所には唯何となく六七尺の間に
ほや/\と燃立たり。其大いなるはその侭に湯も
忽ち熱、青葉も即座にしほるゝところをもつて知へし。
人いひて新地獄といふ。見物の人々引もきらす
爰に群集する事、追日猶増さかり、因ておの
か家内・小児なとも行て見度事を言合けり。
 
  (改頁)      12
 
爰に可笑は、地獄に行度しといふ也。地獄にゆ
きたしとハ口合の悪けれ、外になどか言はもある
へしといへとも、またしても/\地獄に行度
しとそいひける。途中に出て人に問ふ、われら
衆生は地獄に行く者にてさふらふ。道踏迷
ひて難義せり、をしへ給へといふ。答ていはく
此先に川あり、行先に巌石抜崩れてさも
おそろしけなる山あり、是を越えて行に一ッの
家あり、其前を通りて行へし。しかる所に
向ふより女子一人来れり。道連れなりし小
児と言争ひやしたりけん、泣顔してそあり
ける。是なん泣々ひとりゆくと答へよなと
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      14
 
いふべき哉。鶴沢の橋をわたるとて
  六道をニッにわれは三途川
    一途にねかふ後生安楽
折しも藤の花の見事なりけれは
  松か枝に葉をのす首の長けれハ
    うべ鶴沢の藤浪の花
抜崩れし嶮岨なるハ所謂針の山にも
ひとしけれハ
  焼薬鑵あたまのねかひ今そたる
    この世からなる針の山みち
浅川の流れに渕ありけれハ
  欲ならは浅瀬/\と渡るへし
 
  (改頁)
 
    深き迷ひは後悔の渕
ひとつ家の前には、折しも此家の内義とお
ほしく、谷川の流れに小児の衣を洗ひてそ
ありける。そのさま、山家育ちの髪をも結
はすありけれハ、今にもかのうばにわれらか
衣も取らるへしなといひあひけり。
  世のうさに迷ふおのれはしらねとも
    夏来にけりと蝉の初声
  地震にてなせし地獄の道にさへ
    行脳みてはなほおそるべし
是皆歌に非らす、狂哥にあらす、はい諧にあ
らす、何なる事と問はるゝ時は、猿面かむる
 
  (改頁)      15
 
猿の人真似、素より無学愚痴なるは前々
もつて誤り入てあれは、深き歎きはあらすとも、元
よりしらぬ事なから退屈なりしいたつら書、
覧給ふ人々不可笑。
   地の大に震ふ事を考ふるの伝
爰に水内郡山中梅木邑の分村に、城の越といふ
所あり。民の竃戸讒に四五軒あり。此辺なる山のあ
はひに深き沢あり。其低き事一丈有余にして、
そこに四方九尺はかりなる大石あり。然るを廿
四日の夜大地震を発して此石動き出し、高き
城の越に登りて彼の民屋なる廻門を打破り、
表にまろび出し、前なる処の少しく小高き
 
  (改頁)
  (改頁)      16
 
麦畑に至りて爰に止まる。然れとも家族一人
だにも怪我ある事なし。抑一丈有余低き沢
の中より動き出し、高き麦畑に登りし怖しさよ。
夫には引替て怪我無事こそ不思義なれ。
是全神仏の扶護なるへしとて、止まる所
に七五三引張りて尊敬するとかや
 
 大地震発して朝日山崩れ落る所の多か中に、
 巌のわれたるあはひより出たるものあり。物に
 なそらへは黒羅紗に織入れたる毛に類ひせし
 品なり。長さ二三寸にして細き事小児の髪毛
 の如し。手障りの和らかなるは真わたに等し
 
  (改頁)
 
 く、色黒く、赤みも少し有りて、何の薫りもなく、
 艶悉くありて其美なる事また稀なり。其生
 物を求め得て、地震一類の袋に入置なれは、
 後世まても捨へからす。物知りたる人に尋
 ねて其名を知へし。
かゝる未曽有の変災なれは、人心一日も安からす。
きのふと過きけふと過きゆく光陰矢よりも早し
といへとも、何ひとつ取留まりたる事もなく、
昼のつかれにはやくも臥して、その苦心を補
ハん事を思ふといへとも、入あひ過る頃よりは
夜の淋しさを案事煩(わづら)ひ、深夜におよふとき
は狼の夜毎に来りて死骸の匂ひを慕ひ、焼
 
  (改頁)      17
 
跡に歩行くのよし。誰ありて通路するものもなし。
此上の火害盗難を恐れて小屋毎にひやうし木う
ち、ちやうちんを照らして小屋の外面を見廻り、
また狼の難を恐れ鉄炮を放し、苦患忘るゝ
隙なく、早くも東雲告る烏の声のみ待わひ、
帯紐解きて安心にねむる事にはいつなる
事と、譬仮宅小屋掛けなりとも、又もや町並に
家の建連なる事もあるへきか。御回向なりとて
遠国を隔てゝ参詣の旅人幾千人、市町に命
を失ひぬれハ、此上誰ありてか遠国を隔てゝ参
詣すへきともおもはれす。人気の騷たつ事も、
日を経ば落付くへし。落付く時はかならすしも
 
  (改頁)
 
