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施行地

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 一級町村制は内務省令第一九号(明33・5・19)をもって三十三年七月一日より、まず大野、上磯、福山、福島、江差の渡島地方五町村、寿都、岩内、余市、増毛、稚内の日本海沿岸五町村、伊達、室蘭、釧路、厚岸、根室の太平洋沿岸五町村、そして石狩地方内陸部唯一岩見沢の計一六町村に施行されたが、札幌区を取り巻く町村は一つも該当しなかった。ちなみにこれら町村の住民数をみると、福島村の二〇〇〇人台を特例として除外すれば、室蘭町の五一〇〇人が最少で、いずれも五〇〇〇人以上である。当時の札幌周辺の町村でこれに近いのは篠路村と白石村であったが、いずれも四〇〇〇人台であった。公民数に至っては、室蘭四五、厚岸六二、福島九一と一〇〇人に満たなかったが、最多の江差では四六六人を数えた。
 一、二級町村制以前の現札幌市域には、郡区町村編制法による、いわゆる戸長総代人制の村が札幌区を取り巻くように一七存在した(市史第二巻 六二四、七二一頁)。これらに北海道区制、一、二級町村制が実施される過程は表7のとおりである。すなわち、内務省令第七号(明35・3・13)により、四月一日より北海道二級町村制が施行となり、実施地が次のように指定された。合併した村は大字として存続する。人口は北海道庁告示一三七号によった。
  札幌村(旧来の札幌村、苗穂村、丘珠村、雁来村の区域) 人口四二五八人
  手稲村(旧来の下手稲村上手稲村山口村の区域)   人口三三九〇人
  豊平村(旧来の豊平村平岸村月寒村の区域)     人口七三七四人
  白石村(旧来の白石村上白石村の区域)        人口四九七七人

表-7 現札幌市域の区町村の変遷

 この時点で、屯田兵制に関わる用地を持つ村は施行の対象とならなかったが、屯田兵土地給与規則の廃止が明らかになったので、内務省令第一号(明39・2・22)をもって三十九年四月一日から、それらの村にも二級町村制が施行された。現札幌市域でこれの指定を受けたのは次の三村で、人口は北海道庁告示一四三号によった。
  篠路村(旧来の篠路村から篠路兵村を除く区域)        人口二八八二人
  琴似村(旧来の琴似村、発寒村、篠路村のうち篠路兵村の区域) 人口五一〇九人
  藻岩村(山鼻村円山村の区域)               人口四七九六人
 この両度の施行指定により、現札幌市域では郡区町村編制法による戸長総代人制の村は皆無になったが、北海道全域から消えるのは大正十二年のことである。その後、豊平村が次のような変遷をたどった。
  一級町村制の施行 明治四十年四月一日より(内務省告示第二六号 明40・3・12)
  村を町と改称 明治四十一年六月十二日より(北海道庁告示第三七五号 明41・6・12)
 これによって旧来の一七村が合併によって七村に減ったことになるが、内実は戸長役場の設置管轄区域をそのまま新しい村に組み替えたにすぎない。篠路村のうちから篠路兵村区域を琴似村に編入する境界変更は、たまたま二級町村制施行日にあわせたが、制度そのものに直接関係することではなかった。区と町村の境界変更は一章五節で述べた。
 北海道区制が札幌区に施行された明治三十二年十月一日から、市制に変わる大正十一年八月一日までを区制期と呼んだが、実態は現札幌市域に、郡区町村編制法による戸長総代人制と、これに類似する北海道二級町村制の村があり、また「町村制」よりの北海道一級町村制と北海道区制という四地方制度が入り混じって存在したのである。したがって区制期という呼び方は、こうした四制度を包括した時期区分の通称として使っている。