寺子屋師匠の日記「諸事日新録 沢和徳扣(ひかえ) 慶応四戊辰年六月朔日ヨリ」

その六 明治元年六月~十二月日記
   明治元年六月~十二月
 
  (改頁)      1
 
諸事日新録 沢和徳扣 慶応四戊辰年六月朔日ヨリ」同
所蔵
 
 
  (改頁)      2
 
(○上略)
 
当辰年初登山(とせん)子供祝儀
呉候覚
倉沢住よ 小野おりん
        ヤヨヒト改
宇治お鶴 小野おやえ
宇治秀之助 宇治二郎
宇治五作 宇治弁弥
遠藤寿市 飯沢沖二郎墨クレ
小沢次郎吉 小沢彦太郎
多市 野兼十郎
田中永弥 田中久吉
遠藤又三郎
先ニ墨筆くれ申候
後ニ又上田流卸し掛壱本呉申候
 
  (改頁)      3
 
(○中略)
 
六月二日 天キ 大暑 青雲白雲ニ而随分
てりつよく候
 
(○中略)
 
一子供下町より五人下雨沢より二人来り
習申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      4
 
(○中略)
 
一同三日 天気快晴 終日てり大暑也
表庭草取掃
除裏坪庭草取掃除いたし候
手習子供来素読教為習申候
 
(○中略)
 
六月四日 天キ青天 白雲過半
風有すゞし
 
(○中略)
 
一下町下雨沢子供手習ニ来り教
申候素読教手本認遣ス
 
(○中略)
 
同五日 少曇天 涼風吹 昼後雨ふり
暫ニ而止ム
 
(○中略)
 
  (改頁)      5
 
子供十弐人計来り習ひ申候
素読教申候
 
(○中略)
 
同六日 曇天 大ニ涼し
 
(○中略)
 
今日も子供十三人計来り習ひ教申候
 
(○中略)
 
六月七日 朝より曇 四ツ半時より雨天
陽気甚寒し
子供十四人計来素読教為習申候
手本認清書直等致シ雨天ニ付
其外無事
六月八日 晴天
今日は漸四ツ半時より暑気催
子供拾壱人計来り習申候
 
(○中略)
 
同九日 曇天 朝雨気 其内天気ニ成
すゞし 八ツ時雨ふり 夕日てり雨止
 
(○中略)
 
子供十三人計来手習素読教申候
木ノうら枝葉昼休ニ子供寄せ
自分新切畑そうやくいたし候
 
(○中略)
 
  (改頁)      6
 
(○中略)
 
六月十日 天気能 昼後曇
子供十三人計来習素読
自分裏ニ而朝仕事勤
 
(○中略)
 
六月十一日 天気少曇 夜中はれ
早朝裏畑蕎蒔付土きせ勤申候
子供今日は弐拾人余参り素読
教申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      7
 
(○中略)
 
 
六月十二日 昼迄曇天 昼後より夕陽
照輝
当日終日天キよし
 
(○中略)
 
子供昨日通り参素読等教へ
論語一為復申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      9
 
(○中略)
 
六月十五日 半晴 折々ふり
夕方雷鳴余程降 陽気いきれ
 
(○中略)
 
一本四冊  慶之介殿江
  かへし申候
尤曾我物かたり二冊
鬼神論一冊
同人作小本一冊也
 
(○中略)
 
  (改頁)      10
 
(○中略)
 
 六月十七日 曇天 昨夕方晴 夕焼致シ今日は
定而快晴ニ可有と悦候処不悟空合ニ而
漸四ツ時より晴九ツ時過迄上天気又々曇
自分裏新切畑下之内草取さくり置
今日下町下村下雨沢子供来手習い
たし候手本認遣ス
 
(○中略)
 
  (改頁)      11
 
(○中略)
 
六月十八日 快晴 漸今日夕立切
         終日天気よし
子供八人計来手習いたし候
 
(○中略)
 
六月十九日 快晴 土用明残暑
昼八ツ時雷鳴小雨
 
(○中略)
 
十三人計手習ニ来教申候
 
(○中略)
 
六月廿日 天キ快晴 昼八ツ時過
曇雷ノ気持
併夕日輝
子供拾六人計来習申候
 
(○中略)
 
今朝より諒之助殿素読ニ来り申候
一上筆壱本祝呉申候 遠藤寿市
 
  (改頁)      12
 
六月廿一日 快晴 暮方より夜中降
 
(○中略)
 
子供十七人計来習
素読無懈怠教申候
 
(○中略)
 
 六月廿二日 早朝より雨大降
  曇天 至昼時而止
子供十八人計来素読教手本
認遣ス
 
(○中略)
 
六月廿三日 雨天 大ニ涼し
子供如前日来り素読教申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      13
 
(○中略)
 
六月廿四日 天気快晴 穏而無風
今日天狗様御祭風祭り村中遊び
 
(○中略)
 
六月廿五日 朝曇 上天気ニ成
 
(○中略)
 
