『蝦夷巡覧筆記』より箱館よりヲサツベまでのようす

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 『蝦夷巡覧筆記』(別名蝦夷地東西地理)は、寛政9年(1797年)松前藩の高橋壮四郎等が記した松前地と東・西蝦夷地の巡回調査報告書であり、当時の地理・地誌について詳細に記されている。いわゆる前幕領以前の松前藩、藩政時代の交通状況を知る上での貴重な資料なので、この中から、「下海岸一帯」、函館から下海岸を経て南茅部に至る部分を抜粋し記すこととする。なお、記述されている地名について( )内におおよその範囲とし該当する現在の地名を付記する。
 
箱舘村(函館市)、馬有リ
 産物十二月ヨリ正月迄冬鯡、四季雑魚ワルシ。
 此所よりシオクビ崎卯辰當ル尤辰ノ方江寄ル、當所ハ一躰ノ出崎ニテ入海ナリ大船澗 村ノ上ニ少シノ野有リ高山近ク木ナシ當所外海岩山海ヨリ切立要害ノ地也。村ノ中ニ番所有リ、松前東之方第一之船着大村也。此所東ノ方外海ニ
尻澤邊ト云小村有リ(函館市住吉町・谷地頭町)
 産物正月ヨリ四月迄フノリ五月ヨリ八月迄昆布 水ヨシ。
 城下大川ヨリ筥館マテ 二拾五里六丁二拾四間 箱館村ヨリ外海江砂道行キ
大森(通称大森浜
 此所ヨリコウ道行キ少シ野道行キ川有リ 幅二三間橋有リ夫ヨリ水ワルシ。
 
下モ湯ノ川村(函館市湯川町・根崎町)
 此所亀田村江ノ野道有リ 産物雑穀 水ワルシ。
 當所川有リ 幅三四間 川越ヱ夫ヨリ野道行キ
 
湯ノ川村(函館市湯川町・根崎町)
 産物雑穀 水ワルシ、當所村中ニ温泉アリ 是ヨリ野道行キ濱行キ
 
シノリ村(函館市志海苔町)
 産物五月ヨリ八月迄昆布 引網ニテ雑魚 水ワルシ、大森ヨリ此所マテ砂濱続キ、當所ヨリ砂濱少シ行キ出崎有リ、山近ク木ナシ砂道行キ、有川ヨリ四里二拾五丁三拾二間
 
銭亀澤村(函館市銭亀町)
 産物五月ヨリ八月迄昆布 引網雑魚水ヨシ、當所村端ノ小坂上リ野道八丁程行ク、此邊山近ク木ナシ 夫ヨリ壁坂下リ
 
シホトマリ川有(汐川)
 幅五六間 川越澤道五六丁行キ砂濱江出ル、當所澤幅及部澤位澤奥ニ村有リ。
 銭亀澤ヨリ塩トマリ迄之海岸 銭亀澤ヨリ砂利濱行キ、黒岩ト云所有リ城下大川ヨリ二十六里二拾五丁十八間 夫ヨリ切立岩ワシリ有リ 此所通行塩トマリ江出ル
 
石崎村(函館市石崎町)
 産物五月ヨリ八月迄昆布引網ノ雑魚水ヨシ、當所山近ク木ナシ 海磯続キ砂濱行キ、焼マギ 當所ニ小流アリ砂利コウ道行キ。銭亀澤ヨリ 一里十二丁二拾二間
 
小安村(戸井町小安) <運上屋有リ>
 産物正月ヨリ五月迄布苔 八月迄昆布 冬鰤 水ヨシ。
 城下大川ヨリ此所迄二拾九里 當所山近ク木ナシ、サクツレ山ト云山有リ 夫ヨリ砂濱行キ宇賀ト云川有リ 幅一間位 夫ヨリジャリ濱行ク。
 
