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大正四年全道青年会連合大会

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 大正四年の大正天皇の大礼を記念して、北海タイムス社主催の全道青年会連合大会が十一月一日に行われた。これは同年九月十五日の内務大臣および文部大臣「青年団ニ関スル第一回訓令」をうけたものであった。訓令は、「青年団体ハ青年修養ノ機関タリ其ノ本旨トスル所ハ青年ヲシテ健全ナル国民善良ナル公民タルノ素質ヲ得セシムルニ在リ」と明言し、忠孝・品性・体力・知能の向上をうたった。団員の最高年令を二〇歳とし、名望家を団長に推戴し、青年団の本質を修養機関と規定したものであった(平山和彦 青年集団史研究序説)。これをうけた言説として、たとえば北海道庁地方課長小柳牧衛は「本道青年と修養」(北タイ 大4・12・5)で、異郷の植民地である北海道では、青年の修養として体力の強健、忍耐力の養成、同情心の涵養、謙譲の美徳が必須の条件であると説いた。このように「修養」は、これ以降のキーワードとなる。
 さて大正四年の修養や地方改良といった、官製の意図が前面に出た青年会連合大会は、大通西四丁目の特設会場を舞台に行われた。東武北海タイムス社理事「大正青年の新運動」、俵孫一北海道庁長官「青年会の性質」、美濃部俊吉北海道拓殖銀行頭取「大正初頭の感」、佐藤昌介東北農科大学長「帝国の使命と青年の修養」の講演が行われた。
 北海道青年連合大会へは、全道から二八〇余団体、二八〇〇余名が参加したが、表5は、連合大会へ札幌から出席した団体である。直前の大正三年段階の札幌区周辺町村における青年会数は、札幌村六団体三一九人、琴似村三団体一八八人、篠路村三団体九五人、手稲村五団体二四四人、藻岩村四団体一〇六人、豊平町一二団体四六二人、白石村四団体二四七人と札幌支庁に把握される(小樽新聞 大3・6・12)ので、大正四年の大会には札幌にあるほとんどの青年会が参加したと考えられる。
表-5 北海道青年連合大会出席団体
 団体名 団体名
札幌区札幌青年団
大谷派札幌青年会
札幌区北八条石狩通
 諏訪神社氏子青年会
本派仏教青年会
札幌菓の子会
手稲村上手稲青年会
軽川青年会
手稲村山口青年会
手稲村山口星置青年会
豊平町簾舞青年会
豊平町石山忠誠青年会
豊平町平岸瀧ノ澤力行
 青年会
豊平町三瀧澤青年会
野々澤青年会
西通青年共立会
器械場青年会
豊平青年会
北通青年農友会
平岸青年会
月寒青年会
朝日青年会
丸重吾青年会
焼山青年会
豊平町厚別青年会
豊平町南通青年会
豊平町定山渓青年会
豊平三里塚青年会
西山青年会
札幌村中通青年会
札幌村烈々布青年会
札幌村雁来青年会
札幌村青年会
篠路村篠路兵村青年会
篠路福々青年会
篠路青年会
烈々布青年会
篠路村中野青年会
篠路村字十軒青年会
篠路農村青年会
篠路村山口青年会
篠路村学田青年会
琴似村琴似村青年会
琴似第三帝国同志会
新琴似青年会
琴似村新川青年会
藻岩村円山青年会
藻岩村伏見青年会
藻岩村白川青年会
山鼻青年会
藻岩村上山鼻青年会
藻岩村八垂別青年会
白石村厚別南北青年農共会
白石青年会
白石青年親友会
白石村上白石青年会
小野幌青年会
厚別青年会
1.大4.11. 1,北海タイムス社主催,札幌管内分。
2.『北海道青年連合大会出席団体』(道図)より作成。

 二日目の十一月二日には朝から数百の青年団会旗をなびかせ、楽隊の演奏とともに大通の会場から札幌神社へと二九〇〇余人の行列が進む。『北海タイムス』には、「見よ蜿蜒長蛇の如き優に十二町余に亘る大行列は秩序を正して整然と練り進むを」と報道される。そして記念植樹、武術大会といった行事が行われた。