総選挙での戦い

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普選最初の総選挙は、昭和三年二月二十日行われた。本県二区の労農党公認候補は石渡春雄だが、本人が出馬を決心したのは選挙日一週間前たった。石渡は三十四歳、東京浅草出身で東大法学部時代に「新人会」のメンバーだった。卒業後検事を拝命、弘前区裁判所に大正十一年八月から約一年間勤務した。のち弁護士となり、労農党本部や日本農民組合の顧問弁護士を務めた。選挙事務局長は柴田久次郎で、言論戦一本槍だった。これは、既成政党の支配する本県選挙に清新な一線を画すものだったが、官憲の選挙干渉、弾圧も激しかった。
 二月十六日、藤崎町藤城館の政見発表演説会における弁士と演題は左のとおりで、聴衆は八〇〇人を数えた。
 △総ての人民に自由を与えよ 石渡春雄
 △地主政党を征伐せよ    武内完治(日労)
 △労働農民党の使命     大沢久明(労農)
 △民衆よ起て        相馬慶作(労農)
 △我等勝利しつつあり    松岡辰雄(労農)
 △民衆の敵を倒せ      石井東一(日労)
 一週間の集中的選挙運動はどこにおいても盛り上がりをみせ、石渡の得票二六八五票は、次点の前代議士たった菊池良一兼田秀雄に次ぐ最下位だが、南郡においては前年の県議選で泉武夫が得た四一三票を大きく上回る七八三票で、弘前市内から三〇四票、ほか津軽一円からまんべんなく票を得た。
 三・一五事件直後の四月十日労農党は解散を命ぜられた。しかし、早速に解散反対同盟が結成され、黒石・弘前・五所川原・青森・八戸で反対演説会が開かれた。そして新党結成の準備会が結成された。中央からは大山郁夫、細迫兼光らがやってきた。これに対して弘前警察署などは徹底的に弾圧し、大山をして弘前警察署は全国で最悪と言わしめた。
 新党準備会は、十月二十四、二十五日、東京に全国代表者会議を開いて各地の情勢報告、綱領や規約の審議を行い、結党大会の時期も論ぜられた。組織に自信のある本県代表大沢久明は、この代表者会議をそのまま結党式に移行せよと主張したが、同年十二月二十二日から三日間にわたって東京本所公会堂で開かれることになった。本県からは堀江彦蔵柴田久次郎ら六人が出席した。しかし、この全国大会も三日目に解散させられ、流れは合法的無産政党の結成をあきらめ、地下組織である共産党に接近する方向に向かった。

写真88 昭和3年12月の新労働農民党結成大会(矢印が堀江彦蔵

 翌四年三月四日、大阪で開かれた全国農民組合大会において、無産党代議士の山本宣治は「山宣ひとり孤塁を守る」の有名な演説を行い、翌日はすでに緊急勅令で成立していた治安維持法の強化(国体変革を企てる者に死刑)に衆議院で反対演説するのを封ぜられ、その夜、警察と組んだ右翼に襲われ、壮絶な最期を遂げた。一ヵ月後の四月六日、いわゆる四・一六事件が起き、大沢・堀江ら先鋭な闘士は根こそぎ検挙され、指導者を失った無産政党は分裂・対立し、既成政党に対抗する勢力に成長し得なかった。
 したがって、昭和五年一月、浜口内閣によって行われた第二回普選では、第一区は日本大衆党公認小島利雄、第二区は前回同様石渡春雄という弁護士の輸入候補を立てて戦ったが、小島候補一四一一票、石渡候補二九四七票で、石渡は前回を上回ること三〇〇票弱でしかなかった。
 第一回普通衆議院選挙結果(第二区)昭三・二・二〇
  ◇中津軽郡町村別得票
町村名清水和徳豊田堀越千年駒越岩木相馬東目
西目屋藤代新和大浦船沢高杉裾野
候補者(政党)
兼田秀雄(民政)926546284838401049803333876612718
工藤十三雄(政友)27830212614254471837717111014222598422041742375
鳴海文四郎(政友)2223194246986452111764612625627410592721432873
菊池良一(民政)345289112181481782821841681172595710924612582979
長内則昭(民政)23681715856351926231546582872062121215
石渡春雄(労農)7178272871913291211306634301737509