ひそまりかへりて雨降る日晴たる夜るはもの
淋しく、猥りに出あるきする事有へからず。
たゝ此上の成行を悲歎する事安からす、
自滅の心地実に誠誰ありてか苦患をまぬ
かるへしや。
 幸一此書をなす事前にもしるせるか如く、
 年月を経てたれか此変災を覚え居て
 その詳なることを語るへき。只子孫打寄
 咄し伝への種になさん事を欲す。我はもとより
 書も不読、絵の事抔は尚更に人形の首たに
 書たる事なし。只是程の大災を子孫に伝
 へんの本意なれバ、始めて絵の真似したるその
 
  (改頁)      18
 
 つたなさ。筆の運ひや絵の具の事、文章とても
 左の如し。行届かされハ長々しく本末たにも
 つゝまらす。因て思ひ出せる大概を左に記し、
 後の慰に残すなれハ、善・不善を見、ゆるし
 給へ。退屈なすべき長文句をも能こそ書けれ
 と、一笑して他人の誹をなし玉ふことなかれ。
爰にまた川中嶋の噺を聞に、何れも田舎の
村々なれハ、町家と違ひ、凡の家には五ッ時を過
にし頃は打臥ありける所に、大地震発し、
大小破損夥敷、皆々打驚庭に出て、騒動
なす。時に小堰小川等に一切水なし。定めて地
震にて震ひこわせしものにやと云の評義区々
 
  (改頁)
 
なり。然る所に犀川の瀬音もなし。されど此
に取紛れて知らさりけるを誰聞留めけるにや、
瀬鳴の音の絶てなき事をいふ。亦恐怖して
皆々ひそまつて確と是を案するに、極めて
瀬音のなきに評决し、いかにせん此の大河荒瀬
の水の止まる事はよもあらじ、しかりといへとも
瀬音なく小川の流れ一切絶たり。何にもせよと
不審晴やらす思案决せす、生る心地もなき
ほとなり。亥の刻過にし頃、月しろに能々
すかして見るに、案にたかはす犀川の流れ
一切絶たれは、この大河何れへか廻りて押出
すらんなど、とやかくいへとも夜中の事なれは
 
  (改頁)      19
 
其よし見定めかたし。何にもせよ高きかたに
逃去るの外に思慮なし、早く立退て急災
遁るべしと言へも果す、われや先人にや後れし
ものをと狂気の如く狼狽騒く事尤なりし
次第、こゝにおいて大切なる我か家の跡戸をひと
つ引寄るものもなく、打寄/\評義の場所より
跡振返り見るものなく、小松原・岡田の山にそ
逃のひける折しも、鳴動止まされハ、地にひれ
臥して天を拝し、一心不乱に念仏唱ひ、明け行
空をそ待わひけるか、此大河を止むるともいか
てか一夜を保つべき、今にも水の押来らは
家居・土蔵は言も更なり、いかなる大難を発す
 
  (改頁)
 
へしとみぢんも心やすからす、あきれ果てそ居た
りける。いつしか夜もほの/\と明け行まゝに、少しハ
心に喜ひて、己れか村々打見やれハ、地震の大破
ハ見ゆれとも、いまた水災はあらされば、少しハ
安堵なすといへとも、次第に明け行程こそあれ、
打詠れハ是いかに、朝夕目馴てさへおそろしき
あら浪の大河干揚り、一滴の水ある事なし。
わつかの小堰に塵芥のとゝまり、夕立の強く
降たるさへ水かさ増して路次を損ひ道
行き脳む事さへもありけるを、かゝる大河
の何ゆゑにいかなれハ止まりぬるや。または
地割れて流水の世界の底ニ落入ぬるか、実
 
  (改頁)      20
 
否をしらされは、恐怖する事なほ増りて、
たゝ/\あきれはてたるより外に思案はなか
りけり。折しも時の移りけれとも、人と成たるハ
苦心に腹のへりたるも打忘れたれとも、幼少の
ものハ其弁ひなく、ものほしけなる有さまなり。
子を見る事親にしかす。爰に於て思ひ/\に
談交して、老人・女・小児をは此所に残し置、
壮年にして足の慥なる者をのみ村々に行
かしめ、外に大切の品もあれとも、貯置し金
銭と、めしと味噌との此三品を第一として
持出さんとす。いかなるかたに水の廻り押来り
なん事を思ふか侭に跡をも見すしてゆく
 
  (改頁)
 
とハいへとも、所に寄てハ五丁・十丁またハ半道一
里を隔て、漸々わか家に行てハ見れとも、斯なる
三品を携ひてハ又逃帰る、小高き山々苦痛
の歎き、実にもつとも。廿四日の夜大災発して
危き命を遁れ、我家も見すして狼狽
逃去り、狂気の如く心を苦しめ、善光寺
炎々たる大火を眼前に見やり、嫁を案し
聟を思ひ、親を案し子を思ふ事、縁組ば
かりのゆかりにあらすといへとも、今にも水の押
来りなん事を思ふ時は狼狽て必害あり。
やるかたなく心を痛め、未申にあたりてハ三里
を離れす、稲荷山の一円の大火眼前に見え、
 
  (改頁)      21
 
地は幾度となく震ひまた鳴動し、足の元より
くゆるか如く、水絶にし大河をひかへ、我か住む
所は水にまかせてもはやなきものに思ひ、かくの
如く大難を身に引受て其成行を知らさる時
は、いかなる大胆不敵のものといひ、禅定悟りを
ひらくといへともなんそ恐怖せさるへきや。
きのふと過、けふとくらして昼夜をわかたす、
今にも水の押来りなん事を恐れ、川中
嶋の村々はいふも更なり、川辺に連なる
村々は壱人として家にあらす、居宅は
猶更土蔵にいたるまて明け渡してそ置に
ける。いよ/\やうすもわかりけるハ、岩倉山
 
