北海道製麻会社が二十二年操業開始すると、豊平村外四カ村においても製麻会社と特別契約を結ぶ農家が相次いで、二十四年には亜麻の作付面積は二町七反におよび、一八三九貫余の収穫を得た(豊平町史資料)。
日清戦争を境に製麻会社はにわかに需要が急増し、特約農家を増やさなければならなかった。このため、二十八年六月段階で全道で製麻会社の亜麻の特約耕作地は二一〇〇町歩、大麻のそれは一二三一町歩にも及んだ。すでに工場は同年八月には昼夜の別なく作業が進められ、需要に応じるためにはさらに事業を拡張する必要に迫られていた。
二十九年八月段階で製麻会社と契約した札幌区・村のいわゆる特約農家の反別は、表21のようであった。この表からもわかるとおり、篠路・新琴似・苗穂・丘珠各村および兵村の亜麻栽培が多い一方、養蚕を其幹産業としていた山鼻村等屯田兵村や養蚕の発祥地桑園までが亜麻の特約農家になっている。養蚕から亜麻への転換が行われたのである。
表-21 札幌区・村内亜麻・大麻特約反別数(明治29年) |
地域 | 亜麻 | 大麻 |
札幌区 | 90町16 | 16町70 |
桑園 | 7.20 | - |
札幌村 | 103.80 | - |
苗穂村 | 208.30 | - |
篠路兵村 | 164.75 | - |
白石村 | 101.45 | 0.05 |
篠路村 | 444.30 | 11.00 |
新琴似 | 330.25 | 3.50 |
茨戸 | 28.35 | - |
雁来村 | 60.60 | - |
丘珠村 | 199.20 | 0.30 |
円山村 | 19.80 | 6.70 |
レツレップ | 132.25 | - |
月寒村 | 29.75 | - |
平岸村 | 10.90 | - |
発寒村 | 145.60 | 7.00 |
山鼻村 | 30.00 | 0.95 |
『北海道毎日新聞』明治32年10月16日より作成。 |