昼後天神様御山ニ而目出度祭礼
相済上町下町休戸子供参詣御神酒
御から子頂戴為致申候
 
(○中略)
 
六月廿六日 快晴 昼後少雨ふり
          一時計ニ而止
今日はい々沼二ノ祭ニ登り申候
下村お医者へ申入御酒被恵暫噺致
 
  (改頁)      14
 
暇乞候 辰之進へ清書筆遣す
 
(○中略)
 
 六月廿七日 快晴 昼八ツ時より曇
 
(○中略)
 
帰宅後
子供手本認清書抔直し申候
 
(○中略)
 
 六月廿八日 雨止曇天 昼後上天キ
 
  (改頁)      15
 
(○中略)
 
子供来り手習いたし素読教申候
 
(○中略)
 
 六月廿九日 天キ快晴上天気
今日は子供大勢来習手本認
遣ス
 
(○中略)
 
七月二日 朝より四ツ時迄大降 雨止曇
涼々布候
子供大勢来七夕手本不残へ認遣ス
 
  (改頁)      16
 
(○中略)
 
門人共江素読手本ノよみ教へ申候
 
(○中略)
 
 七月三日 快晴 天気よし
 
(○中略)
 
一子供大勢揃来七夕手本相習申候
 
(○中略)
 
自分今日は余程快気ニ而素読
教残之者江七夕手本認遣し申候
子供江七夕手本之よみ夫々教申候
 
(○中略)
 
七月四日 天キ快晴 終日よし
手習子供七夕前ニ而大勢揃来出情(精、以下同ジ)
相習 今日より来り候子供之手本認遣ス
よみ等教申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      17
 
(○中略)
 
 七月五日 天キ宜 兎角曇天
子供大勢揃来習申候素読
うら畑江所々菜蒔申候
亭主およしを連にれ沢畑そうやく
一今日義士伝伊達騒動記白永より
表紙附とぢ上り参り申候
一夕がほ壱本 小野常次郎
一蕎粉壱《タイ》 小沢彦太郎
一同壱斤   小沢佐市
昨五日分
一弐百文      新田 弥左衛門殿
  反古四拾四枚代取 使寿之介ニ遣ス
 
六日
一筆壱本ツ々遣ス 小沢次郎吉
         小沢彦太郎
右初登山祝儀
 七月六日 雨天  七夕清書皆々張揃申候
          跡常ノ手本認渡ス
           昼仕廻 宵節句
 七月七日
 終日雨天 昨夜大降 夕方より雨止不晴
一扇子壱対 宇治 五作 
一拾疋   宇治実之助
一拾疋   宇治 安市
一拾疋   小沢 継蔵
一拾疋   倉沢道太郎
一拾疋   同 鍬次郎
一拾疋   小野孫太郎
一拾疋   雨沢 祐吉
 
  (改頁)      18
 
一拾疋   小沢 保輔
一拾疋   小野おたか
      同 おりん
一四拾八銅  小野丑太郎
一同     小沢菊三郎
一出三拾弐文 かめや
  紙四枚代払七夕入用
一三貫六百文  北方山二久
  内津茶壱斤三百目入代払済
一拾疋    宇治鍛之助
一拾疋    同  標吉
節句前ニ手習ニ来候節束脩(そくしゅう:入学・入門の際に生徒が師匠に対して納めた金銭、飲食物のこと)有之候分
常次郎 彦太郎 中村佐市 類次郎
一田作一盆  今井諒之助
 寿市 兵次郎 長太郎 寿之介 茂吉
粉壱升余  沢長太郎
一四拾八銅   宇治 お鶴
一同断     くら沢住よ
一拾疋     倉沢 九助
一同      白鳥寿之介
一同      白鳥 茂吉
一同      赤羽文十郎
一同      赤羽喜代太郎
一同      遠藤徳十郎
一同 茸五本添 遠藤八百吉
一同      赤羽年十郎
〆三拾七人計参り申候 外無沙汰ニ候
 
(○中略)
 
  (改頁)      19
 
七月八日 天気朝より快晴
     白雲出時々曇り
子供来手本認遣ス 朝之間うら畑へ
出小仕事勤申候
 
(○中略)
 
七月九日 昨夜中大風雨 今朝も雨ふり
     四ツ時頃より漸空晴天気ニ成
昨夜より自分腹痛心悪敷(あしく)吐瀉等有之候
子供も今朝は僅少々来り習尤今朝
雨大ぶりの故歟
 
(○中略)
 
一孝子伝一
 其外三品書物返ス や慶之介殿
          使安市
 
(○中略)
 
 七月十日 快晴 残暑強
天気直り候ニ付田畑作物出穂宜く
相見へ難有奉存候 手習子供来り
元気よく習ひ申候
 
(○中略)
 