  (改頁)
 
始とし、数ヶ所の岩山抜崩れ、水上を押埋め
たれハ、譬ひいかなる変化ありとも容易く是
を押破らん事のあるへからすと定まりけれは、
爰に於て漸々に西は岡田・小松原、北ははな
上(かみ)・小市山、南は清野・西条山、東は鳥打山続、
最寄/\に仮小屋掛、家財のしな/\遠方な
れハ、あるひハ運ひ又は残し、雑穀・俵物積重
ね〆りをつけて東西南北夫々におのれか
に逃去りて、けふや我家の押流れ、翌日や
流失しぬるかと、少しも安堵なかりけるは、
実に恐ろしき事ともなり。日夜心を苦むる
事終に二十有余日の日を重ね、語るも聞も
 
  (改頁)      22
 
おそろしく古今未曽有の大変なり。
○爰にまた山中新町にてハ二十四日の夜の大災にて
家・蔵・物置夥敷震ひ潰し、人々何事の所
為なるか其よしたに知らさるもの多く、或は
圧死あるひハ怪我人も多かりけるに、眼たゝ
く間に出火となりぬれハ、狼狽歎く程もなく、
岩倉山の大山崩れ、水増逆流れして家・
蔵浮み出し、彼の岩倉山崩れて水のたゝ
ひたる所に流れ行て、幾数しらぬ家・蔵・家
財その水の中央に度々廻りしてありけれ
とも、暫時に湖水にもひとしきほとの形を
成ておそろしけれは、誰ありてか船もて是を
 
  (改頁)
 
返し得ん事もなりかたく、かゝる大河を止めぬる事
二十有余の日を重ねたれハ、水かさ増る事言語
に述かたく、是かために人民牛馬焼亡水死の
差別もわからす、死骸爰にあらされハ血統の悲
歎また格外なり。辺りの山々に逃去り野宿す
れとも、大河の湛水日夜に満々、次第に広ごり
たれハ、一時/\に高き方に逃去り、苦痛する事
数日なり。前代未聞の大災を後にも猶可察、
恐るべし。是三災一時の大難なり。
○下賤のわれ/\ハ唯おのれか身の成行を案事、
妻子の愛情を恣にするのみにて、譬はいかなる
焼亡あり流失の大難を受くとも、是一家滅亡
 
  (改頁)      23
 
の小事にして取るにたらす。恐おほくも一国一城
の御主の 殿様におハしましてハ、重き御家臣の
面々をはしめ、軽き民百姓の身のうへまて其大
難を不便に被為 思召、広太無量の御仁徳、
御配意有らせられ給ふ事の多かりけるハ、物
しらぬわれ/\まても、聖賢の昔ハしらす、今
の御代のありかたき事を尊敬し、落涙に袖
を絞りぬ。
○爰に二十四日の夜大災発し、御城廓・御殿向
を始め大小破損夥敷、御家中・町家震ひ潰
し、町人圧死も多く有ける所に、其夜より町御
奉行[御預所御奉行兼寺内多宮、御側衆頭取兼ナルヲ以テ三奉行上席ト云。御屋鋪田町。但シ諏方宮ノ裏ニ当ル。御同役ハ金児丈助、午年迄御預所御奉行兼帯御屋鋪芝町]
 
  (改頁)
 
御両士御出張ありて自ら潰家を踏み、倒れ家
をくゞり廻りて火災を制し、圧死・怪我人を悉御
穿鑿ありて掘出し給ひ人命を助け救ひ、昼
夜暫時も御休足だにある事なく御城下町
を御見分あり。其夜よりして当座を凌くへし
とて幼少・老衰の無差別壱人別にそ白米を
被下置、近在近郷にて少しも災害の薄き所へ
人歩被仰付、御焚出をもつて御賄被成下置、
万端難有御意の程冥加至極、言語に絶た
る事ともなり。
○山中岩倉山抜崩れし場所へは郡御奉行
[礒田音門、未年迄御預所町御奉行兼帯、御屋鋪殿町]諸役人を引連れて御出張
 
  (改頁)      24
 
あり。彼の湛水の面に浮み度々廻りして有ける
家を助んか為に、自ら船に進み、変化にして
俄に湖水をなせし所の危も忠と仁とに船
乗寄せ、漂々たる家・蔵を繋き留め/\、岩の
はさまに生茂る大木に撃き留させ、人民の歎
きをなくさめらる。附随ふ人々を始、民百姓歓
ひ仰といへとも、四月十三日一段の急破に縄悉く
切れて流失するとかや
犀川筋小市渡船場の少しく上にて岩石抜崩
川中に押出し、また地中より泥砂を吹出し川
中に小山をなす。小市渡船場の川筋譬は銚子
の口の如し。大山にハあらねとも左右山々連なり
 
  (改頁)
 
川幅尤せまし。此所に至りて北は小市村・久保寺
村・善光寺に見通し、南ハ小松原村・岡田村より
次第/\に広く見通し、東は川中嶋・松代・川
東・川北一円平地なり。銚子口に至りて水勢ば
つと開く時は、大難の心痛眼前たり。爰に防き助
んかために 御家老御出陣ありて急難除け
土堤御普請ある。是則乱国に城廓を築く
に等しく、今にも水の押来たらんかと幾千万
の敵を防に似たりといふもおろかなり。小松原太
神宮[太田大明神トモ崇メ棟札慶長年間ト言]の辺りに仮屋を補理ひ、幕
うち廻し、紅白の吹抜風に靡き、金紋猩々緋
の馬印あたりを輝かし、鑓三ッ道具を錺並へ、
 