   ◇弘前市得票数  ◇各立候補者総得票数
兼田秀雄(民政)三九〇票当選鳴海文四郎(政元)一九九五〇票
工藤十三雄(政友)一四七〇〃工藤十三雄(政前)一四五八二〃
鳴海文四郎(政友)七一八〃長内則昭(民新)一〇二〇〇〃
菊池良一(民政)二〇二八〃次点菊池良一(民元)七七六八〃
長内則昭(民政)二五三〃兼田秀雄(民前)六二八八〃
石渡春雄(労農)三〇四〃石渡春雄(労農新)二六八五〃

 昭和三年(中弘地方)政党役員
  立憲政友会青森県支部の中弘関係者
△元老      黒石町 加藤宇兵衛  青森市 阿部政太郎

△支部長     黒石町 鳴海文四郎

△幹事長     青森市 梅村大

△顧問(中弘関係)高杉村 高杉金作  和徳村 笹森栄   弘前市 三上直吉

△相談役     弘前市 引田雄輔  同 石場清七  同 佐藤謙之進  同 今泉銀次郎  同 吉安俊策  同 杉見惣助

△常任幹事    高杉村 高杉隆治  弘前市 工藤五三郎

△幹事      高杉村 高杉隆治  豊田村 小山内徳進  大浦村 齋藤晋作  石川町 成田富太郎

         弘前市 工藤道生  同 坂本安蔵

△分所長     中津軽郡 大高喜八郎  弘前市 工藤道生

  立憲政友会青森県政友倶楽部(昭二、十二、十二 県政友会より脱退した旧政友本党系)
△会長      南郡六郷村 宇野勇作

△顧問      黒石町 加藤宇兵衛  青森市 阿部政太郎  黒石町 竹内清明  弘前市 石郷岡文吉  同 宮川久一郎  高杉村 高杉金作  東京 工藤十三雄  和徳村 笹森栄

△相談役     高杉村 高杉隆治  弘前市 大高喜八郎  同 福永忠助  同 小林剛  同 山形良太郎  同 前田久三郎

△評議員     清水村 成田勇作  大浦村 齋藤晋作  東目屋村 長谷川毅  清水村 成田清太郎  和徳村 佐藤多作  弘前市 佐藤昇一  同 近藤東助  同 鳴海定五郎  同 工藤福弥  同 桜田清芽  同 桜庭源三郎  同 伊藤孝太郎  同 今谷喜兵衛  同 三上新太郎  同 浅利武三郎

△幹事      高杉村 高杉平治

  立憲民政党青森県支部の中弘関係者
△支部長     野辺地町 野村治三郎

△顧問      東京市 兼田秀雄  神奈川県片瀬 菊池良一 大杉村 工藤善太郎

△相談役     和徳村 竹内寅次郎  弘前市 佐藤要一  高杉村 藤田重太郎

△常任幹事    千年村 松木純一郎

△幹事      弘前市 福山真兆  同 菊池他児  同 野村峯次郎  同 長尾富士麓

△政務調査会副会長  弘前市 福山真兆

△政務調査員   弘前市 工藤豊吉  同 土岐精一

△常務委員    弘前市 伊藤柾吉

△遊説副部長   千年村 松木純一郎

△遊説委員    弘前市 清藤清七  同 野村峯次郎

△評議員     弘前市 竹林孫右衛門  同 對馬貞勝  同 清藤清七  同 笹義幹

△分所長     中弘分所 弘前市 佐藤要一

  昭和五年一月第二回普選総選挙の無産政党執行部
労農党県連合会
 執行委員長 岩淵謙二郎(党中央本部執行委員を兼任)

 書記長   中浦秀蔵

 執行委員  藤山健吉野呂万太郎三上徳次郎柴田久次郎泉武夫、須々田哲三郎、加藤清作鳴海久一郎

 日本大衆党県連合会

  執行委員長 小島利雄

  書記長   西村菊次郎(党本部中央執行委員を兼任)

  各部長   関戸繁蔵泉山保志一戸兵蔵村元賢治林長三郎柴田義男、川口朝次郎

 社会民衆党県支部連合会(会長欠く)

  書記長   阿保与一

  執行委員  古木名真太郎、幸田儀一郎、竹島儀助松野敏夫川村隆信小田桐秋雄小笠原文弥