今井氏より京都之噂承り候処北野御
境内塔抔(など)宝輪塔共ニ已前通無事ニ
有之候由其外も是迄通替りたる義も無
之趣ニ而諏方之義ハ全社家達之業ニ而
 
  (改頁)      20
 
上方より贋役人ヲ連参り本地堂五重塔
下諏方観堂御仮屋三重塔等破却
致し掛塩尻宿御陣屋詰磅《ハク》隊
ニ被取巻其上及掛合夜中ニ京都へ逃登り
右ニ付諏方祝五官衆領主より御呵(おしか)り座
敷牢へ被入候由何共不埒(ふらち)之至ニ候
一越後官軍与之戦先達而長岡落城ニ付
官軍入替り長岡より先へ二十里程も進み
勢ひ能候処関東方又々大勢ニ而攻来戦争
官軍敗軍ニ而長岡城も関東方へ被取返
又二十里程被追戻当時官軍越後国
おじや辺江引取居東方勢強ク奥羽両
国一円ニ背キ候趣依之北陸道ヲ大軍ニ而
仁和寺宮様東将軍ニ而御進発尾州
よりも大勢中山道御下り被成候右ニ付御支配
飯田市岡健一郎様御足軽衆も越後江
被向先日昼過ニ当所御通行有之候
兎角世中大乱ニ而御座候本丹波様
御領分ニ而は六万石之御領分へ九万両之
軍用金御当テ被成候処御趣法ニ而名主
百姓代組頭役抔金子ニ而役人高百石ニ名主
壱人ツ々ニ御ふやし千石ニ拾大位之積ニ増
名主役弐百両組頭八十五両百姓代三十五両
庄屋も新規ニ願候者江千金之御用金出
させ御言付被成候趣ニ而領分中ニ而凡金
拾壱万両余も出来候噂有之候誠ニ乱世
之兆聚斂之取計此上世中如何あらん哉
前代未聞之事而已(のみ)只々あきれ申はかり也
 七月十一日 昼前少曇 昼より晴天 残暑
 上天気卜成 田方白花よく見へ申候
 先々五穀成就無疑難有コト也
 昨夜中くもり 夜明前所々星見へ申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      21
 
(○中略)
 
今日ハ子供女共ニ十七人参り習よみ物等
教手本認遣ス
 
(○中略)
 
七月十二日 快晴 残暑強
今日は子供い々沼下村下雨沢并女子供三人
右計来り習外子供盆前花取旁一切
不来
 
(○中略)
 
上田流筆
     おろしかけ壱本呉申候  友市郎
上田流上筆壱本ツ々       小野おりん
                 小野やよひ
右ハ学文始祝義今日漸遣申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      22
 
(以下画像なし)
 
(○中略)
 
七月十四日 朝曇 追々天気ニ成暑
      相催 七ツ時より又々曇雨降
 
(○中略)
 
吉島やニ而江戸より参り候新聞之書三冊
外ニ書付一枚借り帰り申候
 
(○中略)
 
  (改頁)
 
(○中略)
 
七月十八日 雨天
手習子供来素読等おしへ申候 江城日誌六巻今井氏へ返巻いたし候
使諒之介どの
 
(○中略)
 
(以上画像なし)
 
  (改頁)      24
 
(○中略)
 
七月十九日 朝曇 上天気 残暑
子供大勢来習申候
 
(○中略)
 
 七月廿日 晴天 残暑催
 
(○中略)
 
手習子供弐拾人計来習申候
素読おしへ申候昨日手習子供裏へ
出李を落し茄子ノ木を踏折不行
義ニ付今朝一同呵り能々申付候
 
(○中略)
 
  (改頁)      25
 
(○中略)
 
 七月廿一日 快晴
 
(○中略)
 
一中外新聞一    吉しまや
  小本二冊     喜右衛門殿へ
 江戸御触書壱通 〆返し申候
          使佐市
 七ツ時頃祭林寺へ御触書持参返脚(却、以下同じ)
 
(○中略)
 
 七月廿二日 朝秋冷 上天気
           昼ハ暑有
 
(○中略)
 
  (改頁)      26
 
(○中略)
 
子供大勢来昼より附居為習申候
手本認清書直し帰らせ申候
人参おろぬきいたし申候
 七月廿三日 朝やけ 曇天
亭主にれ沢へそうやくニ行勤
寺子共余程参習教江申候
素読不残夫々教申候
 
(○中略)
 
 変といふ変によき事
        なかりけり
 大変革て邦は大乱
 よりも国はみたれて
        西ひかし
 戦ひいとみあさましの世や
七月廿四日 快晴 日本晴也
今朝雰(きり)下り晴テ快晴 残暑相催
子供祭礼前歟八人来習申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      27
 
(○中略)
 
七月廿五日 曇天 追々天キ宜
子供遊
一弐百文  千とせや江払
 御神酒代
上ノ山天神様江参詣 祝殿様いなりさま
拝みかへり申候 子供三人 来神酒出ス
 
(○中略)
 