  (改頁)      25
 
鉦太鼓をもつて人歩を操出し、または休息を
触らるゝ事厳重なりといへとも、権を以て下賤
をあなとり、威をもつて人歩を苦め給ふにあらず。
かゝる大災を身に受け、親族変死も多きがう
へに、幾千万騎の大敵ニ向ふか如く大難を眼前
に引受け、人力衰ふる時は必狼狽必心魂を
脳乱する事下賤の身の常なれハ、斯はでや
かなるをもつて人民の耳目を驚かしめ、人情
盛んにして心能立働く時は、必疲るゝ事も薄
く、御普請成就に至りしうへは、上下安穏なる
事を被為思召るゝゆゑ斯こそと、愚眛のわれ/\迄
も聞伝ふる事のありかたく、数千の人歩へ、日々
 
  (改頁)
 
御焚出しを御賄ひなし下し置れ、御手充の
広太なりけるとかや。然るを四月十三日七ッ時頃
洪水大山の崩るゝか如く押出し、可悋暫時に
此堤打破れ、其外数ヶ所切れ破れ、川中嶋満
面の洪水とはなりぬ。
○前にも記せし如く川中嶋をはしめ川辺に連な
る村々其数多しといへとも、今にも水の押来り
なん事を恐れて家に在もの壱人もなく、御用にて
往来し又ハ村々より御訴等の事にて往還する人の
外、通路も一切絶たり。いつれの家を覗て見ても、其
形壱人もある事なけれハ、往還ふ人々は白昼と
いへとも物すごく、水災を案事煩ひ、足に任せて
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      27
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      29
 
欠歩行けるとなん。然るに急災除けの御普
請場所あまたなりけれハ、村々に人歩を被仰付
るゝといへとも、飯焚・汁煮所もあらされは、川田
[御出張之御役人には(ママ)]八幡原[御出張之御役人には(ママ)]小松原[御出張御役人には(ママ)]。
此三ヶ所に御救御焚出しの仮会所俄に出来、
幕打張、鑓・三ッ道具を立並へ、大釜数多居へ
並へ、幼少老衰の無差別壱人につき三ッ宛大
握り飯をそ被下置。日々三度宛にして、
三ヶ所の御焚出し、白米の俵数積る事
(ママ)なりけるとかや。莫太の御救冥加至極
難有、後にも猶、御仁恵の程尊敬すへし。
○爰にまた善光寺は別して大災のよし被為
 
  (改頁)
 
聞召、斯大変の中といへとも、翌五日の朝四ッ時頃
御役人 御出張あり。松代 御領分にして善光寺
近隣なる所の村々へ被 仰付、当年御収納物の
義、此節善光寺へ差出すへき旨被仰付、是
をもつてまづ当座の御救御手充なし下し
置るゝ事 御意配らせられ給ハる事こそ
冥加至極、難有事ともなりけれ。尚其年の秋頃
より御拝借金善光寺よりの御願によりて御
許容あり。市町の家々願出るもの共へは、御貸
附金をそ成し玉ひける。
○御領分村々多しといへとも地・水・火の三災をまぬ
かれす、或は山抜崩れ、民家を押埋、田畑を損ふ
 
  (改頁)      30
 
事あげて数へかたし。御掛りの御役人かた御出張
ありて夫々御取調、御手当のありける事おほ
けれハ、なか/\筆紙につくしかたし。猶追々聞
伝ふる事とも後編まてに書入て後世に伝ふ
へし。
○山抜犀川の大河を止むる事、前代未聞の大
災とハいひなから 御城廓向も大破の夥しく、
殊更数日におよふといへとも地震鳴動止まさり
けれハ、恐多くも
殿様御儀、御城内桜の馬場に 
御出張ましまして、数日の間
御意を配らせられ給ふ。爰において重き御家
 
  (改頁)
 
臣を始め惣して御役掛りの面々、桜の馬場
左右に軒を連ねて仮役所を補理ひ、此上の急変
如何なれはとて万端此所において御用弁
御主君の守護厳重なりけるとそ。重き御方
々より下部に至るまて不残御焚出しをもつて
御賄被成下置るゝとそ。古今未曽有の御物入
中々言語に絶たりける。
○斯の如くの大河一滴の水をもらさず止まる事
已に廿日におよひぬれハ、此うへの大難を被為思
召事こそ理なれ。因て西条村開善寺へ[御祈願所]
 御立退の御用意ありけるとかや[御用意而已ニテ御立退ハ未有]。
乍去御城より彼の岩倉山抜崩れし場所まては
 
   (改頁)      31
 
二里に近き事なけれハ譬急破の変化ありとも
御註進も不行届、かつハ人民流失をも遁るへき
ためにとて、御相図ののろしをそおほせつけられける。
○四月十三日昼八ッ時頃已に湛場はからすも
急破に及ひ、大河を止むる事二十日にして、増
りし水幅、所に寄ては二里・三里、またハ四五里
に近く、川上より湛場まてハ十里にあまりしとそ。
然るを暫時に急破して押出す事、所謂大
山の崩るゝか如く、伝聞に水の押来ると思ふもの
壱人もなし。浪にあらす瀬にあらす、其高き事
十丈有余にして、只真ッ黒く山の如く雲の如し。
左右の山々谷間岩石に打当り、あたりはじけ
 
  (改頁)
 
