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周辺村落との連絡路

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 札幌本府を中心とする道路網の整備は、毎年のように移民の入植地を結ぶように、新開削・旧道路修繕などを行った。『開拓使事業報告』や『開拓使公文録』から主な道路工事は、表9のとおりである。これらの道路は道路修理が繰り返されていることから考えて、十分な道路とはいえなかった。
表-9 開拓使時代道路開削
4年創成通円山間(南1条通),豊平川平岸村間(平岸街道),札幌元村篠路村間,偕楽園琴似村間(杓子琴似道),銭函道(国道5号)手稲追分吉太郎小屋(?)間
5対雁街道,銭函道札幌神社追分間,市街白石村間,豊平村島松村間,本願寺脇石山
6篠路村花畔村
7円山銭函間新道修繕工事
8篠路村花畔村
9円山小樽間道路修繕,雨竜通篠路駅逓間道路修繕,石山新道開削(国道230号),山鼻村真駒内間,真駒内穴の沢間
12豊平村平岸村
13平岸村穴の沢間
14市街篠路村茨戸間
開拓使事業報告』土木部道路表及び『開拓使公文録』などから主要な道路を抽出して作成。

 特に札幌小樽間は、毎年のように修繕工事を施さなければならない状態であった。札幌本道完成後も、物資の輸送の幹線であった小樽札幌間に安定した輸送路がのぞまれた。そのため十年に農学校雇土木学士ウィリアム・ホイーラーが、札幌空知通から小樽までの車道建設計画書を提出した。しかしこの計画は、翌年ジョン・ペリーが工事見積額を八五万円余としたため、実行に移されずにおわった(新北海道史第三巻)。