当時之人気
 すへてみな人気も高く
         米高く
 その外高くこ々ろいやしく
 
  (改頁)      28
 
上より下迄奢侈強く君臣父子
兄弟朋友之交薄情ニ次第ニ成
行姿仁義礼譲廉恥之心
逐日忘失只々利欲掠奪之
世界と成依之国乱不止一統苦
矣嗚呼危哉
 うへもよく下もよろしと治まるは
 もの々直すへて安くなる時
七月廿六日 夜明前より朝雰露ふかし
      快晴 朝之間秋冷
子供下町下雨沢下村少々来手本認遣ス
一清がみ壱状(帖、以下同ジ)半代 上町
 但シ壱帖分三百七十六文ツ々     亀屋店
 
(○中略)
 
七月廿七日 終日曇天 先ハ天キよし
今日御射山御祭亭主役人一同参詣
治右衛門ば々さ同断今日も来り申候
子供休日遊ひ申候
表障子四本中障子弐本張替申候
学文所障子弐本切張大戸口障子
切張いたし先ハ今日ハ休み申候
 
(○中略)
 
七月廿八日天キ昼後曇天
子供八九人来手習いたし候
 
  (改頁)      29
 
治右衛門ば々さ今日も来りまわたむき申候
予今日ハ障子切張いたし学文所
障子弐本反古ニ而張替申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      30
 
(○中略)
 
八月四日 漸天気ニ成 追々曇
            昼八ツ時より降
            無風
子供来手習いたし候
 
(○中略)
 
八月五日 天気半晴 時々降天キ不定
今日より彼岸ニ入子供来手習致し候
 
(○中略)
 
 
  (改頁)      31
 
(○中略)
 
子供江素読教手本認清書直シ遣ス
昼休ニ坂下権七ヘ一寸と参茶焼餅馳走ニ
成山屋へ寄慶之介殿へ先達而本とぢ
貰候礼ニ寄候処折節留主(守、以下同ジ)直ニ帰り
清書迄子供ニ付居教へ返し申候
 
(○中略)
 
八月六日 天気快晴 日清輝
今日より馬市始り会所万屋也
手習子供十五人計来習申候
 
(○中略)
 
八月七日 快晴
両社明神様江参詣仕候序ニ大出
くだりや江役之悦ニ一寸と寄御酒被恵
吉田やへ寄先達而之礼申述候尾立へも
留主見廻ニ寄清はたかみやへ立寄
紙代残八百文遣し代済申候尤内方へ相渡ス
立沢へも一寸と立寄帰りニ吉丸やいん居へ
寄相咄かへる夫より子供ニ附居教江
清書直手本等認遣ス
 
(○中略)
 
八月八日 快晴
 
(○中略)
 
  (改頁)      32
 
(○中略)
 
子供来手本認清書直し遣ス
押ノ富五郎殿来御酒出ス
八月九日 快晴 至而能晴
一亭主朝より々働申候
手習子供十九人計来習申候
 
(○中略)
 
八月十日 曇天ニ候処持直シ天気よし
子供来手本認遣し夫よりい々沼へ
登り申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      33
 
(○中略)
 
八月十一日 今日彼岸仕廻ニ成
曇天也雨気昨日より致シ候処持直シ
天気ニ成申候子供少々来下モ町ハ
草刈ニ而子供一切来不申候
 
(○中略)
 
一休戸善九郎殿久々他国ニ被居候処
此間帰国被致候而今日御入来被下候へ共
折節他出ニ而不掛御目候
一小絵本一冊       右御同人より
油壱壷宮笥(みやけ)被下候
八月十二日 雨天 陽気さむし
 大降 しめ/\と無風穏
子供大勢来手本認遣ス
 
(○中略)
 
八月十四日 天気よし
 
(○中略)
 
  (改頁)      34
 
(○中略)
 
一昨日今日ハ子供も少々ツ々習ひニ来
手本認清書直し返ス
 
(○中略)
 
八月十五日 曇 天気漸持コタエ
        夜ニ入ふり出ス
早朝北小野両社江参詣仕候帰りニ
大出源左衛門殿江申入真田三代記
六巻かり帰ル
 
(○中略)
 
八月十七日 終日雨
      昼八ツ時過より天気ニ成
子供来大勢参り申候 手本認
八月十八日 天気吉 乍去曇天
手習子供来素読教手本認
下町畳屋江頼みに行
 
(○中略)
 
  (改頁)      35
 
(○中略)
 
十四日十五日の月見に雨のふりけれは
待よひは朧なりともてらしけり
望の夜はふりいさよひは雲
むかしより名た々る望のこよひしも
つれなき雨に月をかくして
よりもいかなる事かいはひ日や
神の祭りに雨やふるらん
      のふりくる
世は乱れ人の道まて破るれは
往来のみちも流れ崩る々
もの々ふのいとみ戦ふ争ひに
若木の花をちらすはかなさ
 
(○中略)
 
八月十九日 天キ快晴
 
(○中略)
 
子供来素読教手本認遣し申侯
 
(○中略)
 