鳴動非類にして、幾千万の雷連なりて落る
か如く、水煙り虚空にはしけ登り、人皆魂を飛
はし仰天するのみなりとかや。理りなるへし。此時
の鳴動四・五里の間に響き渡りし事、是眼前
たり。爰において被仰付るゝ所の御相図辺り
に響き、雲をつらぬきて大空にばつと開
く。此時 御主君の御一大事を存る旨の御
家臣 御立退の 御用意言上す。暫時忽然と
しておわしまし、御意ありけるは、領分の
百姓・町人は如何したるそと、御尋ありけるとそ。
並居る御家臣の方々頭を地に下けて
御仁徳を奉仰しとそ。実に下賤の者ともに
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      33
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      35
 
おいておや。後世に及ふとも、君父の恩沢を
亡失せは必天道の責あらん。おそるへし。
○爰に賢く勇と仁慈を兼たるは、高井郡
六川よりの御出張なり。[越後国椎谷之御領主堀出雲守様、六川者是則出張陣屋ニシテ時之御代官寺嶋善兵衛] 
二十四日の夜大災発し犀川の大河を止むる事、安
否もいまたさたかならさる所に、廿五日の朝はやくも
問御所村に出張ありて、村の長たるものに仰せて
人夫を集め出させ、自ら頭を取りて類焼を防
き、已に炎々と燃来る所に出向ひ、東には中沢堰
あり、西には大丈夫の蔵あり、是究竟の塲所な
れハ、此所におゐて防止むる事なくハ、類焼を
遁るへからすとて、自ら下知して欠廻り/\、中沢
 
  (改頁)
 
堰の端なる所の家の柱を切倒し、西側は是松
代御領西後町なれとも、是迚も居合せたる者に
下知を伝へて終に此処に至りて焼亡の患を
そ防止められける。可敬、此勇なくは人心痛く
労るゝかうへに斯なれは、防事能わすして、
此うへの大火にも可及や。一両日過にし後
押潰したる家へは普請金御手当をそ
被下けるとなん。引続て其災難を取調
左之通り被下ける。
 壱軒前
一 金七両弐歩宛   悉潰れたる家へ被下
 同断
一 金五両宛     半潰之者へ被下
 壱人ニ付
一 金壱両宛     圧死人有之者へ為囘向料被下
 
  (改頁)      36
 
其外難渋のものへ金百疋以上金壱両まて被
下候由。此うへ差支の者は可申出旨被仰渡、
同村穀屋新兵衛義、身元且は心掛もよろしく
候ニつき、当分の間百文につき白米壱舛売可
心掛旨仰付けられ、此大変にて市町焼失
ひ、日々飯米に狼狽たる事貴賤おしなへて
同意なりしを、全此売捌によりて満足した
る事仁とや言へし、慈悲とや云へし。
後代に至るとも其賢と恩沢を貴み敬
へし。
  尚其余の恵恩を尋て後巻に出すへし。
○中之条・中野御支配所、松本・上田・同御
 
  (改頁)
 
分家、椎谷・飯山善光寺右御領分、
御救御手当の広太にして冥加至極難有。
松本・上田御領主様において往来の旅人
へ御救の難有事とも御代官様かた 御領主
様方 御意痛めさせ給ふ事とも、前後軽
重あるをもつて後巻に譲るにはかつてあら
されとも、此書を記す事の大概は二十四日大災
を発するより四月十三日犀川洪水まての
手続を順にせんか為なり。其由いかんとなれは、身
不肖にして地震後世俗語の種と題す。唯子孫
のために譲る事を元とす。依て他見を深く
耻るものなり。子孫寄集りて見安き事を欲
 
  (改頁)      37
 
するか侭に、水災まての拙き画図を爰に順に
す。乍去隠れたるより顕るゝはなしといふこと
むへなる哉。若子孫後年におよひて来客
の慰に備へん事もいかゝなれとハ思ひなからも、亦
不肖にして其由詳に遂る事不能、されは後
代に至る時は必 御領主様方の 御仁徳を尊
敬するの基也。よつて篤と伝へ聞て、莫大冥加
なる子細を全して後編に出すの心願也。
御仁徳の凡は今爰に伝聞たりといへとも、尚
尋求て後巻に詳にするなれハ、後代に其前
末を論する事なかれ
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      39
  (改頁)
 
ある朋友の集りて後殺風景の噺に、善光寺
三国伝来の尊像、人崇めて仏都といふか中にも、
常念仏の親珠廻りて、六万五千日の数を積る
此春、おそろしき大災、諸人命を失ふ。就中一山
世尊院の本尊釈迦牟尼如来、仏身紫金に
して爾も北越今町の続、善光寺浜出現まし/\
て、殊に霊験あらたなり。
前立本尊日本廻国の刻、此釈尊の御輿渡船
の辺りに至りて重く成給ふ事只ことならすと。因
て御本院御内仏にまします釈尊代りて
御巡国なりしとかや。然るを今大災発して
一山焼亡の時、勿躰なくも仏尊少しくとろけ流
 
  (改頁)      40
 
れり。その外秘作の仏菩薩一時の灰となり
給ふ事仏法衰ひたりといふ。答て云、惑ふべか
らす。仏身とろけ給ひ焼亡し玉ふ事こそ、正法
に不思議なきしるしなれ。いつの頃にありけるや、
御江戸神田明神の神職、恐多くも寺社御奉
行所に願書を奉る、其子細ハ、神前において
湯の花の祈祷勤行仕度の旨を申上るに聞
召させられて、湯の花の祈念如何の利益ありやと 
御尋のありけれは、慎て左右を不顧別して変り
たる利生ハ承り伝へす、昔よりして是を執行よし
を言上す。則御許容をそ仰出されけるとかや。
程経て後山王の神職是も湯の花の願書
 