釜谷村(戸井町字釜谷)
 小安村ヨリ此所迄 海高岩続キ 夫ヨリゴロダ濱行キ
 
塩クヒ崎(汐首岬)
 此所海 南江ノ塩至テ強シ。
 此所山崎ナリ 此ヨリ海高岩 濱所々ワリシ越ヱ大難所行ク。
 
ヨモキナヱ(蓬内・瀬田来神社の沢)
 此邊岩ヒラ切立也。當所大ゴロダ濱行キ。
 
川尻(戸井川の河口)
 此所山近ク木ナシ 大ワシリ有リ 上ヲ通リ行ク。
 
トイ(戸井町) <運上屋有リ>
 産物 布苔昆布 水ヨシ、當所海ニムイノ嶋ト云岩嶋有リ 此所岩出崎ニテ海ヨリ切立通行ナラズ、クマベツト云小川ヨリ山越ヱ道アリ 小山所々ニ有リ七八丁余リ行キ、カマウタ江出ル。
 
カマウタ(戸井町字鎌歌)
 此所大ゴロダ濱行キ
 
中ウダ(鎌歌から原木にいたる平磯・砂浜)
  此邊山近ク木ナシ 當所より砂濱行キ、
 
ハラキ(戸井町字原木)
  當所より砂濱道五十間計リ行キ 急ナル坂上ル至テ難所坂上ルコト一丁余リ 夫ヨリ山キシツタヱ二丁余リ行キ 小坂百間程下リ濱ヱ出小流有リ 夫ヨリ濱道百間程行キ、夫ヨリ、
 
ヒウラ(恵山町字日浦)
  此所ヨリ山切立ワシリ有リ通行ナラズ山越道アリ 小坂百間位上ル至テ難所ナリ 道中カ場ヨリ木立 夫ヨリ山ノタヱ二百間程行キ、夫ヨリ大崩険阻坂五六十間程下リ、夫ヨリ
 
カラスガウタ
  此所ヨリ百四五十間程砂小石濱行キ 夫ヨリ、
 
小ウタ
  此邊何レモ野少シ有リ、山近ク木アリ 此所ヨリ小石濱行キ小流レ有リ、夫ヨリ又砂濱五六十間程行キ、
 
シリキシナヱ(恵山町字豊浦・大澗) <運上屋有リ>
  産物 布苔昆布 水ヨシ、當所ヨリ砂濱行キ イリギシナヱ、川有リ幅四五間 早瀬塩込ノ節歩行渡リナラズ、夫ヨリ岩小崎有リ大ゴロダ濱 此邊山近ク木アリ 夫ヨリ、
 
メノコナヱ(恵山町字女那川
  當所小澤アリ、澤ヨリ平山キシヲ通リ 百間程下リ濱十丁位行キ川有リ幅十二間 夫ヨリ砂濱行キ東風トマリ、當所ヨリ少シ先ニ岩崎アリ、ワシリ海ヨリ切立テ通行ナラズ、野道三百間行ク 此邊山近ク木アリ、夫ヨリ、
 箱舘村ヨリ此所迄八里十二丁程
 
子タナヱ(恵山町字恵山・御崎)
  當所ヨリワリシ所々ニ有リ、海岸通行成難ク山越道有リ ダラダラ坂一里位登リ 夫ヨリタヱ半里位行キ 又坂半里下ル 此山中木立原トトホッケ江出ル。子タナヱより日影濱迄之海岸 子タナヱヨリ小石濱行キワシリ有リ 此所岩出崎ヱサン崎ト云
 
ヱサン(恵山)
  此所ヨリヱトモ子丑ニ當ル此上ニ 焼山アリヱサン嶽ト云。夫ヨリ水ナシト云所有リ、大ゴロダ濱又砂濱行キ トトホッケ江出ル。
 
トトホッケ(椴法華村)
  此所砂濱道山近ク木ナシ 此砂濱ヨリ先ニワシリ有リ 海ヨリ切立通行成難シ 山越ヱモナシ。
 
矢尻濱(椴法華村字八幡町)
  此所ヨリ岩切立崎有リ夫ヨリ、フルベト云瀧有リ、夫ヨリゴロダ濱行キキナウシト云岩ワシリ有リ、夫ヨリゴロダ濱少シ有リ、大ワシリ有リ海ヨリ切立夫ヨリ又ゴロダ濱行キ、ヒルカ濱ト云所有リ 是ヨリ砂濱続キ行キ、
 
