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札幌建築開始

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 函館で五稜郭の移築が進行している最中、札幌での本府建設は雪解けとともに開始された。今『開拓使事業報告』の土木の部に従って建物建築の様子を見てみよう(表6)。
表-6 明治4年の建築
起工月地 名建 物竣工月
2月札幌六番官邸24月
3胆振通町長屋24
東創成通仮庁4
4空知通少主典邸25
札幌付属長屋27
5東創成通本陣17
東創成通用度係詰所16
東創成通札幌病院病室6
札幌町長屋19
6札幌官邸28
札幌東京府貫属38
7東創成通本陣板倉17
東創成通本陣物置18
東創成通本陣人足溜場17
東創成通工作場営繕係詰所27
札幌蔵地板庫28
札幌蔵地板庫17
10東創成通用度係物置212
札幌官邸物置3012
11東創成通工作場氷室211
札幌牢屋詰所並湯殿012
開拓使事業報告』土木部家屋表より塀などの付属物を除いて作成。

 注目されるのは、二月の六番官邸二棟と四月の空知通の少主典邸二棟である。大きさは六番官邸二棟が合わせて五七・五坪(一棟当たり二八・七五坪)、少主典邸二棟は二八・八八二坪と二六・二五坪である。ほとんど同じ大きさである。六番邸の方は、大きさなどから後の創成通六号邸または雨竜通五、六号邸くらいと考えられるので、三年中の建物につらねて建築した。つまり三年までの建設事情を反映して建設されている。空知通の少主典邸は、後の空知通第一、二号邸と考えられるので、岩村による計画変更後に着工されたものではなかろうか(官宅については表8参照)。
 次いで三月仮庁の建設が始められる(北四東一)。四月には完成しているから一カ月ほどで作られたものである。平面図(写真4、札幌往復 道文三三五)からみると、官員の執務室らしい二六畳の部屋、その隣に長官または判官室になるらしい六畳の部屋、白洲の間、その前面に位置する砂利の間などを設置し、役所としての体裁を整えている。しかし開拓使仮庁舎の写真(明治四年、北大図 札幌歴史写真集―明治編―)をみると、その屋根は石置き屋根で、後の役宅などより大きいことから、やはり臨時の役所=仮庁として建設されたものであろう。

写真-4 仮庁平面図(札幌往復 道文335)

 また胆振通町長屋二棟とは『札幌区劃図』の現南二条西二丁目に並ぶ長屋二棟のことで、後に市会所の敷地になるところに建設されたものである。この北側には後にさらに長屋が二棟建設され、爾志裏通一番二番旧町長家(八年の官宅改称で渡島通裏仮官邸)と呼ばれる。
 さらに注目されるのは、建設地は不明であるが、東京府貫属邸三棟の建設である。開拓使は三年十一月屯田兵設置案を太政官に提出した。その具体案が東京府貫属の移住計画であった。しかし、いままではこの計画は東京府との交渉が整わず、中止したということになっている。この計画の中止の時期は『新北海道史』第三巻でも詳しくないため、不明である。しかし『開拓使事業報告』の日付を信じると次のようなことが推察できる。建築開始の六月の時点ではまだ計画通りであり、八月に三棟を建設終了した頃までに中止となった。したがって東京府貫属の移住計画の中止は、七月か八月頃と推定できる。またこの計画は、四年三月に仙台藩の陪臣らを開拓使貫属とした影響で東京府貫属開拓使貫属とできなくなったため中止された可能性もある。これらの工事のために、職人人夫や工事請負人などが各地から集められた。
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写真-5 官地と民地を隔てる門(現南1東1、北大図)