  (改頁)
 
捧奉る。時の御奉行所被為聞召て、時に利益
の有無 御尋のありける所に、両手を胸に当、慎
て其利益の広太無辺なる事をさハやかに言
上す。是御免なくして空敷下りぬと言ひ伝ふ。
爰をもつて正法に不思議なき事尊ふ
とけれ。真実生如来と称すべきハ、当歳より
二三才の小児をいふへし。己が心の信実をう
つす時は鰯の頭よりも光明を放つなるへし
など、物知り顔の論語しらすにしはしは憂
を凌ける。爰に不思義とするハ、斯大変の後、
御本仏をはしめ奉り、前立本尊・御印文、堀切
道の[従御本堂丑寅ニ当リ畑ノ中ニ御仮小屋建ル]かたハらに三月廿五日より
 
  (改頁)      41
 
四月十六日まて安置奉る[其画図ヲ不出ハ此所ニ其印ヲ可為残。依テ後代尚不尽ナルヘシ]所に
遠近諸国参詣の旅人引もきらす爰に群集す。
此道すからにさま/\の見せ店を仮にまうけ
利潤たるも多かりけるとかや。案にたかハぬ繁昌
は実にありかたき御仏なりけり。
○御宝物 御類焼 本願上人様
 御回向中霊宝拝見有之ハ悉皆取揃ひてそ有ける。
 しかるを大地震発するや否、即時に御院内類焼し
 たるなれハ、焼亡の有無はしらすといへとも可察。旧地
 霊場幾莫の宝物ならん。可哀可悋。
○二王門 炎上
○二王尊
 
  (改頁)
 
  高野山木喰上人の寄附にして其作稀なり。
○木喰上人の書翰
  二王尊寄附の砌、妻戸の内甚妙坊へ是を添て
  送らるゝ、此書簡表装して什物とす。是皆大
  火のために灰となるとかや。
○大黒・毘沙門両天
  其作はしらされとも迦羅像にして爾も古物
  なり。是一時の灰となる。
○閻魔王像
  法然堂町の閻魔堂にあり。世に此像を祭り正
  七十六日老若男女群参する事其類ひ鄙
  山里といへとも数多し。今此王像の妙作なる事ハ
 
  (改頁)      42
 
  その類にあら(ママ)、是則小野の篁の作なりといひ伝ふ。
  是亦可悋灰となりぬ。
○法然上人の像
  同所正信坊にあり。上人自作にして爰に残さる。
  よりてこの町を法然堂町といふ。
○笹の葉の名号
  此一軸は中衆の一老堂照坊にあり。親鸞上人
  此坊に逗留して百日々参の満願に、笹の葉の形
  に六字の名号染筆したまひて爰に残さるゝ
  所の宝物なり。
○釈迦如来
  衆徒之内釈迦堂の本尊、世尊院にあり。越後国
 
  (改頁)
 
  の浜辺今町の西にあたる所の海中出現の仏
  尊、しかも紫金なり。因縁によりて今も猶
  光寺
浜といひ、亦善光寺村よりして善光寺へ塩
  を進献する事今も猶中絶する事なしとかや。
○大日如来
  大日堂、衆徒常智院の本尊
○聖徳太子、四天王
  太子堂、衆徒福生院の本尊
○曼陀羅
  曼陀羅堂、衆徒尊勝院の什物、日本に二幅
  なりといふ。当磨の曼陀羅は蓮の糸をもつて中
  将姫これを織。今此曼陀羅は非典子の真画
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      44
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      46
 
以て結構するとかや。
○薬師如来
  薬師堂、衆徒最勝院の本尊、播州須磨の
  浦海中出現にして仏尊石像なりといへとも
  其名作世に類なし。疑ふらくは日の本の作に
  有へからすと云云。
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      48
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      50
 
これ等の類ひは、今思ひ出づるまゝにて其
事不詳も、爰に加へて是を悋むといへとも其外
一山 光明院・世尊院・宝勝院・円乗院・常徳院・薬王院・最勝院・
   徳寿院・本覚院・良性院・威徳院・常住院・蓮花院・尊勝院・
   教授院・吉祥院・福生院・宝林院・常智院・長養院・玉照院
   以上廿一坊 
   堂照坊・堂明坊・兄部坊・白蓮坊・正智坊・渕之坊・常円坊・
   行蓮坊・向仏坊・徳行坊・鏡善坊・正信坊・野村坊・浄願坊・
   随行坊 以上十五坊 
   玄証坊・善行坊・寿量坊・林泉坊・称名坊・甚明坊・正定坊・
   蓮池坊・常行坊・遍照坊 以上十坊
衆徒・中衆・妻戸一時に焼亡したれハ、名たゝる所の
 
  (改頁)
 
霊仏・重宝の類ひ灰となる事数多なるへし。
可哀歎くへし。尚尋ねて四五の巻に委鋪出すべし。
○左に出す図は、去る天保十四辛夘孟春九日より
如月の初つころまて酉戌の方より辰巳の方に向ひ旗雲
の如き気を発すといへとも、日輪の光に押へられてその
形をわかたす、見る人もまた稀なり。きさらきはしめ
二日の暮頃よりして其気を発すゆゑに、諸人
是を見て奇異の思ひをなす、日々刻限少し
宛遅く地より一覧する所のその幅凡六尺、其丈
極りなくして、辰巳に向ひ行事数十里、行先
明かならす次第に薄くなりて弥生十三夜ころに
至りて自然と其形を失ふ。その有様図の如し。
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      52
 