ヒカケ濱(椴法華村字元村・恵山岬)
  此所山近ク木ナシ 砂濱道行キ、
 
オサッペ(南茅部町字尾札部) <運上屋有リ>
  産物 鯡布苔、昆布、海鼠水ヨシ、此所山近ク木ナシ 小船澗有リ 此処ヨリ 砂濱所々カタ道行キカクミ、此濱ヨリ一里程奥ニ温泉アリカクミ濱砂濱少シ行キ、シャウジ川ト云川有リ幅三四間 夫ヨリ砂濱暫ク行キ岩崎有リ 此所少シ中チ崎越野道行ク 高山近ク木アリ、
 
ウスジリ(南茅部町字臼尻
  辨才澗有リ 山近ク木アリ 濱所ヨリ砂濱行キ、
 
キナヲシ崎
  此所ノ平山崎ヲ越ヱ砂道行キ 夫ヨリ川有リ幅四五間川越ヱ砂道行ク 所々小ワシリ有リ、小野越此邊山近ク木アリ、
 
 この報告書から下海岸の通行、箱館からトドホッケまでを想定してみる。
 箱館から小安村までは、しばらく野道、踏み分け道を歩く、山が迫った所は海岸へ下り、海ぞいの砂道・砂利道・砂浜と比較的平坦な道程(みちのり)を辿る。この海岸一番のシホトマリ川は川幅や水量から河口は渡れない。銭亀澤から1.5キロメートルほど溯り川越しなければならない。
 小安村をすぎるとゴロダ浜(拳大より大きな石の浜)が多く難儀する。塩くひ崎(汐首岬)は潮の流れが強く海辺を歩くことができない、岩壁を越えなければならず、まずは第一の難所である。ゴロダ浜のヨモキナヱを過ぎ川尻(戸井川)を越えトイである。
 トイからカマウタへはクマベツの小川を渉り600メートルほど山道を行く。中ウダはゴロダ浜と砂浜を歩きハラキである。
 ここから、ヒウラ、シリキシナヱまでが下海岸道路最大の難所(原木峠、日浦峠)である。
 ヒウラへは砂道を90メートルほど行く、急な坂を100メートル程登り、尾根伝いに200メートル進み、さらに坂道を180メートル下り海辺へとでる。それから、シリキシナヱまでは小川を渉り砂浜を180メートルほど行き、又山越えとなる。急な坂道が180メートルと相当な難所である。さらに木立ちの中を400メートル、最も危険な崖道を100メートルほど下りようやくカラスガウタにでる。
 カラスガウタからは崖下の平磯・小石浜・砂浜を歩き小さな流れを渡り、小ウタを経ておよそ3~400メートルでシリキシナヱへと着く。
 シリキシナヱからは砂浜を行く。イリギシナヱ、川幅7,8メートル(尻岸内川)、早瀬、満潮の時は渉ることはできない。迂回し岩の小出崎、ゴロダ浜を行く。この辺り山近く木が茂っている、メノコナヱである。
 メノコナヱから沢を上り平山(段丘)沿いに180メートル下って砂浜に出る。1キロメートルほど行くと幅20メートルもある川(古武井川)を渉り砂浜を行くと東風まりである。この先は岬、海岸の通行はできず立ち木の多い野道(段丘)を600メートルほど行く、子タナヱに着く。
 子タナヱからトドホッケまでは、海岸の通行は難しく山越えとなる。ダラダラ坂を登ること4キロメートル、立ち木の多い高原をさらに2キロメートル行き、坂道を2キロメートル下るとトドホッケへ出る。
 子タナヱから小石浜を行くと岩出崎ヱサン崎にでる。ヱサン崎より子丑の方向の上にエサン嶽がある。ヱサン崎には水なしという所があり、そこからゴロダ浜さらに砂浜を行くとトドホッケへと出る。以上については船を使った交通と思われる。