総代人は札幌区内を四部に分け各部から二人ずつ計八人を投票によって選出した。十七年までの選挙区は六部(一二人)だったが、会議に欠席する総代人が多く流会となる場合が度重なり、このような変更となった。しかし住民の増加、市街地の拡大、特定地区への被選挙権者集住などを解決するため部割の再検討が求められ、二十年三月三日の改選時より七部制(一四人)になり、三十二年区制施行まで続いた。
表-2 札幌区総代人選挙区 |
明治18~20年 | 明治20~32年 | |
第1部 | 大通,南1・2条の西3丁目以西. 北各条の西3丁目以西. | 大通,北各条の西各丁目. 南1条の西1丁目. |
第2部 | 大通,南1・2条の東各丁目. 北各条の東各丁目. 大通,南1・2条の西1・2丁目. 北1・2条の西1・2丁目. | 南1条の西2丁目以西. |
第3部 | 南3条以南の東各丁目. 南4条以南の西1・2丁目. | 南2条の西2丁目以西. |
第4部 | 南3条以南の西3丁目以西. | 南3条の西2丁目以西. |
第5部 | ―― | 南4条の西2丁目以西. 南5条以南の西各丁目. |
第6部 | ―― | 大通,南1・2条の東各丁目. 北各条の東各丁目. 篠路通. 南2条西1丁目. |
第7部 | ―― | 南3条以南の東各丁目. 南3条西1丁目. |
総代人の被選挙資格は、二〇歳以上の男子で、区内に本籍を置き、道内に一〇〇円以上の地券(土地所有)を持つ者とされ、選挙資格はやはり二〇歳以上の男子で、区内に本籍を置き道内に不動産を有する者とされたが、やむをえない場合は寄留人も認められた。その数は、二十二年に被選挙有権者一一八人、選挙有権者三二八人で、一〇年後の三十二年でも前者が一二八人、後者にいたっては減少して二四九人にすぎない。この年の札幌区現住戸数は七〇〇九戸なので、平均すると五四・八戸に一人の被選挙有権者、二八・一戸に一人の選挙有権者となり、住民の総意を反映しうる制度とはいえなかった。
総代人に選出されると私事により拒むことを許されず、任期は二年で毎年半数を改選し再選が認められた。札幌区では選挙区ごとの総代人会は開かれず、すべて七部連合会として行われ、通常会を毎年二月に、また随時臨時会が開催されたが、二十七年からは通常会を十一月とし、月一回の常集会をもって公共事業の増加に対応したのである。しかし欠席者が多く、過半数の出席が得られず流会となることがめずらしくなかったのは、被選挙者が立候補して当選したのではなく、不本意ながら役目を押しつけられた有産者の名誉職であったことにもよると思われる。
次に道庁治以降の総代人名を『札幌区史』から再録しておく。
〔明治十九~二十三年〕
石川正叟 牛越寅之助 薮惣七 岡田貞二郎 大岡助右衛門 堀内龍太郎
池田新七 伊藤辰造 佐藤金治 新田由平 池田惣兵衛 綱島右源太
谷吉三 対馬嘉三郎 後藤半七 田中重兵衛 本郷嘉之助 斎藤斧三郎
柴田与次右衛門 工藤梅次郎 村松盛蔵 新田織之助
〔明治二十三~三十二年〕
石川正叟 池田新七 後藤半七 谷吉三 高田良八 斎藤斧三郎
武林盛一 大岡助右衛門 佐藤金治 伊藤辰造 池田惣兵衛 立松寅之助
堀内龍太郎 新田織之助 笠原喜助 高田梅次郎 笠原文司 高瀬和三郎
若月幸七 中村維隆 村山政五郎 久慈勘吉 吉田松太郎 本郷嘉之助
対馬嘉三郎 森源三 南部源蔵 大竹敬助 奥田良平 山崎孝太郎
綱島右源太 村松盛蔵 薮惣七 助川貞二郎 田中重兵衛 新田由平
稻川直養 藤村胖 野原昌三 村岡治右衛門 松山直吉 長谷川栄助
後藤慶二 水野義郎 近藤昇平 五十嵐久助 原田伝彌 田中養治
池田新七 海保柳太郎 沢井市蔵 立花幸治 本間儀兵衛 渡辺萬治
堀井民三 富所廣吉 足立民治 山本六三郎 宮前九平 佐藤倉吉
奥泉清吉 三浦逸之助 谷七太郎 後藤銈太郎 柴田与次右衛門 沢口永将
金三穂 長谷川孝太郎 刀根孫四郎 亀田平三郎 水原寅蔵 牧野平助
石川正叟 牛越寅之助 薮惣七 岡田貞二郎 大岡助右衛門 堀内龍太郎
池田新七 伊藤辰造 佐藤金治 新田由平 池田惣兵衛 綱島右源太
谷吉三 対馬嘉三郎 後藤半七 田中重兵衛 本郷嘉之助 斎藤斧三郎
柴田与次右衛門 工藤梅次郎 村松盛蔵 新田織之助
〔明治二十三~三十二年〕
石川正叟 池田新七 後藤半七 谷吉三 高田良八 斎藤斧三郎
武林盛一 大岡助右衛門 佐藤金治 伊藤辰造 池田惣兵衛 立松寅之助
堀内龍太郎 新田織之助 笠原喜助 高田梅次郎 笠原文司 高瀬和三郎
若月幸七 中村維隆 村山政五郎 久慈勘吉 吉田松太郎 本郷嘉之助
対馬嘉三郎 森源三 南部源蔵 大竹敬助 奥田良平 山崎孝太郎
綱島右源太 村松盛蔵 薮惣七 助川貞二郎 田中重兵衛 新田由平
稻川直養 藤村胖 野原昌三 村岡治右衛門 松山直吉 長谷川栄助
後藤慶二 水野義郎 近藤昇平 五十嵐久助 原田伝彌 田中養治
池田新七 海保柳太郎 沢井市蔵 立花幸治 本間儀兵衛 渡辺萬治
堀井民三 富所廣吉 足立民治 山本六三郎 宮前九平 佐藤倉吉
奥泉清吉 三浦逸之助 谷七太郎 後藤銈太郎 柴田与次右衛門 沢口永将
金三穂 長谷川孝太郎 刀根孫四郎 亀田平三郎 水原寅蔵 牧野平助
札幌区内には条丁目ごとを一単位とする組がつくられていた。住居の少ない丁目は連合して一組をなし、各組に組長が任命された。組長の人選は区役所でなされ、総代人は意見を述べることができるが、住民の推薦というよりは区役所からの指令による任命で、任期は一年で再任されるものが多い。組数は四七あったが、一組長が二組を兼ねることもあり、二十年には一丁目を分割し、二組に編成替するところもあった。
組長の役目は①公布書類を組内に順達し、回覧後は保存すること、②区役所からの口達を組内に告知すること、③組内の公事につき意見を区役所に具陳することができるとされていた。二十年まではこのほかに④組内への転入、転出者の届書に連署することが定められていたが、はぶかれた。こうした役柄をみるかぎり、組は区役所の伝達組織として機能しており、周辺農村にうかがえるような自治的寄合的性格を欠き、扶助協調的性格も薄いようで、市街に集中する個々人を行政的に掌握する手段としての色彩が強いといえよう。