十九日
一弐朱遣シ       清ばた
   中折三状代払    かみや
   つり百五拾文取済
 
(○中略)
 
  (改頁)      36
 
八月廿日 曇天 夕方より天気持直し候
子供来教へ申候
 
(○中略)
 
八月廿一日 天気快晴
 
(○中略)
 
子供来素読教手本認遣ス
 
(○中略)
 
八月廿二日 終日曇天 夜中雨ふり
寺子共同断(どうだん:前のとおりであること)教申候
 
(○中略)
 
八月廿三日 朝天気ノ処四ツ時より雨降
亭主未明ニ橘屋彦次郎殿と一所ニ
本江買物ニ行申候
子供大勢参り手本認遣し申候
八月廿四日 曇 昼より天気よし
手習子供い々沼下雨沢の子供来り習
下町子供ハ不参ニ而一両人来
 
(○中略)
 
  (改頁)      37
 
(○中略)
 
八月廿六日 雨天
手習子供来手習いたし素読
畳屋来り申候
 
(○中略)
 
八月卅日 昼前雨天 昼後天気ニ成
雨天にて何も不致真田三代記写し申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      38
 
(○中略)
 
九月四日 陽キ寒し 北風吹終日寒し
少々写物いたし気分悪敷臥り申候
 
(○中略)
 
九月五日 大霜 天気よし
 
(○中略)
 
一真田三代記今日迄ニ三篇三巻写シ
仕廻申候
 
(○中略)
 
九月七日 天気 陽気暖 昼後曇天
今日も三代記四巻目写しとぢ申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      39
 
(○中略)
 
一問屋隠居所々より金を取酒株世話
いたし元方を不相済一件尻か参り
昨日飯田より問屋江御召状参り候由
此上如何成候哉右之段一寸と脇ニ而
承り申候
何事もよき種ハ蒔かよし時に
儲りても悪き種ハ決而蒔ぬか
よし善悪共ニ早きか遅きか
必生来る也恐るへし慎むへし
九月八日 天キよし
一中折三状 壱状代弐匁六分ツ々
内壱朱卜三百文遣し置
北方玉屋店
 
(○中略)
 
九月十二日 曇天 朝昼後雨天
一真田三代記二編ノ内写し物いたし候
折々不快故何も致し不申休息
九月十三日 大快晴 陽気暖か也
一百文 床バ
 
  (改頁)      40
 
預ケ一ツ刺申候
朝より三代記写し申候 気分今日は大ニ宜シ
 
(○中略)
 
同十八日 曇天
 
(○中略)
 
九月十三夜祝節句共ニ扣
一弐百文    宇治二郎
一百文     飯沢沖二郎
  いなご少々添
一弐百文    倉沢道太郎
        同 二郎
 十三夜餅壱重 同人
一拾疋    小沢 保助
一拾疋    小沢 継蔵
一餅壱重   小野孫太郎
一同     小沢菊三郎
一同     萩原 佐市
一大升形   沢奥太郎
   そば粉壱斤添
一餅大升形  中村類次郎
一餅壱重   坂下権七郎内
一同     つたや
一同     山屋
一同     こくや
一同     辰巳や
一同     ぬのや
一同    新田 富田忠太郎
一拾疋    宇治実之助
 
  (改頁)      41
 
(○中略)
 
九月廿日 天気よし 昼後曇り
自分朝より真田三代記写し物いたし候
 
(○中略)
 
 九月廿一日 天気快晴 陽気暖
 
(○中略)
 
一祭林寺へ登山神文書御返し申候
徳川家御文写一古諺抄一冊同寺
和尚様へ御かし申候而暫ク遊ひ帰宅
 
(○中略)
 
  (改頁)      42
 
(○中略)
 
九月廿五日 天気快晴
一真田三代実記三篇六巻今朝迄ニ
写し仕廻申候
 
(○中略)
 
九月廿六日 天気
今日は拙不快偶然と遊ひ申候
祭林寺より徳川家御文写返り申侯
 
  (改頁)      43
 
九月廿七日 曇天
今日も説苑読遊暮申侯
 
(○中略)
 
九月廿八日 昨夜初雪余程降 今朝より
霙(みぞれ)ニ相成跡雨ニ成 昼後雨止 終日曇天
 
(○中略)
 
菊月(旧暦9月のこと)二十日あまり八日の朝初雪の
ふりけるを見て
散り残る紅葉もあるを白/\と
冬を知らせし今朝の初雪

冬来しといそきて
雪はしらせけり
九月廿九日 昨夜中風つよし
天キよし 風吹寒し
 
(○中略)
 
当月も神仏之以御加護家内
無難無病ニ送仕誠以難有
次第目出度珍重ニ候 敬白
 
  (改頁)      44
 
(○中略)
 
真言の秘密もうせて還俗し
寺も散乱人も散乱
此頃は都も近く成にけり
復古にさはく坊主神主
九月廿九日夜九ツ半時過横川木曾
火事十六軒焼失之由 気之毒也
十月朔日 雨天 昼迄雪風吹
        北風強寒し
 