弘化四丁未卯月の
二十八日暁天晴渡り、
終日風なし。日の出より
して日輪紅の如く
にして常より光
りも薄し。斯大災
のうへなれは、諸人
驚怖して礼拝す。
翌る日に至りて亦
常の如し。
 
  (改頁)
  (改頁)      53
 
○爰に不思議とするは、この信濃国の所謂山国
なる事ハ遠く境を隔る人なりとも是を知らさ
るはなし。されバ大地震の大災はありとも、山国に
して洪水の難の斯大変なりとハ、惑ひうたかひの
あるも理なり。今思ふ時は犀川筋に連なる所
の村々民百姓にありとも、年経て後子々孫々
の世に至りなは、昔し大地震発して此大河
し、其時に此辺りまて満水流失の難ありし
とかや、我が祖父母長命にしてその患をしられ
たりなとゝいひ伝ふるのみにて、尚年を累し後に
至りてハ、昔し人の言ならハしなるへし。譬ひい
かなる大変なりとも、幾数十丈の水の嵩りてや
 
  (改頁)
 
高き此所において水災の患あるべしや、疑ハしき
事にそありけるなど怪み言伝ふへし。今
丁未三月廿四日の夜亥の刻陰陽昇降の変
化をもつて、即時に此大河をとゝめて一滴の水を
漏らさすして、四月十三日午の刻を過、その日を
積る事已に二十日といへとも、眼たゝく間も湛る
にひまなし。大河を爰に止むる事幾許そ。その
無量なる事後世猶おそるへし。已に二十
日に及で渺々茫々たる事、湖水にして諸人眼
を驚かすはかりなり。其広き事山中といへとも
亦たくひなくして、村数殊に夥しけれは、爰に略
すといへとも、信濃の国絵図明細村名帳を所持
 
  (改頁)      54
 
してあれは、是を見て其広き事を知へし。
斯水災の大難を受け、家・蔵満面の水に漂ひ、
水屑に沈み、耕地を押流し山抜崩れて土中に
埋み、譬は念仏寺村臥雲院の如き、山抜おし
出して一寺土中に埋みなから火事となり、日を
追ひて掘出して見るに其侭炭灰とハなりぬ。
また下祖山村白心菴の如き、岩石抜崩れて地
中に埋むといへとも住僧は素より一宇何れに
埋みしや其形の有所をしらす。吉村の裏山抜
崩れ泥水いつくよりか山の如く吹出し、一村の
民家悉く地中に埋み、二十日三十日乃至程隔
りて尚追々に人民・牛馬を掘出したるなと、なほ
 
  (改頁)
 
その類ひ多しといへとも爰に省畧す。[其詳カナル事ヲ尋得テ爰ニ
書加フル事ヲ思所ニ煩ニ脳ミテ不任心ニアリケル所ニ、幸ナリケルハ地震ノ絵図出板アリ。是ヲ調得テ一見スルニ、予カ如キ無学ノ作ス所ニ非ス。折節眼病ニ痛ク悩ミテアリケレハ
此絵図ニ力ヲ得テ、幸ニ水災ノ図画ヲ爰ニ省畧ス。我劣リテ其文愚ナリト言トモ、此絵図バカリヲ以テ後世ニ伝フル時ハ、悲歎之情合薄キ事モアランカ。因テ絵図ト此書ト共ニ
セハ是後代之伝ニ可成歟。然ニオキテハ爰ニ筆ヲ止テ短カク小児之見安キニス。其詳ナル子細ヲ爰ニ書加ル時ハ文面長キニ至リテ見安カラズ。依テ子細ヲ次ニ譲ル也。]
尚後編四五の巻に出す所を見て知るへし。
○爰にまた川中嶋をはしめとし、川辺に連なる所
の民百姓は最寄の山々に小屋かけて仮居し、今
にや水の押来り我家の流失する事そと願ハぬ
事を待わひつゝも日を重ね、うきかんなんに身を
やつし、哀み患ふる事已に二十日のけふに至
り、山鳴響き渡り、天地くつがへるかと怪む所に、
湛場はからすも破却して、洪水押出すと聞伝
 
  (改頁)      55
 
ふる程もなく、申の刻頃小市に押出す。其有様
山また山を重ねし如く、只何となく真黒く水
煙りともいふへきか、あたりに散り乱れて朧夜の
如く、其強勢をこわ/\なから見てあるに、丹波
嶋まて[小市ヨリ一里川下モ]山の如くの大浪三ッにして押行けると
かや。其程もなく北は小市村を一ト破りにして
此村の民家・耕地等悉押流し、久保寺村・九反村・
荒木村等の耕地湖水の如く、其水勢荒木村吹上
の間を瀬筋に押行、市村・新田川合村の作塲
を押荒し、犀川と煤花川と是皆合して一
面の満水となり、南ハ小松原村・四ッ屋村辺の堤を
押破りて此の二夕村流損夥敷、川中嶋一円数
 
  (改頁)
 
