信政は新田開発、岩木川改修、貞享検地、領内産業の育成等々多くの治績をあげたが、文教面でも江戸上方から多くの指導者を招いて、文化の飛躍的向上に力を尽くした。この時期に招聘された主な人物を列挙しておこう。
儒者 | 小見山玄益、小泉由己(ゆき)、砂川惣左衛門、五井藤九郎(ごいとうくろう)(蘭洲)、桐山正哲(しょうてつ) |
神道 | 山野十右衛門、北川新次郎、河原岡新右衛門・同新次郎 |
和学 | 十河能登、湯浅律斎 |
書学 | 佐々木次郎(養和流)、乙部喜八、松浦治左衛門、大橋彦左衛門、小沢久左衛門、後藤千次郎、松田伝右衛門、三宅貞右衛門 |
医者 | 樋口道与、中丸昌益(外科)、渡辺益庵、上原春良、井上玄庵、境寿元(詮庵と改む)、境寿光(眼科医)、伊崎寿仙、須田宗久、和田玄亮、河野祐作(針医)、古郡玄宣、佐々木宗寿、小山内三益、八郎兵衛(歯科医)、豊田検校、十河能登、湯浅律斎、渋江道陸 |
算術測量 | 金沢勘右衛門、清水貞徳 |
兵学 | 山鹿(やまが)八郎左衛門、松田五郎左衛門、磯谷十助・同新八、貴田(きだ)孫大夫、牧野伴右衛門、川越清左衛門(以上、山鹿流)、遠藤伊兵衛(楠流)、小畑孫八(小幡流) |
剣術 | 當田(とだ)半兵衛(當田流)、山田仁右衛門(梶派一刀流) |
弓術 | 本間民部左衛門(木村典膳と改む)、加藤八左衛門、鈴木定右衛門、勝元水右衛門、加藤新左衛門 |
諸礼式 | 横山嘉右衛門(小笠原流)、斎藤長兵衛 |
茶道 | 野本道玄(どうげん)、後藤兵司、高杉久伯 |
絵師 | 鵜川常雲(法橋益弘)、今村朴元(栄理)、秦新右衛門(養雪と改む)、新井寒竹、片山弥兵衛養春 |
芸能 | 日吉権大夫、高安治左衛門、春藤伊右衛門、西村十左衛門、藤田伊右衛門(以上、能)、林兵九郎、近藤源右衛門(以上、狂言)、幸清九郎、(佐藤と改む 小鼓)、杉野市郎兵衛、奥田荘左衛門(太鼓)、西岡三四郎、砂川伝八(以上、笛) |
このほかにも紙漉(かみすき)師、蒔絵(まきえ)師、養蚕織物師、金具(かなぐ)師、鋳物(いもの)師、塗師(ぬし)、鏡研(かがみとぎ)、大工、石工(いしく)、造船、木地挽(きじひき)、瓦師、桶屋、瀬戸物、屋根葺、車牛遣、庭師、鷹匠、具足師、鍛冶師、弓師、矢師等々、生活全般の領域に及んで技能者が多数召し抱えられた。その数は優に二〇〇を超える。信政は他国者に対する国元の技能者からの羨望や反発を配慮しながら、招聘した諸芸百工の知識・技術指導による殖産興業と文化興隆を積極的に推し進めた。
上級藩士出席による城中講席も信政の時代から始まった。「国日記」によれば寛文六年(一六六六)正月八日には小宮山玄益の「小学」の講釈が始まっている。以後、「論語」・「大学」が講じられ、延宝六年(一六七八)からは兵書も松田五郎左衛門、小幡孫八、磯谷新八等によって講じられた。法典・管制・職制も整備されていった。信政によって藩政は文による統治の時代へと大きく転換した。