(○中略)
 
  (改頁)      45
 
神仏聖の教へありてこそ
世は安らけき物とこそしる
偏よりし事は危うき元そかし
おのれはかりて
  くらされぬ世そ
白米壱合八拾壱文ニ当ル壱分ニ三升弐合ノわり
□□□
変化は天地之道也不知変化は難世立
作菜園知私才之過真也
欲能其生加糞還而傷其
勢唯始能地待《シ》或蒔
或植必法而後有任自然
戦ひや火病ひによりも
 老も若きもうせてかなしき
□□□
 
  (改頁)      46
 
 十月二日 快晴
 
(○中略)
 
一昨朔日より手習子供来り初メ
手習けいこいたし素読教申候
今日大根あらひいたし申候
十月三日 クモリ
 
(○中略)
 
手習子供来り素読教手本
認清書直し返ス
 
(○中略)
 
十月四日 曇天 昼後雨 夜中ふり
手習子供大勢来教如前例
 
(○中略)
 
十月五日 快晴 暖也
子供大勢来教方如前日
 
(○中略)
 
  (改頁)      47
 
十月六日 天気
子供教方如前日
下町子供昼後祭り遊
 
(○中略)
 
十月八日 快晴 夕方曇り少雨 夜晴
子供来素読教手習出情為致申候
 
(○中略)
 
十月九日 天気快晴 上天気暖
子供大勢来不残教素読
 
(○中略)
 
一吉丸や国二郎素読復シニ来り
大学中庸孝経復し遣ス
 
(○中略)
 
一托慶印ニ横川矢島氏江御取糺候
へ共説苑ハ屹度断り有之候由然は
近日ニ返巻可申候
一岡田ニ右之説苑売り有之候様子故
慶之介殿へ是亦頼置申候
十月十日 天気曇 雪あれ
山ノ神御祭りニ而子供休日也
十月十一日 半晴半あれ 曇天寒
一子供大勢来素読不残教へ
手本認清書直し遣ス
 
(○中略)
 
  (改頁)      48
 
(○中略)
 
十月十一日
一筆壱本ツ々 田中文吉
祝呉申候   田中永弥
十月十二日 大霜 寒冷 快晴
大勢子供来教方如前例
 
(○中略)
 
十月十三日 天気よし 夜分雪あれ
子供揃来教方如前例
 
(○中略)
 
十月十四日 天気よし 寒し
 
(○中略)
 
子供大勢来り教方如前日
 
(○中略)
 
十月十五日 快晴 今朝大霜
子供素読厳ニ教へ為習
申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      49
 
(○中略)
 
十月十六日    町屋しき
一弐朱       みよしや
 中折五状代かり 勘定払済
同十八日朝
一七拾弐文    かめや店
 細筆壱本代
 
  (改頁)      51
 
(○中略)
 
十月十六日 天気よし
 
(○中略)
 
子供如前日大勢来り教申候
十月十七日 曇天 小雨ふり
子供来素読教手本認遣ス
 
(○中略)
 
十月十八日 快晴 陽気暖
 
(○中略)
 
  (改頁)      52
 
子供揃来素読教方如前日
 
(○中略)
 
同十九日 天気 同廿日 曇 雪あれ
子供来教申候
 
(○中略)
 
同廿三日 天キ 陽気暖毎日子供来
出情教申候
 
(○中略)
 
廿五日 曇天
手習子供休み申候
廿六日 晴天子供手習出情
 
(○中略)
 
廿七日 天気よし子供同断
 
  (改頁)      53
 
(○中略)
 
晦日 天キ
子供大勢来素読手習出情いたし候
 
(○中略)
 
十一月朔日 天気快晴
子供大勢来素読教無油断
為習申候
 
(○中略)
 
十一月二日 天気よし
子供同断 諒之介素読ニ来ル
同三日 快晴
子供同断手本認
一七百文
 上筆弐対半代払 奈良商人
 
(○中略)
 
跡月卅日分
一三百文遣シ
五拾六文取 奈良筆や
 細筆四本代払
一弐百文入 反古代うり
 
(○中略)
 
霜月四日 天キ 寒冷也
 
  (改頁)      54
 
子供大勢来素読教出情申候
 
(○中略)
 
霜月五日 天気よし
亭主畑へ終日小弁(便)かけ申候
子供大勢来教方無油断教申候
 
(○中略)
 
霜月六日 快晴
一かき沢山 小野岩吉殿
素読ニ来宮笥
子供大勢来教方如前日
番附漸出来今日張出申候
但先月分
 
(○中略)
 
  (改頁)      55
 
(○中略)
 
霜月七日 快晴 寒冷
子供大勢揃来素読亭主朝
より昼迄不残教拙手本認遣ス
 
(○中略)
 
  (改頁)      56
 
(○中略)
 
同九日 天気よし
子供大勢来無懈怠教へ申候
 
(○中略)
 