多の村々不残水中に浮むか如く、眼たゝく間に
満面の嵩水湖水の如く大海に似たり。其有様を
見るに諸人たゞばうぜんとして驚もせす恐れ
もせす、夢ともなくうつゝともなく、我身を捻りて
痛さを知り、いまた命は有けるかと怪まぬも
のなかりけるとかや。家・蔵の流れ行事嵐に
吹散る秋の木の葉の流るゝかことく、其数幾
千万といふ事をしらす。△まかなくに何を
種とて浮草の浪のうね/\生茂る、夫にハあら
ねと、有とあらゆる家財の品々、或は浮み或ハ沈
み、千鳥の浪を通ふにひとしく、爰にまた
目もあてられす恐しけなるハ、高瀬荒浪に
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      57
  (改頁)
  (改頁)      58
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      60
 
して、黒く濁れる水の面を親をいだき子を抱
て、流れ行屋根にすがり付き、呼ともさけへとも
助け救ふ事不能。然るか中にも流れ行なか
らにして火事となり、屋根のうへにて狼狽出
し、狂気の如く歎きかなしみ、経廻り/\なき
叫へと、見渡せは漫々たる大海の如し。川風
烈しくして火を防事あたはす、終にはか
なく成けるもの、其数幾多かしらねとも、沖の江の
浪に魚火を見るか如く、そこかしこに見ゆる
事、譬ふるにものなし。是そ地水火の三
災一時の大難は、譬如何なる前業なりとも、
あるにもあられぬ事なりけれハ、勧念せよ。後世
 
  (改頁)
 
此書を見る人、黄金珠玉は只一世の財宝、栄
花栄耀は更非仏道の資に。可恐未来
世の助成なる事を。深く嗜み行ふ事こそ
肝要なれ。
 
  (改頁)      61
 
  (改頁)
 
 五月十六日暁六ッ時御供揃、正五ッ時御行列堀
 切道御仮小屋より万善堂御仮堂へ御引移り、
 諸人夥敷群集して敬拝す。
 
  (改頁)      62
  (改頁)
  (改頁)      63
  (改頁)
  (改頁)      64
  (改頁)
  (改頁)      65
  (改頁)
 
丁未神無月十八日四ッ時御出輿
万善堂御仮屋より
如来御遷座
参詣群集之図
右同日日の出結構にて快晴。
四ッ時頃より少々
曇ると可知。
       ○日記より出之。
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      67
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      69
 
当日諸方より奉納物夥鋪、亦参詣の諸人
群集なす事百有余歳の齢を経ぬる老人
も覚て是程の賑しき事未た見聞する事
なしといへり。斯大災の後斯なりけるは実に
莫大の霊塲可仰尊むへし。
  御行列の次第遠く拝するに左の如し。
 
  (改頁)
  (改頁)      70
 
十月十八日午の刻御遷座相済、御法事御開帳
諸人押合へし合参詣する事古今未曽有の
群集なりけり。
 
  (改頁)
  (改頁)      71
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      72
 
犀川の平水と村山村の高低を見競図畧
 此図を爰に出すハ、去ル夏の頃、此邑なる荒
 神堂に参詣するに、堂の裏なる少しく高
 き所に、二丈有余の松の立木あり。此先にちり
 あくたの夥敷かゝりてありけるゆゑに、是を怪みて
 問ける所に、満水の節、水の為に斯なりけるといふ。
   かたもなき有様目を驚し、舌を巻けるか 
 侭に、□印つけて置たれハ、此所迄高水したる
 事を後世に伝ん事を欲するまゝに爰に
 しるしぬ。
 
   折しも夏の事なりけれハ
 
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      74
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)
  (改頁)      76
 
 ○早乙女のみな休らふや子安堂
 ○心して束ねよ雨の早苗とり
 ○庵冷し苗代時の蓑を着て
     右     井 蛙
 
  (改頁)
 
○大地震発するより此かた、今洪水の大難に至
るまての手続を此処まて順にせんか為に、巨細
の事ともを省畧し、また己か身のうへの事
のみをしるせしに似たれとも、一国の大変な
れハ広太にして眼前に其子細綴る事
不能。因て後巻の趣を左に記す。
 
○後篇三の巻には
  地水火三災の町在山里村名、人民・牛馬死亡の
  数、耕地荒等、都ての変災、諸方御領分御取
  調有よし事ともを巨細にしるす。
   諸方御領主様御仁徳、御救のありかたき
  事ともを記す。
 
  (改頁)      77
 
○後編四の巻雑記の部
  大地震より此かた洪水におよひ猶聞伝ふる
  所の変災珎事等追々に書加へて紙数
  を増す。
○後編五の巻にハ、
  おのれ不肖たりといへとも、時にあたりて勤役
  してあれハ、御用にかゝハる所の書類・御訴・
  御届け等の事とも、又者竒特の事とも
  をしるして子孫にのこす。
○後編六の巻にハ、
  善光寺御山内の故事、市町の旧例、御堂御
  普請の巨細、近隣・在々の珎事を集めて写す。
 
  (改頁)
 
○後編七の巻には、
  信濃の国絵図をもつて町々・在々・山里・村名・
  分郷・高附・家数・人別等を記す。是大望広
  太にして己が愚昧の集る所にあらすといへとも、
  少しく其種をもとめてあれハ、集て成就なさ
  しめ、子孫に譲る事を欲す。
○尚残る所は地震書類入の袋、
○丁未より戊申ニ至る所の記録帳、
○地震大絵・洪水絵図、
  是等の品々子孫ニ至りてちらす事
               なかれ。
 
  (改頁)
  (改頁)      78
 
   こゝろ
     あらて
      何かハ折らむ  幸一(花押)
     姫百合の花のしづくに
         袖ぬらしつゝ