同十日 快晴
子供大勢来素読不残へ教江
無懈怠為習申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      57
 
(○中略)
 
十一月十一日 天気
一夫せん(夫銭:授業料のこと)
 百文ツ々  友市
  類次郎  彦市
  実之助  又三郎
  おつる  徳十郎
  五作   寿市
  丑太郎  佐市
 安市    八百吉
  祐吉   年重
  長太郎  茂吉
  孫太郎  喜代太郎
  喜十郎  寿之介
  継蔵   文十郎
  九助   千代
  秀之介  おかつ
      下町
  弁弥   佐市
  菊三郎  沖二郎
  おりん  二郎
  おたか  兵次郎
  八重ゐ  常二郎
  玉之輔  永弥
  周弥   久吉
 中村  
  彦太郎
 
  (改頁)      58
 
  政太郎 中村
       佐市
  甫助   数弥
  〆四十六人持来申候
 山口
  田市   兼十郎
  治郎吉  徳太郎
  道太郎  常太郎
  二郎  儀十郎
 倉沢すみよ 角蔵
  鍛之助  忠太郎
  〆五拾八人済
 
(○中略)
 
  (改頁)      59
 
(○中略)
 
十一月十三日 曇天 風強し
酒屋喜十郎素読今朝より
始而来
一法事の   駒沢
 餅おもり沢山  岩吉殿
今朝より又素読ニ来り申候
子供大勢揃来習ひ申候
霜月十四日 寒風 終日大雪積一尺計
 
(○中略)
 
子供来素読不残教無油断
為習申候
 
(○中略)
 
霜月十五日 天気よし
少々子供来 遠方并下町子供
遊ひ来り不申候
 
  (改頁)      60
 
(○中略)
 
霜月十六日 曇天 昼後雪降
毎日子供□来教申候
一三体詩三巻 かし 向諒之助殿
 霜月十七日 天気 雪あれ夕方ニ
日々腹痛教方甚苦労いたし候 休戸
一真田三代記弐編五巻 かし  閑居へ
 
(○中略)
 
霜月十九日 快晴 寒気強
一餅五切 下町祐吉
子供大勢来□□ 初登山子供ハ
跡習為相始申候 今日も終日
腹痛にて甚難義いたし候
 
(○中略)
 
  (改頁)      62
 
霜月廿二日 天気吉
子供揃来手習素読出情教
手本認清書直しニ而鬧(さわが)し
 
(○中略)
 
霜月廿三日 快晴
子供毎日従早朝来り出情相習申候
 
(○中略)
 
霜月廿四日 昼後より雨降
子供来教素読出情教申候
 
(○中略)
 
霜月廿五日 快晴 子供無休習
 
(○中略)
 
  (改頁)      63
 
(○中略)
 
霜月廿八日 天気快晴
子供跡習始手本等認沢山書
遣し申候
 
(○中略)
 
霜月廿九日 天気吉
子供跡習手本之読調いたし候
子供番紙皆々寄集メ申候
大政官日誌十九冊さかや江返ス
        使おたかどの
外ニ小冊物二冊かり
         返済
霜月晦日 天気よし
 
(○中略)
 
  (改頁)      64
 
子供揃来跡習手本之よみ調
いたし申候
一酒がす沢山 とよ田
   貰申候   道太郎
 古細筆壱本遣ス
 
(○中略)
 
十二月朔日 快晴 日向暖寒気ゆるみ
子供揃来跡習出情為致申候
 
(○中略)
 
本家へ当日礼ニ申入直ニ帰り終日
子供ニ手本之よみおしへ申候
 
(○中略)
 
霜月二日 大快晴 陽気暖
子供手本突読本調ニか々り申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      65
 
(○中略)
 
霜月三日 天気よし
早朝より子供跡習出情申候
手本つきよみしらへいたし候
 
(○中略)
 
霜月四日 天気よし
今日は気分宜しく子供中
つきよみしらへ仕廻申候
跡月番附認張出申候
 
(○中略)
 
十二月五日 天気よし 陽気暖
子供揃来跡習出情いたし候
 
  (改頁)      66
 
(○中略)
 
 十二月七日 天気よし
子供空読残之分相改申候
 
(○中略)
 
 十二月八日 天気 寒気強
子供撰書古参分朝飯後直ニ
為書調申候五拾八人大概出来申候
一真田三代実記三篇五巻使常二郎
休戸閑居へかし但シ参り居候
      風呂敷ニ包み遣ス
 
(○中略)
 
  (改頁)      67
 
(○中略)
 
一神寺閑居様へかし候真田三代
実記弐篇之分不残帰り受取申侯
 
(○中略)
 
十二月九日 天気よし
 
(○中略)
 
昨今両日ニさらへ書銘々調済
      少曇 寒気ツヨシ
十二月十日 天気よし
子供揃来昼前跡習いたし
昼後古参四十八文ツ々
  初登山廿四文ツ々 出銭
豊田より御神酒三升八合奉備
掃除いたし明日ノ座配いたし
皆々帰ル内ニ而も座敷勝手等
掃除明日之支度いたし休み申候
十二月十一日 快晴 陽気暖
当日は如定例(注1)
子供一統跡書祝従早朝
追々来集跡書認申候
当日夕方迄ニ荒々書仕廻
古参七八人十二日江書残り申候
両人ニ而終日相調へ褒美書
 
  (改頁)      68
 
いたし遣申候
      押野
一古酒壱升 為右衛門殿より
   祝来
跡書之子供五拾六人より銘々
如例年強飯餅并ごま結ひ
重詰にしめ祝来子供へ附
参り候衆中并近所より来客
有之終日酒宴むすび強
飯等にしめ沢山ニ出し祝ひ申候
跡書去年よりハ大キに能出来
子供もきげんよく帰らせ申候
先々目出度候
十一日   加茂川
一いわし五ツ  甚六殿
 祝来終日遊日暮テ被帰申候
十二月十日
一小煮付壱皿 宇治祐吉
同日ばん  野口や
一鮒拾弐枚   金四郎殿
十二月十二日
一赤魚五ツ   桂之介殿

一しら玉あめ一包 おわりやかみさま
右四筆之分ハ
拙比度之病気見廻ニ貰申候
十二日    町屋しき
一妙薬壱貼     慶之介殿より
 自分服用いたし候
跡書五拾六人首尾克相認メ
今夕方迄ニ不残直し仕廻申候
十ニ月十三日 雨天止天気ニ成
子供少々来書初手本認遣ス
 
  (改頁)      69
 
(○中略)
 
十二月十四日 昼後より雪降五六寸積
今日は遠方子供不来上町
下町休戸子供計来り習申侯
今日も書初手本認荒々済
 
(○中略)
 
十二月十五日 天気不勝曇
今日は夫銭ニ而亭主出勤
子供揃来手習出情書初清
書皆々認直シ等ニ而大ニ苦労
此夜中腹いたみなんぎいたし候
十二月十六日 半晴 雪荒寒
子供揃来亭主素読教申候
自分附居為習書初清書
荒々揚り張揃させ申候
今日は腹痛大ニ宜夜中穏
いたみ不申候
十二月十七日 曇 雪あれ
       跡雨ニ成申候
終日子供江歳暮手本認不
残書仕廻相渡申候
亭主子供江素読教申候
 
(○中略)
 
十二月十八日 快晴 大ニゆるみ暖
今日は結構成天気ニ成申候
 
  (改頁)      70
 
子供不残揃来出情相習申候
素読并歳暮手本認渡し
よみ等教へ申候
 
(○中略)
 
十二月十九日 昨夜中より寒気厳
天気少曇天 大ニ寒冷
今日は昨夜腹痛之弱りにて
終日休み暮し申候 子供中江は
早朝より亭主素読出情教江申候
但夕方歳暮之清書認させ
直しハ拙直し皆々帰らせ申候
昼後亭主夫銭割ニ出役
今晩子供荒々歳暮揚り申候
同日    
一三百文    桂之介殿へ
 来巳年京都出来之暦一冊
   右代払
同日
一十八史略二冊      同人へ
   返脚致し申候
同日
一金壱両 時かし     同人
   返済受取申候
 十二月廿日 曇天 寒冷
子供不残揃来終日無油断為
習申候歳暮手本上ケニ而跡手
本惣子供へ不残認遣候へハ七ツ時下り
まてか々り申候手習も今日限りニ而
 
  (改頁)      71
 
子供きげんよく打揃致下参帰り
目出度候予腹痛之病気ゆへ
今日ハ少々快候へ共祝之も相止メ
只々首尾克双方為帰申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      74
 
(○中略)
 
十二月廿八日 快晴 余寒強 
 
(○中略)
 
門人子供い々沼下村歳暮礼
持来り申候
 
(○中略)
 
  (改頁)      75
 
(○中略)
 
 十二月廿九日 大晦日也
        天気快晴
 
(○中略)
 
廿九日
一出弐朱  三好屋
 清紙三帖代 幸右衛門殿
 
(○中略)
 
世の中の事をのかれし老の身は
子とものやうにをむかへる
老の身は立居は安くあらね共
うきよの事はしらて楽しき
七十に四ツあまれるむかへ
又若みつをくむかうれしも
 
(○中略)
 
  (改頁)      76
 
今夜五ツ時迄ニ手習子供謝
礼三人計残跡ハ不残持参
相済申候当暮ハ下町子供又ハ
い々沼中村子供上町子供も心付
謝礼いつもより宜敷直し来り候
自分腹痛も今朝より大ニ宜敷
家内相揃目出度無事ニ賑
かに越年仕候神仏之御加護と
偏ニ難有奉存大悦仕候
     誠恐頓首再拝
 廿九日夜記
 
(注1)この寺子屋では、毎年7月7日と12月11日に学習の成果を発表する会がひらかれていた。